懐かしいカイロの喧騒

3月18日

17日の昼に新千歳空港を出発して18日の朝カイロに到着した。旅をしていると飛行機はワープみたいなものだと感じるようになる。東アジアからエジプトまでバスを乗り継いで数ヶ月かけて移動してようやく目的地のカイロに到着するのであれば色々な感情がこみ上げてくるのだが、飛行機を使うと、出発した次の日にはカイロに到着してしまう。それを考えるとバックパッカーにとって飛行機での移動はワープのようなものだと思う。

俺が前にカイロに来たのは2000年だから6年ぶりになる。アラブの空気が懐かしい。飛行機の中である程度アラビア語を復習している予定だったがすっかり寝てしまっていた。空港から街中までは韓国人ビジネスマンのタクシーに便乗させてもらう事になり、かなり幸運だ。タクシーからの眺めは何となく見覚えがあるようで懐かしい。新しい高速道路も出来ているようで2000年の時と比べて渋滞が緩和されている気がする。カイロの街の中心部でタクシーを降ろしてもらい、目的のホテルに向って歩く。地図を見なくても町並みは覚えている。歩いているだけで、ワクワクする。朝9時のカイロはまだ完全に起きていない。閉まっている店もたくさんある。ようやく懐かしのホテルに到着し、チェックイン。知ってる顔ぶれは誰もいない。時の流れとはそんなものだが、それが新しい出会いの始まりのキッカケの1つなのだろう。

早速エジプトの食事を食べに行く。エジプトには国民的な代表的な料理の1つにコシャリがある。俺はコシャリが大好きだ。昔、通っていたコシャリ屋さんは今も健在だった。早速、店に入ってコシャリを食べる。懐かしい味がする。決してこの世の物とは思えないほど美味しいわけではないが何となく癖になる味なのだ。思い出すと無性にコシャリが食べたくなる。禁断症状に似た感覚を与えてくれる食べ物だ。午後からは2000年の正月に一緒に年越しをした丸川(仮名)さんがまだカイロにいるので彼の部屋を訪ねる。髪型はお互いにすっかり変わっていたが、丸川さんの雰囲気と言うかオーラのようなものは何も変わっていなかった。今夜はスーフィーダンスを見に行くというので、一緒に連れて行ってもらうことにした。スーフィーダンスとは音楽に合わせてグルグルと回転しながら踊るダンスの事である。エジプト観光局が主催しているために観光客は無料でスーフィーダンスを楽しむ事ができる。俺はスーフィーダンスを見るのは今回で3回目だ。それでもスーフィーダンスは感激できる。2000年に見た場所よりも大きなステージになっていて、音楽の演奏者も踊り手も人数が増えて迫力が増していた。その中に見覚えのある顔があり嬉しかった。スーフィーダンスが終わってからハト料理を食べに行った。久しぶりのハト料理はボリュームがあり結構美味しかった。その後にハンハリーリのバザールをのんびりと歩にいてから帰ってきた。エジプト初日から思いっきりカイロの喧騒を楽しむことが出来た。

3月19日

午前中にホテルの近くを散策してみたが、ほとんどの店のシャッターが閉まっているので面白くない。2000年にカイロにいた時は午前中に起きてることなど滅多に無かったので知らなかった。仕方がないのでインターネットカフェに行き日食の情報を集めたりメールをしたりする。昼飯はもちろんコシャリ。せっかくコシャリを食べれる環境にいるのだから、思う存分コシャリを食べておきたい。日本に帰ったらコシャリなど食べれなくなってしまうのだ。午後からはスークアタバという市場を散策する。このぐらいの時間になるとほとんどの店が営業している。活気のある市場は歩いているだけで楽しい。サングラスを持ってないのでサングラスを買うことにした。帰りは近道をして帰る事にしたがこの考えが間違いだった。近道と思われる道を進んで行き、そろそろ予測した場所に出るだろうと思うがなかなかその場所に出ない。それでも引き返すのは悔しいのでどんどん進んでいくと、どの道も同じような道に見えてきてしまい右も左も判らなくなってしまった。ここまで来ると引き返す道も判らない。こんなに完全に迷ってしまったのは久しぶりだ。もちろん、何度も行った事のある市場にガイドブックなどもって行くはずがない。近くの人に道を聞きいて、現状を打開しようと試みる。試行錯誤しているうちに意外な駅の前に出てしまった。ちょっと驚いたがこれでホテルまで帰ることが出来る。カイロの道は碁盤の目になっていないし、まっすぐな道だと思っていたらゆるやかにカーブしていたりする、かなり難易度の高い街だ。

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