バスで巡る中米

2000年7月23日。パナマの空港に到着した。いよいよ、これからが中米の旅の始まりである。目的のメキシコのピラミットまではもうすぐだ。

パナマにやってきた最大の目的はパナマ運河を見ることだ。俺のパナマでの滞在期間は飛行機のチケットの関係で1泊2日である。少しハードなスケジュールだが、コロンビアのカリでは2週間以上もダラダラと生活していたので心と身体を旅モードに移すにはちょうど良いかもしれない。

パナマの通貨はUSドルである。自国の通貨を持つだけの経済力がなく、アメリカ合衆国の経済に依存しなくてはやっていけないので、アメリカ合衆国の通貨を使っているのだろう。ただ、俺のような旅行者にとっては、両替する手間が省けて嬉しいかぎりである。

パナマでの滞在時間が少ないのでホテルを決めてすぐに運河を見に行くことにした。人に道を聞きながらバスに乗って運河まで行く。運河にはたくさんの観光客がいた。さすがにスエズ運河と並ぶ有名な運河である。

船が運河のゲートに入ってくる。ゲートの中で船がゆっくりと下がっていく。太平洋と大西洋では海面の高さが違うのでゲートで高さを調節してやるのだ。パナマ運河には俺が見ているゲートの他にも、たくさんのゲートがあって水面の高さを調節しているのだ。俺が見たゲートは観光用に解放されたゲートである。観光用なので展望台やミニ博物館もある。しかも全て無料で観光客に開放されているのだ。博物館にはスライドがあって「パナマ運河が出来るまで」をやっていた。なかなか面白かった。

ホテルに戻ってから、ホテルの近くを探検してみた。すると、そこにも博物館があったので見学しに行った。ここはパナマ運河を作る為にどれだけ苦労したかを記録してある資料館になっていた。当時使っていた機械や当時の風景の写真が展示されていて、見応えがあって面白かった。

海沿いを散歩していると、沢山の船が連なって運河に入って行く所を見ることが出来た。滅多に見られない面白い景色だったので思わず笑ってしまった。

短い滞在ではあったが、最大の目的であるパナマ運河を見ることが出来たので満足して空港に向かった。飛行機に乗って1時間ほどでコスタリカの首都サンホセに到着した。

サンホセにはたくさんの博物館や教会があって、見学するところが盛りだくさんである。黄金博物館や民族博物館などがあって、いろいろと楽しめた。街の中心の広場ではお祭りをやっているみたいで、踊りや大道芸を見る事が出来た。

街並みは欧米のようである。オシャレな雑貨屋や、喫茶店が軒を並べているのだ。郊外には素晴らしいショッピングモールもある。俺はそう言う所はチョット苦手であるが、あまりにも凄かったので驚いてしまった。

あまりにも見るところがたくさんあったので、コスタリカの首都サンホセには思わず3泊もしてしまった。ここ、サンホセからはホンジュラスにあるウティラ島と言う所を目指して移動する事になる。その途中に面白そうなところを見つけたら、そこを見学しながら北上しようと考えた。

昨日のうちに国境近くの町まで行くバスの事を調べ、良さそうなバス会社を見つけることが出来た。今朝はそのバス会社のバスに乗って出発しようと思いそのバス会社に行く。しかし、バス会社の人は、今日のバスは無いと言い出した。バスは明日じゃないと出発しないと言うのだ。俺が「昨日の話と違うじゃないか」と問い詰めても、バス会社の人は「明日じゃないとバスは出ない」と言うだけであった。理由を説明してくれている様だか、俺にはサッパリ分らない。しょうがないので他のバス会社にも行ってみたが「明日じゃないと出発しない」と言うだけであった。最後に回ったバス会社は、もうすぐ国境近くのリベリア行きのバスが出発するという。やっと今日出発するバスを見つけたので、それに乗って出発した。

バスで移動していると、途中からすごい雨が降ってきた。ヒドイ雨模様である。そのうちにバスは渋滞にはまってしまった。何時間も車は全然動かないのだ。理由を聞いてみると、橋が壊れて通行止めになっているというのだ。その場で3時間ほど足止めを食らってしまった。最後にはバスを降ろされて、歩いて橋を渡る事になってしまった。

たぶん、サンホセのバス会社は大雨で橋が通れなくなっていた事を知っていたので、明日でないとバスは出ないと言ったのだろうが、もう後の祭であった。

国境近くのリベリアに到着した時には深夜だった。俺が乗ってきたバスはリベリアを通り越して国境まで行くというので、そのまま国境まで行ってしまうことにした。一緒のバスに乗ってきた親子と仲良くなって、出入国管理事務所の外で野宿する事になった。この旅始まって以来の野宿である。ビックリしてしまったが野宿する以外に方法が無いらしいので野宿する。だが、これはホンジュラスのウティラ島までの長い道程の始まりでしかなかった。

朝、国境で目を覚ました俺は仲良くなった親子と一緒に国境を越えてニカラグアに入国する。そこで親子と別れて、俺はグラナダと言う町を目指す事にした。ニカラグアにはニカラグア湖と云う湖があって、グラナダはその湖に面した町である。グラナダに到着してから30分ほどホテルを探しまわった末になんとか見つけることが出来たので、すぐにチェックイン。昨日から風呂に入ってなかったのでさっそくシャワーを浴びる。気持ちよい。少し落ちついてから、ニカラグア湖を見に行った。大きな湖だった。この町には銀行があったので両替をして、そのまま市場も見学してるうちに1日は過ぎて行った。

次の日はニカラグアの首都のマナグアに行く。首都と云うぐらいだから、博物館や見所があるだろうと思ったが、期待ハズレだった。マナグアの街はとても広くて歩いて周るのは不可能である。どこに行くにもバスやタクシーを使う事になる。地図を持っていない俺にとってはとても不便な街なのだ。そんな訳で、すぐにホンジュラス目指して移動することにした。

マナグアからエステリと言う町に行く。マナグアのホテルのオヤジに教えてもらったとおりに、市内バスに乗ってバスターミナルに到着した。たった1泊だったけど、マナグアのホテルのオヤジには、いろいろと親切にしてもらった。

マナグアのバスターミナルから、エステリ行きのバスに乗る。オンボロバスに人も荷物も満載での出発である。ギュウギュウ詰のバスはお昼前にエステリに到着した。さっそくホンジュラス行きのバスを確認する。その後にホテルを探しを始めたのであるが、なかなかホテルが見つからない。俺はこれ以上ホテルを探すのがイヤになってしまった。

まだ、お昼過ぎだったのでエステリには泊らずに、このまま移動してしまうことにしたのだ。エステリからもう1回バスに乗って、もう少し先にある国境近くの村まで行ってしまうことにした。その村には暗くなる前に到着することが出来た。ホテルは20分ぐらい歩いたら見つけることが出来た。この村の名前はオコタルと言うらしい。

オコタルはとっても素朴な村である。突然、得体の知れない外人がやって来たので村人達はビックリしている様だが、ホテルの人や食堂の人はとても親切にしてくれた。子供達も素朴で良い子ばかりである。ホテルの人に国境までの行き方を聞いてみると、国境までのバスは頻繁に来るらしい。

次の日の朝。ホテルの人に教えられた場所でバスを待つ。30分ほど待つとバスがやって来たので、それに乗って国境まで行く。ここでやっとウティラ島があるホンジュラスに入国することが出来た。とりあえずはホンジュラスの首都のテグシガルパに向う。国境からテグシガルパまで3回ほどバスを乗り換えてようやく到着した。

バスで移動している間に雨が降った。そう言えば、パナマからここまで、ほとんど毎日雨が降っていたような気がする。ひょっとするとこのあたりは今が雨季なのかもしれない。

バスが到着した所はテグシガルパの郊外のようであった。とりあえず、街の中心に行ってみる。市内バスを乗り継いで、街の中心部に到着した。安いホテルを聞いてみるとすぐに見つけることが出来たのでそのままチェックインした。

今、俺が目指しているウティラ島へは船で行く。ウティラ島行きの船はラ・セイバと言う港町から出ているらしいので、早速ラ・セイバ行きのバスターミナルを探す。街を見て歩いている途中でラ・セイバ行きのバスターミナルを見つけてたので、出発時間などを聞いた。明日はここから出発することになる。

朝、ラ・セイバ行きのバスは1時間ほど遅れて出発した。窓からの景色は久しぶりに良い景色だ。途中からは海も見ることが出来た。夕方になってようやくラ・セイバに到着した。この街には観光客がたくさんいて賑っている。無料のガイドブックなどもあって旅行者に親切な街である。ホテルを決めてからウティラ島行きのフェリーの場所を聞いてきた。フェリーが出航する港は街から結構離れた所にあり、港まで行くバスは出てないと言う。どうやら港までの交通手段はタクシーしかない様である。しょうがないので明日の朝はタクシーで港まで行くことにした。

コスタリカの首都のサンホセからラ・セイバまではほとんど見る物がなく、新しい町に着いたらホテルを探す事とバスターミナルを探す事だけでとても疲れてしまう旅だったが、こんな旅も明日でおしまいである。明日からはウティラ島で、のんびりとダイビングをする予定だ。

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