目指せイスタンブール

シリアにはパルミラと云うシルクロードのキャラバン都市の遺跡がある。ハマからは少し遠回りになるのだが、パルミラには是非とも行ってみたい。

そもそも、俺の旅の目的はシルクロードなのである。シルクロードのキャラバン都市の遺跡だったら行かなくてはならない。これで本格的にシルクロードの旅に戻ってきた気分になった。

ハマからパルミラまでは長距離バスで移動する。パルミラまではほとんど砂漠の中をバスは走って行く。お昼頃にパルミラの遺跡に到着。お土産屋さんで荷物を預かってもらい遺跡見学にいく。

パルミラの遺跡はとても広い遺跡だった。最初に博物館を見学する。博物館を満喫してから、遺跡の中を歩き回ることにした。遺跡の中は石柱の列が並んでいる。とてもたくさんの石柱がいたる所に建っているのだ。とても雄大な景色で感激である。石柱の他にも遺跡の中にはローマ劇場やいろいろな遺跡が残っている。さんざん歩き回ったのでとても疲れてしまった。

夕方にはパルミラを出発しようと考えていた。向うところはデリゾールと云うユーフラテス川のほとりの町である。夕方にパルミラを出発して、夜の8時ごろにデリゾールに到着することが出来た。すぐにホテルを探してチェックインした。

デリゾールにはユーフラテス川を見るためだけにやって来たのだ。ユーフラテス川にはつり橋が掛けられていて、その橋の上からユーフラテス川を見下ろした。ユーフラテス川はゆっくりと雄大に流れていた。

ユーフラテス川は4大河文明のうちの1つの川である。教科書で習った川がどんな物なのか見てみたかったのでここまでやってきたのだ。そう云えば、今回のシルクロードの旅では途中でたくさんの川を見ることが出来たのだ。ある意味、シルクロードに点在する川を巡る旅だったのかもしれない。

そんなことを考えながらユーフラテス川を見ているとなんだか今回の旅も終わりに近づいてきているのを感じる事が出来た。ここデリゾールからアレッポに行く。そして、アレッポからイスタンブールまでは残りわずかな距離なのである。とうとう、イスタンブールまでの距離が計れる場所まで来る事が出来たのだ。

ユーフラテス川を堪能した俺はデリゾールを朝出発して、シリア北部の町アレッポに向かった。アレッポまではほとんど砂漠の中をバスは走る。途中まではユーフラテス川沿いを走って行く。雄大な景色である。

アレッポにはお昼前に到着した。ハマで菅原(仮名)さんに教えてもらったホテルに行くと、そこには菅原さんが居た。ハマで菅原さんと別れる時に、菅原さんは俺がアレッポに到着する時にはもうトルコに行っているだろうと話してくれていた。それなのにアレッポのホテルで菅原さんと再会できたので、ビックリしてしまった。菅原さんはあの後、気が変わり日程を遅らせたのだそうだ。

アレッポにはアレッポ城や博物館など、見るところがたくさんある。今日は菅原(仮名)さんと一緒にアレッポ城を見に行くことにした。アレッポ城はとても大きなお城で観光名所になっている。たくさんの観光客が観光していた。俺もその中に混じって観光する。ハンマームの跡や展望台など、いろいろと見る事が出来た。

アレッポの博物館も見学した。古代アッシリア帝国時代の石像などがあって、なかなか面白い博物館だった。博物館の帰りにアレッポの市場を見学する。アラブ世界の市場はどこも同じようで活気があって面白い。

明日はアレッポを出発してバスでトルコに向う。いよいよ、イスタンブールがあるトルコに入国するのだ。俺のシルクロードの旅の目的地、イスタンブールにもうすぐ到着するのだ。何だか胸が熱くなる。

俺と菅原(仮名)さんは一緒にイスタンブールに行くことにした。菅原さんはトルコを旅した事があるので、トルコの事情を知っている。俺にとっては頼もしい旅仲間の誕生である。

バスに乗ってアレッポを出発する。お昼頃に国境を越えてトルコに入国した。俺にはトルコがシルクロードの旅の最後の国である。実際にトルコに入国すると感慨深いものがある。バスはアンタキヤという街に到着した。そのままバスを乗り換えてイスケンデルンという街まで行く。イスケンデルンと言う街は景色が素敵な港町である。

イスケンデルンの街をのんびりと散歩する。海岸線は公園になっていて、なかなか素敵な街だ。海岸線や町の中をブラブラ歩いてホテルに戻ってきた。今夜の夕食はチキンの丸焼きである。店の前で美味しそうに焼いていたので、それを注文して菅原さんと一緒に食べた。そう言えば、最近はチキンを食べることが多い。

今日はいよいよイスタンブールに向かう。イスケンデルンからは夜行バスでイスタンブールに向かうのだ。ホテルをチェックアウトしてバスターミナルに向かう。イスタンブール行きのバスは夜の7時ごろに出発する。それまで荷物を預かってもらって、イスケンデルンの街の見学に行く。

しかし、今日のイスケンデルンの街は眠っている様である。店がほとんど閉まっているし、人も殆ど歩いていないし、車も走ってないのだ。ちょっと異常である。警官が街の中を巡回していたので、「この街で何が起きているのか」を聞いてみた。しかし、我々のパスポートをチェックした後にバスターミナルに戻って外出するなと警官は言うのだ。何が何だかさっぱり判らない。とりあえず、昼飯も食べなければならないので、近くのレストランで食事を済ませてバスターミナルに戻ることにした。

夕方から、警察に見つからないように、もう1度イスケンデルンの街を探検に行く。その途中でテレビ局の人にインタビューされてしまった。良く判らないが外人の俺がなにかしらインタビューされたのだ。結局、何がどうなっているのか良く判らないまま、あわただしく彼らはどこかに行ってしまった。しかし、その他にイスケンデルンの街の中は殆ど人が居ないのだ。驚きである。

ようやく人がたくさんいる所を見つけたので行ってみた。高校生ぐらいの学生がたくさんいた。何か仕事をしている様である。外人の俺は珍しいようで、好奇心旺盛な生徒たちに話しかけられた。彼らは高校生だったので、英語で会話することが出来た。ちなみにトルコの公用語はトルコ語である。

彼らと話しをしているうちに先生達のいる所に連れて行ってもらえた。どうやら、彼らは何かの調査をしているらしいのだ。そして、調査員以外は今日は外出しては行けないらしいのだ。高校生の彼らやそこにいる先生達は外出許可証のバッチを付けていた。

その高校生の中に、日本に留学していた女の子がいて、俺に日本語で話しかけてきたのだ。俺はいきなり日本語で話しかけられたのでビックリした。その女の子は1年ほど日本の高校に留学していたらしいのだ。彼女の日本語はほとんど完ぺきだった。彼女から詳しく話しを聞くと、今日はトルコの国勢調査の日だったらしいのだ。

トルコの国勢調査は4年に1度あるらしい。そして、その日は休日になり、夕方の5時までは外出禁止になるのだそうだ。何ともびっくりである。今日はトルコ全土の街が死んだ街のようになっていたらしいのだ。彼女たちと話しをしているうちに5時になり、外出禁止令が解除されて街に活気が戻ってきた。

7時ごろにイスタンブール行きのバスがやって来て、俺と菅原(仮名)さんはその夜行バスに乗ってイスタンブールに向かう。明日の朝にはイスタンブールに到着してしまう。

俺にとっては中国の西安から始まった旅の最終目的地のイスタンブールに向かうバスである。バスに乗っていると緊張感と感激が沸き起こってくる。

そう言えばイスタンブールに着くまでにはいろいろと遠回りをしてしまった。東アフリカや中南米にまで行ってしまったのだ。とても大掛かりな寄り道になってしまった。寄り道の途中でイスタンブールなど、どうでも良くなった事もあったのだ。しかし、明日の朝には最初の目的通りにイスタンブールに到着する事が出来る。2、3ヶ月で終ると思っていた俺のシルクロードの旅は1年以上もかかってしまった。まだ、イスタンブールに到着していないのだが俺は胸の高鳴りを感じて、ドキドキしてきた。

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