ドレーク海峡を越えて

2003年2月28日の夕方6時ごろ、ウシュアイアの港を出港した。船はウシュアイアの町を後にして、ビーグル水道をゆっくりと進んでいく。出発してすぐに最初のミーティングが開かれた。クルーの紹介や航海の注意事項や説明があり、それ続く避難訓練で一通りの今日の予定は終了したようである。

俺は夕食後に外のデッキに出て夕暮れの空を眺ていた。船はまだ、ビーグル水道を進んでいたので波はほとんど無い。夜、9時を過ぎた頃からやっと空が暗くなり星が出てきた。しばらく夜空を眺めていたが、それでもまだ西の水平線のあたりは完全に暗闇に覆われているわけではない。のんびりと夜空を眺めていると、波が出てきたのか船が揺れ始めたのが判った。本格的に揺れて船酔いになってしまう前に今夜は寝る事にした。

我々が参加した今回の南極ツアーは約40人の人々が世界各国から参加していて、その中の半分近くがアメリカ人である。それに続く勢力が日本人で俺を含めて4人だった。4人ともウシュアイアにある同じ宿に泊まっていて、情報交換をしながら、それぞれ南極ツアーを探していたが、結局4人とも同じツアーに申し込んでいたと言う訳である。理由は安いから。その他、イギリスやアイルランド、スペイン、スイス、ドイツ、フランスなど世界各国から参加者が集まっている。

我々、4人の日本人の中の1人は偶然にも2000年のお正月にエジプトのカイロで一緒にカウントダウンをして年を越した船田(仮名)さんだ。そして船田さんの彼女のよっちゃん(仮名)と、あと1人はアフリカを旅してきた福山(仮名)さんである。

今回我々が搭乗した船の名前は「Grigoriy Mikhrrv(グレゴリー・ミキーフ)」ロシア船籍の船である。全長66メートル、幅12.8メートル、排水量2000トンと言う規模の船だ。このミキーフ号が13日間、我々のホテルであり、移動手段であり、レストランであり、バーであり、展望台であり、シャワーであり、トイレである。生活の全てがこの船の中で行われるのだ。ちなみにツアーの主催会社はオランダ。そして、船の中の公用語は英語といったように多国籍なツアーである。

ウシュアイアを出発した晩から、ドレーク海峡を横断して南極に向かうため、船は激しく揺れるのだそうだ。ドレーク海峡は世界でも有数の荒れている海域と言う話だ。事前に聞いている話では立っていられないほど船は揺れて、それが1日以上続くと言う。俺は船にはめっぽう弱い方で、すぐに気持ち悪くなり激しく船酔いをする体質なので、大変である。

ウシュアイアで南極のツアーを探している時からドレーク海峡の激しい荒波の噂は聞いていた。何とかならないものかと思っていたが、どうにかなる訳は無く、俺が取った船酔い対策は酔い止めを飲んで、船が揺れている間はひたすら寝ていると言う方法である。ベットで横になっていれば、何とか我慢できる程度の気持ち悪さで抑える事が出来るのだ。

ミキーフ号はドレーク海峡を横断するのに2日間かかった。その間、船は激しく揺れている。ウシュアイアを出発した次の日の朝、朝食を食べるためにベットから起き上がろうと思ったが、船酔いが激しすぎてベットから起き上がる事ができない。しょうがないので朝めしは抜きにして昼まで寝ている事にした。船が激しく揺れるために部屋の中にあるイスが転がってしまっているが、俺にはすでにベットから起き上がる気力すら無い。イスは部屋に転がったまま南極に向かう事になった。

昼飯の用意できたと、放送が入ったが昼飯も食べれそうに無いので、そのままベットで横になっている事に決めた。さすがに夕食ぐらいは食べないと体調を崩してしまいそうなので気合を入れてダイニングルームに向かう。船田(仮名)さん、よっちゃん(仮名)、福山(仮名)さんはもうダイニングルームに来ていた。彼らはそんなに激しい船酔いではないみたいだ。

ダイニングルームには7割ぐらいの人が来ていた。ダイニングルームに来ていない3割の人は船酔いが激しくて食事に来れないのであろう。俺も食事に来れるギリギリの状態である。座っているだけでも気持ちが悪い。しかし、何も食べないでいるのはもっと良くないので我慢して無理やり食べる。食後にデザートが出てくるらしいが俺はもう、この時点で限界である。デザートはよっちゃん(仮名)にあげて早々にベットに戻る。座っているだけでも脂汗が出てくるぐらい気持ち悪く、生きた心地がしない食事だった。

次の日の朝食も起き上がる事が出来ずにベットで寝ていると、福山(仮名)さんや、よっちゃん(仮名)がリンゴやバナナを持って、お見舞いに来てくれた。気持ち悪くて空腹どころでは無かったのだけれど、まったく何も食べていないとさらに具合が悪くなる恐れがあったので、差し入れはとても助かった。

しかし、一番困ったのはトイレである。食事は食べに行かなければそれで済むが、トイレは絶対に行かなければならない。気合と根性でトイレに向かう。トイレまでの道のりもぐらぐら揺れる船の中を歩いていくしかない。両手で手すりにつかまって船が揺れるタイミングを計り倒れるようにしてトイレを目指して進んでいく。しかも、ベットから起き上がるだけで気持ち悪くなり脂汗が出てくるのだ。トイレのために起き上がってからベットに戻って来るまでの数分間は地獄のような時間である。

3日目の午後、ミキーフ号はやっとドレーク海峡を渡り切り南極半島の島影に入った。これで揺れがほとんど無くなり、試練の2日間が終わった。船酔も殆ど収まったので、気分転換に船のデッキまで行ってみる事にした。

デッキに出ると今まで船酔いと戦っていた人達がすでにやって来ていた。爽やかで冷たい南極の風が船酔いをすっかり取り除いてくれるようで気持ちが良い。ミキーフ号は今日停泊予定の入り江に向かっていった。その入り江は非常に狭く切り立った断崖に挟まれた海峡の奥にあり、ミキーフ号は船足を落として慎重に狭い海峡を進んでいった。海峡を進む途中、デッキから船の何倍も高さのある断崖を眺めた。迫力のある景観に思わず感激である。激しく揺れるドレーク海峡を船酔いにやっつけられながらも渡ってきた甲斐があったというものだ。

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