大自然の景観

2003年3月4日、早朝。起床時間よりもかなり早く船内放送が響きわたった。時計を見ると、まだ、朝の5時半である。放送を聴いても少し難しい英語だったので放送内容が理解できない。ルームメイトのドイツ人青年が熟睡したままである事も考え合わせると緊急事態の放送では無いみたいだ。何が起きたのかよく判らないがまだ寝ていても良さそうなので夢の続きを見ることにした。

朝食はいつものようにバイキングスタイルである。朝食の準備が出来たと放送されたので、ダイニングに降りて行くとすでに福山(仮名)さんが朝食に来ていた。俺は彼の隣に席を取り、今朝の放送は何だったのかを聞いてみた。どうやら、クジラの群れが船のすぐ近くに来てたらしく、それを知らせる放送だったのだそうだ。福山(仮名)さんは眠かったのでクジラを見には行かなかったそうだが、船田(仮名)さんとよっちゃん(仮名)はしっかりとクジラを見てきたらしい。すぐ近くまでクジラが近寄ってきて感激だったらしい。なんだか、非常に悔しい。

午前中はゾディアックに乗って南極クルージングである。小回りがきくのでミキーフ号から見る景色とはまた違う景色を堪能できた。しばらくゾディアッククルージングを楽しんだ後、このクルージングの最大の目玉である沈没船へと向かった。

この沈没船は20世紀の初めに沈没した捕鯨船である。浅瀬に座礁して半分水面から出た格好で沈没している。100年ほど経った今ではすっかり錆び付いて遺跡のようになっている。当時は大量のクジラを殺して油を取っていたのだそうだ。錆び付いた製油釜が朽ち果てた船の中に打ち捨てられたまま、ひっそりと南極の入り江の片隅で当時の様子を未来に伝えている。

沈没船の後に我々はアデリーペンギンのコロニーになっている島に上陸した。この島は昨日のジェンツーペンギンの島よりもかなり小さい島なので、ペンギンに触る事は無理のようである。しばらくアデリーペンギンと戯れていたが、午前の活動時間が終わり、昼食を食べるために母船ミキーフ号に戻った。

今までの上陸は南極にある島に上陸していたのであるが、これからいよいよ南極半島の本土に上陸できるのだ。我々はネコハーバーという場所に上陸する。昼飯を食べている間に、ミキーフ号はネコハーバーに到着した。

ゾディアックに分乗してネコハーバーに上陸する。ここでも大量のペンギンが我々を迎えてくれた。海岸から少し丘のほうに登っていくと景色が見渡せて気持ちが良い。一面の銀世界を所狭しとペンギンが歩き回っている。眼下には冷たい海が入り江の奥の方まで広がっており、その冷たい海に我等の母船、ミキーフ号が静かに浮かんでいる。入り江の向こう岸には南極の山々が頂に分厚い氷河をのせている。太陽は低い位置で鈍く輝き、冷たく我々を照らしている。この世のものとは思えないほどの素晴らしい景色である。

2003年の正月に俺は今までロン毛だった髪の毛を切り落として坊主になった。その切った髪の毛を簡単に捨ててしまう事ができず、どうしようかと考えていた時に南極に埋めてしまうという事を思いついた。南極に埋めるために、今まで切った髪の毛の束を持って旅行してきたのである。その髪の毛を埋める場所にネコハーバーを選んだ。

なるべく人の目に付かないように、丘を上の方まで登りグループから離れていこうとした。すると、ツアーリーダーが遠くに行こうとする俺を発見し、あまり遠くに行ってはいけないと忠告した。ところどころにクレパスがあり、ツアーリーダーの目の届かない所まで行くのは危険な様である。近くにも小さなクレパスがあり、かなり深くまで裂け目が走っている。

そこで俺はこのクレパスに髪の毛を埋める事にした。ポケットに忍ばせていた髪の毛の束を誰にも見つからないようにクレパスの中にひっそりと落としてきた。これで将来、俺に孫が出来て「おじいちゃんの髪の毛はどうしてないの?」と聞かれた時に「おじいちゃんの髪の毛は南極にあるからなんだよ。」と教えてあげることが出来る。

誰にも見つかることなく髪の毛を埋める事に成功した後しばらくの間、景色を眺めていると、誰かが丘の上の方から、お尻で滑り降りてきた。そちらを見てみると、50メートルぐらいお尻で滑り降りる事が出来るかなり急な斜面がある。これが結構面白そうで真似する人が沢山現れた。当然、俺も滑ってみた。かなり面白かった。南極で尻すべりをして遊んだ人はかなり少ないと思うがどうであろう?

海を眺めているとクジラの親子が泳いでいるのが見えた。クジラは入り江の奥の方に向かってゆっくりと泳いでいる。なんとクジラとペンギンと氷河をいっぺんに見ることが出来た。こんなに贅沢な景色はそうそう見れるものではない。

素晴らしい体験をしている時間はあっという間に過ぎてしまい、母船のミキーフ号に戻る時間が来てしまった。先ほどから近くを泳いでいるクジラの親子は今もゆっくりと入り江の奥の方に向かって泳いでいる。ツアーリーダーはミキーフ号に戻るついでにゾディアックでクジラの親子の近くまで行ってくれる味な計らいをしてくれた。おかげでクジラの親子を数メートルの近くで見ることが出来た。クジラはおとなしくて我々のゾディアックが近づいても逃げていかない。間近で見るクジラは本当に大きくクジラの呼吸の匂いまで感じる事ができた。

思いがけないラッキーなハプニングで予定時間よりも遅れてしまい、クジラを見た後は全速力でミキーフ号に戻っていった。その途中、後ろの入り江の奥の山で大規模な雪崩が発生したのを見ることが出来た。第一発見者は偶然にも俺だった。山頂の方から氷河の崩落が始まり、数百メートル以上落下して海まで崩れていったのだ。俺の周りにいる人に崩落している斜面を教えてあげ、崩落のすさまじさを共感する事ができた。

ミキーフ号に戻るとデッキでバーベキューパーティーが始まるところであった。今日の夕食は船のデッキの上での食べ放題、飲み放題のバーベキューだ。みんな陽気に騒いでいる。南極の夕暮れはかなり寒いが、みんなそんな寒さなど関係なく酔っ払って騒いでいる。

ミキーフ号が停泊している場所は氷河が海に突き出している入り江だ。氷河を見ながらのバーベキューもなかなか粋なものである。突然、大音響が響きわたり氷河が崩れ落ちた。ミキーフ号の間近で氷河の崩落が起こったのである。安全な距離は保っているが間近で見る氷河の崩落は凄い迫力である。

バーベキューパーティーは南極の夜の寒さ酔っ払いの陽気さの彼方でいつの間にか静かに幕を閉じていた。

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