チリ生活

チチカカ湖を出発した俺が次に目指すのはチリである。チリには俺の親戚のおじさんとおばさんが住んでいるのだ。おじさんとおばさんは俺が南米に来ていることを聞きつけて、「ぜひ、家にいらっしゃい」と声を掛けてくれたのだ。そんな訳でチチカカ湖を出発してからはチリのおじさんとおばさんの家を目指して移動を始めた。

プーノを出発した夜行バスは朝早くにチリとの国境の町、タカナに到着した。タカナからは乗り合いタクシーに乗ってチリに入国する。ペルーとチリの国境は砂漠のど真ん中にあった。この国境で俺は荷物を開けられてしまった。荷物を開けられるのなんて、パキスタンを出国する時以来である。こんな厳しい国境は久々なので驚いてしまった。

チリは南太平洋に面した南北に長細い国である。俺はチリの1番北にあるアリカという町から入国した。おじさんの住所は教えてもらったのだが、その住所がチリのどの辺りにあるのかは判らないのだ。できれば北の方に住んでいて欲しいと思いつつおじさんに電話してみた。すると、おじさんの家はチリの南の端に在ることが判明。俺は北から南までチリを縦断しなくてはならなくなったのだ。距離にして2000キロ以上の長旅である。俺はバスを乗り継いで、ひたすら南に向かうことになった。

移動中のバスの中から太平洋が見えた。この太平洋の反対側に日本があるのだと思うと感慨深いものがある。チリを南下する途中で、イキケという海岸沿いの町に寄った。夕方の海岸に出て海を眺めた。今、俺の目の前に広がっている海の向こうに日本があるのだ。しばらくの間そこで太平洋を眺めていた。

海岸で太平洋を見ながら今までの旅の事をいろいろと振り返った。2、3ヶ月で終わってしまうと思っていた俺の旅は地球をぐるっと周って太平洋までやって来てしまったのだ。目の前に広がる太平洋を渡ってしまえば地球1周をしてしまう事になるのだ。今まで考えもしなかった地球一周が現実味を帯びてきた。

とにかく、バスに乗ってひたすら南に向かう。夜行バスを乗り継いでおじさんの家を目指すのだ。今、俺が走っている道路はパン・アメリカンハイウェイと云う南北アメリカ大陸を結んでいる道路である。パン・アメリカンハイウェイという名前はどこかで聞いた記憶があった。なんと、アラスカに行った時にその名前を聞いていたのだ。その時、アラスカで「この道は南米のチリまで続いている道だよ」と、教えてくれたのだ。その時はアラスカから続いているパン・アメリカンハイウェイの南端に行くことになるとは夢にも思わなかった。

今、俺はアラスカにいたときに通った事がある道を通ってるのだ。不思議な感じがする。俺のおじさんの家はこのパン・アメリカンハイウェイの南端にあるのだ。ここから引き返して、ひたすら北上するとアラスカまで行き着く事が出来るのだろう。

バスから見える景色は海と砂漠だった。この景色が結構綺麗だったので2000キロのバス移動も苦にはならなかった。夜になると星が見える。ここは南半球なので、南十字星も見えているはずである。しかし、俺には南十字星と偽十字の見分けがつかなかった。夜行バスを乗り継いで、やっとおじさんとおばさんが住んでいる町に到着した。バス停にはおばさんが迎えに来てくれていた。

おじさんとおばさんが住んでいるのは小さな町である。大きな湖が近くにあるチリの小さな田舎町なのだ。とてものんびりとしている。近くには富士山に似ている形の良い山がある。しかし、現地の人達に言わせると、富士山に似ているのではなく、富士山が似ているのだそうだ。ごもっともな話しである。

おじさんの家には日本の本や新聞があったのでそれを読ませてもらった。俺にとっては久々の日本語だったのでとても新鮮だった。2日ぐらいの遅れで日本の新聞も届くみたいである。日本の情報はこんな地球の裏側までちゃんと入ってくるようである。

おじさんはこの町で寒天工場を経営している。寒天を作ってアメリカや日本に輸出しているそうなのだ。この町に到着して数日後に、俺は1ヶ月ほどおじさんの工場で働いてみる事に決めた。そうと決まればすぐに働きはじめる。最初に工場を案内してもらってから働く。ここの工場で実際に働いているのは地元のチリ人である。俺はその人達と一緒に働くのだ。言葉が全然通じないのだが仕事内容は単純だったので、彼らが教えてくれる通りに仕事をこなす事が出来た。うるさい工場の中の作業なのでほとんど会話は無いのだが、それでも仕事をするのに必要なスペイン語を少しづつ覚えていった。

この工場で覚えたスペイン語はとても役に立たないものであった。ホウキやチリトリや寒天を包む布だとか日常生活ではほとんど使わない単語を覚えたのだ。いっしょに働いてる人達ともある程度は仲良くなったのだが、俺のスペイン語能力ではそれ以上仲良くなるには限界があった。

俺はこの工場の色々な部署で作業させてもらった。寒天工場の作業は二人か三人で協力してやる事が多いのだ。組む人によってやり方がかなり違った。適当な人もいれば几帳面な人もいるのだ。どこの国にも色々な人がいるのである。

工場の休みの日に1泊旅行でアンデスの麓の温泉に行って来た。チリにはアンデス山脈があるので温泉も多いのである。しかし、こちらの温泉は日本の温泉とはちょっと雰囲気が違うのである。温泉と言うよりはプールと言った方がいい。それでものんびりと温泉を楽しむことが出来た。温泉の近くに小さな山があったので登ってみる。頂上まではすぐに登る事が出来て見渡しが良い場所にでた。そこからの景色はとても綺麗だった。

他の日にはおじさんとおばさんが近くのレストランに連れていってくれてチリの料理をご馳走してくれた。山盛りいっぱいのウニや貝等の海産物をたくさん食べさせてくれた。その他にもおばさんとは色々な事を話した。お互いに日本人の話し相手がほとんどいない環境なのでたくさん話をした。久しぶりの日本語の会話だったのでとても楽しかった。

おじさんの寒天工場では1ヶ月ぐらい働いた。この1ヶ月の間にこれからの旅の日程を考えてみた。アルゼンチンはとても物価が高いらしいので、今回は行かないことにした。ここを出発した後は、南米大陸をひたすら北上することにしたのだ。ペルーやエクアドルを通ってコロンビアまで行き、そこから更に北上してメキシコまで行くことにした。メキシコには太陽と月のピラミットがあるとおじさんが教えてくれたので、それを見にいくことにしたからだ。その他にも色々な観光地を教えてもらった。おじさんとおばさんには1ヶ月以上お世話になったのだけど、とても良くしてもらった。すごく感謝している。

寒天工場の仕事が終わってから、メキシコ目指してパン・アメリカンハイウェイをひたすら北上して行くことにした。おじさんが仕事でブラジルに行くというので、チリの首都のサンチャゴまで一緒に連れて行ってもらうことにした。サンチャゴまでの移動は飛行機である。サンチャゴでおじさんと別れて、一人旅に戻った。

チリの首都のサンチャゴから北上開始である。夜行バスで1泊の距離にアントファガスタという街があったのでそこに向かった。このアントファガスタと言う街からウユニ塩湖と言う所に行く道が通じてるのだ。俺はボリビアにあるウユニ塩湖に行こうかどうしようか迷っていた。ウユニ塩湖は標高が高い所にあるので寒いらしいのだ。俺は夏用の装備しかないので、ウユニ塩湖の情報を集めてから今後の進路を決定することにした。アントファガスタの街のインフォメーションでウユニ塩湖の事を聞いてみた。今のウユニ塩湖の気温は0度らしい。このままの俺の装備でウユニ塩湖に行ったら凍死してしまいそうなのでやめた。

ウユニ塩湖を諦めた俺はチリの海岸線をひたすら北上することにした。アントファガスタを出発して夜行バスに乗って国境の町アリカに向かい、そこから再びペルーに入国した。

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