皆既日食アモーレ隊

3月28日

連日の人生ゲームの大興奮の夜のせいで昼近くに起きた。昨日の人生ゲームの優勝祝賀昼食を食べに行く。丸川(仮名)さんがカイロで一番美味しいコシャリ屋さんを教えてくれたので、そこで祝賀会を開く事にした。そのコシャリ屋さんは我々の宿から歩いて5分ぐらいの場所にあったのだが、普段はあまり行かない場所にあったので丸川さんが教えてくれなければ行く事はできなかっただろう。店内はたくさんのエジプト人が食べにきていて、とても混んでいる。その中のテーブル1つを日本人6人が占拠してコシャリを注文する。コシャリ屋なのでメニューは中コシャリ、大コシャリ、特大コシャリと飲み物とデザートしかない。みんなで大コシャリを注文する。注文の品はすぐに出てきた。見た目は宿の近くのコシャリ屋さんとあまり変わらないが、ひとくち食べてみると明らかに美味しい。6人全員が美味しいと実感した。エジプトにはいたるところにコシャリ屋さんがあるが、こんなに美味しいコシャリを食べた事は今までない。ダントツに美味しいコシャリ屋さんだ。この店がエジプト人で混み合う理由が理解できる。

食後に丸川さんの部屋に行くとダハブで一緒にダイビングをした品川(仮名)さんがいた。品川さんも皆既日食を見たくなってカイロにやってきてしまったそうだ。品川さんは俺や丸川さんとは別に個人手配のツアーに申し込んだそうだ。その他にもたくさんのバックパッカーが品川さんが申し込んだツアーでエル・サロームに行くらしい。品川さんは日食を見た後にエジプト観光をしてダハブに戻るという。その観光の相手を見つけようとしているが、同じ目的の人がいなくて困っているのだそうだ。俺にもう少し時間があれば一緒に観光をしたいところだが、日食の後にすぐ帰国しなくてはならないので、品川さんと一緒にエジプト観光をするのは残念ながら無理だ。

丸川さんが見つけてきたリビア行きのバスエル・サロームに行くメンバーはどんどん増えて、人生ゲームで戦った仲間を中心に最終的には7人になった。このぐらいの人数だと団体で動き回るにはちょうど良い。バスの出発時間は夜の10時なので、9時半にホテルのレセプションに集合してみんなで一緒に出発する事になった。

昨日の人生ゲームで戦った仲間の1人が今夜の飛行機で日本に帰国するので7時ごろからみんなでハワウシ屋と言うところにマトンのサンドイッチみたいなものを食べに行く。丸川さんも含めて10人近い人数の日本人がハワウシ屋の一角を占領し、庶民的な晩餐会が大々的に開かれた。

9時半に皆既日食を見に行くメンバーがホテルのレセプションに集まった。何となく俺が手を出すとみんなが俺の手の上に手を重ねていき自然と円陣が出来上がった。雰囲気的に丸川さんが「ファイトー!」と叫び、それに続いてみんなが「オー!」気合を入れてバスターミナルに向けて出発する。ここに丸川さんを団長としてアモーレ隊が結成された。気合と共に結成されたアモーレ隊の7人はリビア行きのバスターミナルまで歩いて移動する。バスターミナルにはたくさんの人が集まっていて、その中心におんぼろバスが止まっている。アモーレ隊が乗るリビア行きのバスはどう考えても、あのおんぼろバスだ。それでも国際バスなので受付ではパスポートチェックなどがあり、出発の準備が整うまでにはかなりの時間がかかった。10時前にバスターミナルで受付をしたが、11時を過ぎた頃にようやくバスは出発した。バスターミナルを出発してもカイロ市内を出るまでには色々な場所に寄っているので時間がかかる。日食の時間まではかなりの余裕があるが、それでもこんなにのんびりされてしまうと少し不安になる。結局、カイロ市内を出て本格的に走り出したのは12時を過ぎていた。

3月29日

リビア行きの夜行バスはアモーレ隊の7人を乗せて軽快に砂漠の夜を突き進む。現地時間の午前11時20分から太陽が欠け始め12時38分10秒から42分03秒までの4分弱が皆既日食になるのだ。そして2時には部分日食も終わる。この調子でバスが順調に走っていれば遅くても朝の8時にはエル・サロームに到着する事ができそうなので日食には十分に間に合うだろう。朝の4時ごろにドライブインで休憩を取る。長距離バスの移動では良くあることだ。まだ日の出までは時間があるみたいで暗い。ドライバーはバスのエンジンを止めてドライブインの建物の中に入っていく。乗客もトイレに行ったりチャイを飲んだりして休憩を取っているのでアモーレ隊もそれに習いチャイを飲んで暖まる。砂漠の夜は寒いのだ。

30分ぐらいの休憩だと思っていたが1時間たっても出発しない。出発しない理由が良く判らないがこのドライブインからエル・サロームまでは4時間ほどで到着する事ができる距離なので、日食の時間にはまだ余裕がある。2時間ほど休憩して外が明るくなってきた頃にようやくバスが出発した。順調に走っていたと思ったら、9時過ぎにエル・サロームまで70キロほどの場所でバスはまたしてもドライブインに入った。さすがに腹が立った。現地人の乗客も納得がいかない様子でドライバー説明を求めに行っているがドライバーの説明を聞いた乗客たちは諦めるしかない空気を漂わせて戻ってきた。ドライバーの説明には乗客たちを諦めさせるだけの説得力があるのだろう。このドライブインの場所は皆既日食帯に入っているので皆既日食を見る事だけは保障されているが、ここまで来たのならエル・サロームまで行って皆既日食を見たい。

アモーレ隊隊長の丸川さんがドライバーに説明を求めに行くと「ゲートが閉まっているのでこれ以上は進めない」と言われた。しかし、ゲートなんて何処にもないのでそんな説明では納得できない。そうこうしているうちにバスのドライバーは我々アモーレ隊をドライブインの建物の奥に連れて行き英語の話せるエジプト人のところに案内した。ドライブインの裏手には巨大な天体観測用の機材をセッティングした20人ぐらいの白人グループが日食観測の準備をしていた。そして、英語の話せるエジプト人が「ここでも皆既日食は見れるので大丈夫だ。」という。確かにここでも日食を見れるし、本格的な観測隊もここで日食を観測するぐらいなのだから、皆既日食の条件を満たしているのだろう。しかし、どうせならエル・サロームまで行きたい。納得のいかないアモーレ隊の代表の丸川さんが粘り強くドライバーと交渉する。ドライバーも真剣に携帯電話で誰かとやり取りをしており、ここから先は本当に進めないらしい。どうやら我々はここで日食を見るしかないようだ。

この場所で皆既日食を見ることになってしまったのでそれなりの最善を尽くす事にした。まずは自分が日食を見る場所の名前ぐらいは知っておきたい。ドライバーに地図を見せてここは何処なのかを聞くとシディーバラーニと言うところらしい。情報収集のついでに白人の日食観測グループにも話を聞いてみることにした。彼らはフランスを中心とした多国籍の日食観測グループなのだそうだ。パソコンや天体望遠鏡も持ち込んでいるので大学か何処かの研究グループなのだろう。このフランスの日食観測グループを取材するためにエジプトのテレビ局も待機していた。アモーレ隊の存在に気づいたテレビ局の人のがアモーレ隊に取材を申し込んできて、何となくテレビに出ることになってしまった。どうしてエジプトに来ているのか、エジプトをどう思うか、今日の日食にはどんな期待をしているか、などの質問に答えてテレビ出演は終了した。生放送なのか録画なのか、本当に放送されるのかなどはサッパリ判らないが、その放送の出演料と言うわけではないが太陽観測用の黒ガラスをもらうことが出来た。昨日から太陽を観測するために黒いビニール袋やガラスをマジックで塗りつぶすなどの試行錯誤していたが、綺麗に太陽を観測するには適さないものしか揃えることが出来なかった。それが、今回のテレビ出演で一気に解決した。

テレビ出演の間に部分日食が始まりだしていた。観測用の黒ガラスを手に入れて快適に太陽を観測する事ができる。観測用の黒ガラスは黒ビニール袋とは全然違う美しさでくっきりと太陽を観測する事ができる。アモーレ隊は建物から少し離れて周りが見渡せる場所に移動して日食を観測する事にした。ドライブインから500メートルほど離れただだけで観測環境はかなり改善された。その間にも太陽は徐々に欠けていく。半分ぐらい欠けてくると太陽の光量が落ちてきたのがわかる。三日月ぐらいの大きさなった太陽の光量はかなり少ないが、それでも曇っている日よりは少し明るい。三日月ぐらいだった太陽の弧は時間と共にさらに狭くなっていき最後には一筋の線になった。もう太陽観測用の黒ガラスは必要ない。その一筋の線はどんどん短くなり太陽の輝きは一点だけになる。フラッシュのように光の一点が輝きを放った後、太陽はすっかり月に隠れてあたりが夜のように暗くなった。皆既日食の始まりだ。

太陽が肉眼で見れる。黒い太陽の周りを光り輝くフレアが取り囲んでいる。周りは夜のように暗い。金星を見ることが出来る。地平線まで視線を落としてみると360度の全ての方向に夕焼けが見える。感激である。アドレナリンがガンガンと出てきてアモーレ隊のテンションも上がり奇声を発しながら踊り始めた。その踊りが輪になりさらにテンションが上がり踊り続ける。しかし、10秒ほど踊ったあたりで体力と理性が障害となり踊りの輪は自然と消滅した。それでも皆既日食は続いている。理性を取り戻したアモーレ隊はフレアが取り囲んだ太陽から目を離すことが出来ないままだ。皆既日食は3分ほど続き、フラッシュの光を放った後に一点が輝きだして太陽が復活した。そして、その光の点が線になり、線が太くなると太陽は眩しさを取り戻した。皆既日食が終了したのだ。これ以降は太陽を見るためには太陽観測用の黒ガラスが必要になる。これで無事に今回のエジプトの旅の目的を果たす事ができた。

しかし、本当の問題はこの後に待っていた。皆既日食が終わったというのにバスが出発する気配がないのだ。我々アモーレ隊が乗ってきたバスはリビア行きの国際バスである。日食を見たアモーレ隊はリビアに行かないのでこのバスに乗る必要はない。ここがエル・サロームだったらカイロ行きのバスが何台も出ているので問題はないのだが、ここはシディーバラーニなのだ。ここからはアモーレ隊がカイロに帰るためのバスが出ていない。なのでカイロ行きのバスが出ているエル・サロームまでリビア行きの国際バスに乗せていってもらわなければならない。しかし、そのバスに出発する気配がないので困っているのだ。

アモーレ隊は最大の目的を果たす事ができたのでバスに戻って出発までのんびりと睡眠をとることにした。2時間ほど寝ていたがそれでも出発する気配はない。皆既日食は1時前に終わっているが既に3時を過ぎている。バスドライバーに出発時間を聞いたが話していることが毎回変わり的確な答えが返ってこない。さらに待っていたが4時になっても出発する気配がない。さすがに待ちくたびれたアモーレ隊の隊員は独自にヒッチハイクを試みる事にした。アモーレ隊のメンバーは7人だ。7人全員が乗れるヒッチハイクはさすがに難しい。1時間ほどヒッチハイクをした後に7人をアレキサンドリア行きのバスが出発する町まで連れて行ってくれる車を見つけることが出来た。丸川隊長が値段交渉をして、納得できる値段で連れて行ってくれることになった。隊長が助手席に乗りドライバーに指示をする。残りの隊員は荷台に押し込められて車は出発した。5分も走らないうちに車は止まり、そこからアレキサンドリア行きのバスに乗り換る事になった。近くのドライブインでたまたまアレキサンドリア行きのバスが休憩していたらしいので、バスドライバーと交渉して無理やり乗り込むことに成功したのだ。こんなことであれば、もっと早く自力移動を開始していればよかった。

アレキサンドリアに到着した時には11時を過ぎていた。ここでアモーレ隊はカイロに戻るチームアレキサンドリアに泊まるチームに別れて行動する事になった。俺を含めた4人がアレキサンドリアに泊まるチームになり、バスターミナルでカイロに戻るチームと別れた。バスターミナルからホテルを探すのに時間がかかり、結局ホテルにチェックインして落ち着いた時には2時を過ぎていた。

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