ぺトラと死海
ヨルダン最初の朝を向かえた。俺とリーコ(仮名)さんはヨルダンの有名な遺跡、ぺトラを目指す為に朝早くアカバを出発した。テルオ(仮名)君と菅原(仮名)さんは午前中のうちにアカバを観光するといっていたので、ここでお別れである。が、同じようなルートを通ってイスタンブールまで行くので2人とは又どこかで再会するだろう。
ぺトラの遺跡はワディームーサと言う村にある。我々はお昼前にはワディームーサに到着した。今日はこの村でのんびりとして、明日の朝早くにぺトラの遺跡に行くことにした。今日は街の中を探検したり、買い物をする。明日の朝は早いので今日は早めに寝ることにした。
次の日、朝6時に起きてぺトラに向かう。早朝は肌寒かったが歩いているうちに暖かくなってきた。チケット売り場でチケットを買って、いよいよぺトラの遺跡に入る。両側が切り立った崖の壁に囲まれた回廊を進んで行くと広場に出た。そこには高さ3、40メートルはある岩壁を彫りぬいて作られた神殿が現れた。その大きさと彫刻の素晴らしさにとても感激してしまった。しかし、これはぺトラの遺跡のほんの入り口でしかなかったのだ。
岩壁の回廊は広場から更に奥まで続いていた。その回廊のあちらこちらにも、壁を彫りぬいて作られた小さな神殿があるのだ。感激である。そして、回廊を抜けた先には広い大地が広がっていた。そして、その広い大地に遺跡が点在しているのだ。更に、神殿が彫られている岩壁が大規模に広がっているのだ。とても素晴らしい景色である。
広い遺跡群の中を歩いていく。いたる所に遺跡が点在しているので、それを見て回りながら奥へ進んで行くのだ。その中にはローマ劇場の遺跡もあった。今も、なにかイベントがあるときにはこの劇場を使う事があるらしい。現役でも活躍できそうな立派なローマ劇場である。
その他にも遺跡の中には博物館やレストランや売店もある。遺跡の奥のほうには岩山があり、そこを登っていった所に素敵な神殿があるというので行ってみる。岩山を登るのが辛くなったリーコ(仮名)さんはロバに乗って神殿まで行くと言う。
俺はロバに乗らずに歩いて神殿まで登っていった。岩山を登る途中にも遺跡があって素敵だった。1時間ほどで岩山を登りきり神殿の広場に到着した。神殿はとても大きくて素敵だった。レリーフも素敵だったし素晴らしかった。そこでのんびりしていると、昨日アカバで一緒だったテルオ(仮名)君と菅原(仮名)さんがやって来た。彼らもぺトラの遺跡を見に来たらしい。4人で一緒に紅茶を飲んだりして、のんびりと遺跡を見て周った。
次の日、俺とリーコ(仮名)さんはヨルダンの首都アンマンに向けて出発した。我々はアンマンに到着したら死海に行こうと思っていた。死海は塩分がとても濃い湖なので、普通の海よりも浮力が大きいのだ。なにもしないでも体が浮いてしまうと云うなんとも不思議な湖なのである。俺もリーコさんもカイロに居た時から死海に行くのを楽しみにしていた。
俺達と同じ宿にテルオ(仮名)君と菅原(仮名)さんがやって来た。予想通りに彼らと又、再会することが出来た。彼らとは今後もたくさん再会する事になるだろう。そんな彼らもこれから死海に行くと言ってる。せっかくなので4人で一緒に死海に行くことにした。朝早くバスに乗って死海に向けて出発する。バスはどんどん谷を降りて行き、気温も暑くなってきた。死海は海抜マイナス400メートルの所にあるのだ。この湖の水面は世界で1番低い所らしいのだ。
死海に到着したら早速泳ぐ。しかし、なかなか上手に泳げないのだ。水中で手や足を動かして泳ごうとしても、浮力が強すぎるので手や足が水面の上に出てしまい普通に泳ぐ事が出来ないのだ。水面に浮かんだまま手をチョロチョロと動かしながら泳ぐしかないのである。沈もうとしても沈めない、とても不思議で面白い湖である。
死海の水は普通の水よりドロドロとしている。死海の塩分がどれぐらい濃いのかを知りたくなったので、ちょっぴり舐めてみた。しょっぱいと言うよりも、舌が痛かった。かなり塩分が濃いのであろう。驚いてしまった。
死海から上がって少し休憩する。死海から上がってもべとべとした死海の水が肌にまとわりついて気持ちが悪い。しばらくビーチでのんびりしていると、肌にまとわりついていた水が蒸発して塩の結晶になった。とても面白い現象だった。死海の水が自分の肌で蒸発するのがハッキリ解るのだ。ちなみに、俺の肌の上で出来た結晶を舐めてみると、やっぱりしょっぱかった。
死海はとても不思議な湖だった。我々は顔を水に付けない様に気を付けながら死海で遊んだ。舐めただけでとても痛い死海の水である、もし、目に入ったらとんでもなく痛いであろう。
4人とも思いっきり死海で遊ぶ事が出来た。帰りはシャワーで死海の塩を落として、バスに乗ってアンマンまで戻ってきた。とても疲れてしまったが、とても楽しい1日になった。
アンマンからはイスラエルに行くことができるのだ。俺とリーコ(仮名)さんもイスラエルに行こうと考えていたので、ホテルでイスラエルの情報を集めていた。先日イスラエルから戻ってきたオーストラリア人が俺達と同じホテルに泊まっていたので、彼らにイスラエルの事を聞いてみた。すると、イスラエルでは2、3日前に何か事件が起こったらしく、国境が封鎖されてしまったらしいのだ。彼らは国境が閉まる1日前にアンマンに戻ることが出来たので助かったらしい。
ホテルのテレビでも、イスラエルのニュースをやっていた。戦車の映像なども写っていたので、本当にイスラエルで危険な事件が起きたのかもしれない。そんな訳で今回はイスラエルに行くのを諦める事にした。
あとで解った事なのだが、この時の事件がきっかけになってイスラエルとパレスチナの状勢は緊迫してしまったらしい。早く平和になって欲しいものだ。
今日はアンマンの市内観光をする。リーコ(仮名)さんは博物館や遺跡などはあまり興味がないというので、アンマンの市内観光は一緒に死海に行った菅原(仮名)さんと行く事にした。
最初にアンマン城の遺跡に行くことにした。アンマン城の遺跡は丘の上にあり、そこからアンマン市内を一望できるのだ。市場やローマ劇場やモスクなどを見る事ができる。アンマン城の遺跡はかなり広くて、丘がそのまま1つの城になっているようなのだ。小さな博物館も併設されてあったのでそこも見てきた。俺も菅原さんも満足してアンマン城の遺跡を後にした。
アンマン城の次はローマ劇場に行くことにした。アンマン城から見下ろす事のできたローマ劇場を目指して丘を降りていった。ローマ劇場の周りは観光スポットになっているようで、お土産屋さんがたくさんあった。菅原さんもおみやげ物には興味が無いらしいので、2人ともお土産屋さんを素通りして、真っ直ぐにローマ劇場に向かった。ローマ劇場はとても大きくて素晴らしいかった。アンマンのローマ劇場は修復されている所もかなりあり、今も週末には劇場として使われているのだそうだ。
今日は朝早く起きてシリアのダマスカスに移動する。ダマスカス行きのバス停に向かうが、どうやら我々はバス停を間違えてしまったらしい。慌てて、本物のダマスカス行きのバス停を探し出し、何とか無事にダマスカス行きのバスに乗る事ができた。このバスに乗るとダマスカスにはお昼頃に到着するらしい。
ヨルダンやシリアはほとんど砂漠なので、バスは砂漠の中を走って行く。しかし、道路だけはとても綺麗に整備されている。我々は国境を越えてシリアに入って、お昼過ぎにはダマスカスに到着した。