古代から続く街

ダマスカスはとても古くからある街だ。この街の旧市街は活気があって、当時の面影を今に伝えている。ダマスカスの街が建設されたのはクレオパトラやアレキサンダー大王よりも遥かに昔である。ダマスカスの街はその時代から現代まで人々に忘れ去られることなく続いているのだ。イスラム帝国が成立し、ウマイヤ朝の首都になったダマスカスは世界の中心となって栄華を極めたことだろう。そしてウマイヤ朝が滅びてからも、ダマスカスは人々の生活の場であり続けているのだ。

当時から使われているだろう城壁や門は今もそのまま旧市街の入り口となっている。城門から旧市街に入って行くと、町全体が大きなバザールのようになっている。人がたくさんいて、とてもうるさくて、ごみごみしていて、とても素晴らしい。イスラム世界で有名なモスクの1つ、ウマイヤドモスクと言うのがダマスカスの旧市街にあるので行ってみる事にした。

ウマイヤドモスクはとても大きくて今でも現役のモスクとして使われている。モスクは宗教儀式の場所なので厳格な空気が漂っている。日本のお寺や神社と同じような感じだと思う。

俺は今までにも色々なモスクを見てきた。大きなモスクから小さなモスクまで色々なモスクが世界中にあるが、ウマイヤドモスクはそのなかでも飛びぬけて大きなモスクだった。ウマイヤ朝の時代にはイスラム世界の中心的役割を果たしたモスクなのだ。大きくて当たり前だろう。モスクの中には異教徒の見学を断っているモスクもあるのだが、このウマイヤドモスクは観光客の見学も許可しているモスクである。

モスクは宗教的な場所である。お祈りに来ている人の邪魔になら無いようにモスクの中を見学する。イスラム教のモスクはキリスト教の教会や仏教のお寺などとは違って、華美な装飾をしていない。更に偶像崇拝もしないので、大きな御神体などの像もない。モスクの中は殺風景なのである。

ダマスカスから日帰りでクネイトラと言う所に行くことにした。クネイトラとはシリアとイスラエルの戦争の最前線の村だったのだ。イスラエル軍とシリア軍の戦争の後が今でも生々しく残っている村なのだそうだ。

菅原(仮名)さんとテルオ(仮名)君とリーコ(仮名)さんと俺の4人で行くことにした。クネイトラに行くには、シリアの警察で通行許可証を貰わないと行くことが出来ないので、朝1番でもらいに行く。そこからバスに乗ってクネイトラに向かった。

クネイトラに到着すると、俺たち4人にガイドの兵士が1人付いてくれた。彼はほとんど英語を話せないので、我々と会話することは難しい。しかし、壊れかけのモスクや民家、破壊された道路などを案内してくれた。乗り捨てられた戦車も見る事が出来た。階段が途中で壊れてしまっている塔にも登らせてもらえた。塔の上から廃墟のクネイトラを見渡すことも出来た。そこから見える丘の向こうにはイスラエル軍がいて、今もシリア軍と睨み合ってるのだそうだ。

最後に病院の廃墟に連れてってもらった。壁と言う壁は銃弾でびっしり埋め尽くされている。瓦礫が散乱していてなんとも荒廃している。現在はその病院の廃墟をシリア軍が基地として使っているらしく、何人かが駐屯していた。

クネイトラからの帰り際、廃墟で子供達が遊んでいた。子供達は我々をみつけて駆け寄ってきた。こんな所でも人は生活してるし、子供達はこの廃墟で遊びながら成長していくのだろう。

エジプトから一緒に旅をしてきたリーコ(仮名)さんは急がなくてはならない用事が出来てしまったので、ダマスカスから飛行機でイスタンブールに行くことになったのだ。そんな訳でリーコさんとはここでお別れである。

突然ではあるけど、ダマスカスの旅行代理店に行ってイスタンブールまでの飛行機を予約。幸運なことにすぐに出発する飛行機が見つかったので、それでイスタンブールに行くことにした。あわただしいままリーコさんは旅だった。

ダマスカスの宿に宿泊している男の子たちが4、5人でハンマームに行く話しをしていた。ハンマームとはアラブ風のお風呂である。正確にはサウナとお風呂の中間のようなところで、マッサージもあり、とても気持ち良いらしいのだ。

俺もハンマームに連れて行ってもらう事にした。我々の行ったハンマームは旧市街にある。入り口はとても分りづらい場所にあったので、彼らに連れて行ってもらわなければ俺には行けなかっただろう。入り口でお金を払ってハンマームに入る。最初に脱衣所があって、そこでガウンに着替える。そのガウンを着たまま奥に入っていく。扉を開けて中に入るとスチームサウナのようになっていた。湯船は無いようだ。スチームサウナの部屋の広さは10畳ほどである。壁際には冷水が入った桶があり、アラブ人はその冷水を人に掛けて遊んでいる。冷水をかけられた方は奇声をあげている。

ハンマームの奥では男どもが冷水を掛け合って奇声を上げているのだ。なんとも不思議な所である。しかし、これが結構楽しいので、俺もスチームサウナで汗を流しながら冷水を掛け合って奇声を上げた。

マッサージは垢すりマッサージのような感じで、俺もたくさんの垢が出た。気分も身体もスッキリして、脱衣所に戻ってきた。新しいガウンに着替えてジュースを飲む。本当はビールを飲むのが最高なのだろうが、ここはイスラム社会なのでアルコールは禁止である。それでも、汗をかいた後のジュースはとても美味しいかった。王様気分を味わってハンマームから帰ってきた。

ダマスカスには当然博物館がたくさんある。今日はそれを見に行く。博物館は旧市街にもあるし、新市街の方にもある。旧市街にある博物館は小さいのだが、博物館の建物それ自体が遺跡のような感じである。それを見るだけで感激した。新市街のほうには軍事博物館や国立博物館が隣り合わせに建っているので、博物館のハシゴをしてしまった。こちらも素晴らしい博物館だった。

ダマスカスの北にハマという素敵な街があると聞いていたので、行ってみる。ハマは大きな水車で有名な街なのだそうだ。実際に素敵な街だった。ハマのホテルで情報ノートを見ていると、テルオ(仮名)君と再会した。夕方には菅原(仮名)さんもやって来て、3人はまた再会してしまった。そして、明日は3人でクラック・デ・シュバリエと言うお城に行くことになった。

クラック・デ・シュバリエはこの辺りを侵略しに来た十字軍が作ったお城である。十字軍が撤退した後に今度はイスラム勢力がクラック・デ・シュバリエを占領したのだ。なので、キリスト教色とイスラム教色が混ざったお城になっている。一説によると、宮崎アニメの「天空の城ラピュタ」のモデルになったお城なのだそうだ。そう言われればそんな感じがする。クラック・デ・シュバリエは山の上の方に建てられていて、下から見ると、なんとも素敵なお城である。入場券を買って城の中に入ると中庭が広がり、とても綺麗である。この城は30年ほど前までは人が住んでいたのだという。なんとも歴史を感じてしまう素晴らしいお城である。

今日はハマの大きな水車を見に行くことにした。確かに水車は大きくて凄かったが、俺は水車よりも近くの博物館の方が面白かった。ハマの博物館は博物館の建物自体が古い建物になっていて、とても味がある良い雰囲気だった。その他にもハマの街を見学してホテルに戻ってきた。

テルオ(仮名)君は先にイスタンブールに向けて出発したので、俺と菅原(仮名)さんの2人で夕食を食べに行くことにした。今日の夕食は丸焼きチキンを食べることにした。おいしそうなチキン屋さんを見つけてそのお店に入る。しかし、そこのチキン屋さんはテイクアウトしかやってないと言う。しょうがないのでチキンをホテルに持って帰って、ホテルの食堂でチキンを食べることにした。このチキンはとても美味しかった。2人とも大満足で綺麗にチキンを食べ尽くした。

次の日は菅原(仮名)さんと一緒に、砂山の砦を見に行くことにした。ホテルの情報ノートを頼りにミニバスに乗って砦を目指す。砦が見えてきたので、途中でミニバスを降ろしてもらった。そこからは20分ぐらい歩いて砦に向かう。

砦は何も無い所にポツンと建っているのだ。俺と菅原さんはひたすら砦まで歩いて行った。砦は小高い丘の上に建っている。ただそれだけだった。丘に登ると辺りの景色が一望できた。辺りは何もない平原である。遠くに我々が乗ってきたミニバスが通っていた道路があるだけだ。砦の一部が崩れていて、そこから上に登ることが出来た。何も無い忘れ去られた砦だが、なんとも言えない素晴らしさがあった。

砦からの帰りは道路まで30分ほど歩いていき、そこでハマに戻るミニバスをつかまえて乗るしかないようである。帰りのミニバスに乗ったらすぐに雨が降ってきた。もう少し遅かったら2人とも雨に濡れてしまっただろう。

ホテルに戻ったのは夕方だった。俺と菅原さんは今日の夕食も昨日の丸焼きチキンを食べることにした。2日連続で丸焼きチキンになってしまうが、とても美味しかったので2人とも、もう1度食べたいと思ったのだ。昨日と同じオヤジが丸焼きチキンを焼いてくれた。もちろん、今日のチキンもとても美味しかった。

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