いざゲリラの国へ

俺と森川(仮名)君はバニョスから真っ直ぐコロンビアの国境に向かった。バスの中から見える景色はとても素敵だ。今日は国境の近くにあるトゥルカンという街まで行く。トゥルカンに到着したのは夜の10時半だった。森川君がホテルを調べておいてくれたので、そのホテルに泊る。夜に街の中をウロウロ出歩くのは怖かったので、夕食を食べてすぐに寝た。いよいよ明日、コロンビアに入国である。

コロンビアでは夜行バスに乗るのは危険である。だから、移動は朝早くに出発して夕方到着するようにしなければならない。夜に移動するとゲリラに襲われる危険性が増えるらしいのだ。

トゥルカンの町を朝早くに出発する。国境にはお昼前に到着できた。ドキドキしながらのコロンビア入国である。今日の目的地はポパヤンと言う町なので、バスに乗ってポパヤンに向かう。コロンビアの景色もとても綺麗である。バスは国境から走りっぱなしなのだが、なかなかポパヤンに到着しないのだ。そのうちに夜になってしまった。ゲリラに襲われたらどうしよう?と、思っていると途中で検問があった。マシンガンを持ったゲリラ風の人がバスに乗りこんできて車内をチェックする。バスの運転手と何事か話をしてからゲリラ風の人はバスを降りていき、再びバスは出発した。ドキドキしたが、何事も無く通過できた。

そんな検問を2、3ヶ所通ってポパヤンに到着したのは夜の10時だった。2人とも夜のコロンビアは恐ろしかったので、バス停からホテルまではタクシーで向かう事にした。森川(仮名)君はキトでスペイン語を勉強していたので、俺なんかよりも上手なスペイン語を話すことが出きるのだ。彼のお蔭でタクシーに行き先を告げるにしてもホテルにチェックインするにしても簡単におこなう事が出来た。

次の日の朝はポパヤン市内を森川(仮名)君と一緒に散歩することにした。なかなか素敵な街並みである。朝飯を軽く食べて、両替所でお金を両替してホテルに戻ってきた。

ここで、森川君の意外な弱点を発見した。森川君は方向音痴なのである。これは旅人には致命的な欠点である。ポパヤンの街は碁盤の目に区画整備がされていて、とてもわかりやすい街なのである。それなのに森川君は角を1つ曲がっただけで、ホテルに戻れなくなってしまったらしいのだ。もし、ここで俺と別れると迷子になってしまうというと本人は言っていた。

普段、一人で出歩く時はガイドブックを持って、町の地図を照し合わせて、1つ1つ確認しながら歩くのだそうだ。そして、いざというときのために、ホテルの住所と電話番号を持ち歩くようにしているとの事だ。そんな、方向音痴な森川君でも実際に旅が出来ているのだ。1人旅をする上で方向音痴は大きな問題ではない事を実証してくれている。

午後からはサンアグスティンにと言う村に向かう。ここには遺跡があるらしいのでそれを見に行くのだ。サンアグスティンまでの道は未舗装で、でこぼこだらけである。座ってるだけでお尻が痛くなってきた。しかもスピードが出せないので、いつまでたってもでこぼこ道から抜け出せないのだ。

それでも何とか、大きな舗装された道に出た。綺麗な道に出てからはあっという間にサンアグスティンに到着した。それでも、到着したのは夕方の7時ごろである。暗くなって来ていたので、すぐにホテルを決めた。

サンアグスティンは村全体が観光の村になっているようで、旅行者が沢山いて、治安も比較的良いようである。俺と森川(仮名)君も明日は1日いっぱい観光をする事にした。そして馬に乗って遺跡を巡るツアーに参加することに決めた。

朝早くにツアーは始まった。俺と森川(仮名)君とガイドのおじさんの3人だけのツアーである。俺はブラジルで馬に乗った事があったが、森川君は馬に乗るのは初めてのようだ。それでも、馬の乗り方をチョット練習するだけで、我々のツアーが始まった。

特に問題は無く、3人で馬をパカパカと走らせていく。森川君が馬に乗るのに馴れてきた頃に最初の遺跡に到着した。馬をその辺の木に繋いで3人で遺跡を見にいった。大きな石を削って人間を彫っている石像が沢山あった。紀元前に作られた物もあるらしいのだ。あまりの古さに驚いてしまった。

我々が遺跡を見ている間に、馬は草を食べてゆっくり休んでいるみたいだ。2番目の遺跡まではかなりの距離がある。しかも、途中には馬でしか行けないような道もあった。なかなか面白いコースを通って、2番目の遺跡に到着した。この遺跡は渓谷の上にある遺跡だ。一歩間違えると崖下に落ちてしまいそうな急な場所に遺跡はあるのだ。こんな所にも石を彫って作られた石像が沢山あった。しかも、この渓谷の眺めがとても素晴らしいのである。遺跡にも景色にも感激してしまった。

最後のに訪れた遺跡は偉い人のお墓の遺跡だった。偉い人のお墓にしては小さい様な気がしたけど、それでも立派なお墓だった。このお墓にも石を彫って作られた石像がいたる所にあった。この遺跡に到着した頃には俺も森川君も疲れていた。この遺跡にある茶屋で少し休んで行く事にした。馬ツアーはだいたいこんな感じである。とても疲れてしまったが面白かった。

馬ツアーが終わったのは2時頃だった。終わった場所が博物館の近くだったので、このまま博物館も見てしまう事にした。建物の中に入ると色々な出土品が展示されていて素晴らしかった。博物館には庭のような公園も付いていたので、そちらも見学する。公園の方はとても広くて、石像がいたる所にあるのだ。どうやら、石像はそこで発見されたらしく、発見された場所をそのまま公園にして、展示してあるらしいのだ。感激である。

森川(仮名)君は博物館や遺跡にはあまり興味が無いらしく、展示物を見ながらどんどん先に進んでしまった。俺は遺跡や博物館が大好きなので、展示物を一つ一つ見て行く。すると、俺は森川君からどんどん遅れてしまった。結局、森川君よりもかなり遅れて、全部見る事が出来た。森川君は入り口のベンチに座って俺を待っていてくれた。

朝から馬に乗って遺跡を巡り、午後からは博物館や公園を歩きまわったので、とても疲れてしまった。博物館からはバスでホテルに戻って、少しのんびりとした。

夕食を食べに行く前に少しサンアグスティンの街を見て歩く。途中で明日のバスの乗り場と出発時間を聞いてきた。するとポパヤンに戻るバスは朝の7時に出発するそうである。それまでに荷造りを済ませて、バス停まで行かなければならないのだ。明日は気合を入れて早起きしなければならない。

次の日、我々は7時10分前にバス停に到着。バス停のオヤジに聞くと、もうすぐバスが来るらしいと教えてくれた。しかし、30分待っても40分待ってもバスは来ない。南米では3、40分の遅れるのはいつもの事なのでしょうがないと思いながらバスを待つ。しかし、1時間待ってもバスは来ないのである。

普段、ほとんど怒らない俺がイライラしてしまった。かなりイライラしてしまい爆発寸前である。森川(仮名)君もビックリしてしまっていたが、このイライラは押さえようがなかった。イライラの原因はバスが遅れてる事である。せっかく早起きしてバス停まで来たのに、バスが遅れるとはなにごとだ!

1時間以上待ってもバスが来るような気配すらない。俺のイライラは溜りまくっていた。しかし、バス停のオヤジにこのイライラをぶつけた所で、どうにもならないのは判っている。イライラをぶつける所が無いので、さらにイライラは溜まっていった。自分ではこのイライラを鎮めることが出来なくなっている。何かに怒りをぶつけなくてはこのイライラはおさまりそうもないのだが、ぶつける物すらないので余計にイライラするのである。

1時間半も待たされて、やっとバスが到着した。俺の怒りは爆発寸前だ。運転手に文句を言おうとしたが、我々はあわただしくバスに乗せられて、すぐにバスは出発した。そうしているうちに俺のイライラは不思議とおさまってしまった。運転手も遅れを取り戻そうとして必死だったのであろう。やっぱり普段からイライラしないほうが精神的にも良いようである。ポパヤンに到着して美味しい物を食べたら、イライラはすっかり無くなった。

ポパヤンで1泊してからカリと云うコロンビア第3の都市に行く。この街には日本人宿があるので、そこでいろいろと情報を収集してから今後の計画を決める事にしていた。

ここの宿はとても居心地が良いところで旅人を骨抜きにしてしまう。ホテルの近くに日本人協会があって、ここで日本語の本やビデオを借りてきてホテルで見ることが出来るのである。とても居心地が良いホテルでついつい長居してしまうのだ。

俺はこの街からパナマに飛行機で飛ぶことにした。パナマは片道航空券では行けならしい。出国するチケットを持っていないと入国できないというのでパナマに寄ってからコスタリカまで行くチケットを買った。

森川(仮名)君はキューバに行くというので我々はカリで別れることにした。ひょっとしたら我々はメキシコでもう1度再会するかもしれない。森川君はカリにやって来て3、4日後にキューバに向かって出発した。しかし、俺がカリを出発した時には滞在期間が2週間以上になっていた。危なくカイロと同じ運命になるところである。

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