続・ハンモック生活

やっとペルーに入国できた。ここから船でイキトスまで向かう。ペルーの船はとても小さくてオンボロな船である。たくさんの人が所狭しとハンモックを吊っている。俺も負けずにハンモックを吊るすが、とても窮屈である。更に食事がとても不味かった。主食はゆでバナナである。そのバナナがとても不味いのだ。しかし、食事がそれ以外に無いので、それを食べるしかないのだ。それにしてもなんでこんなに不味いのであろう。

イキトスまでは2日で到着すると言っていたので、それまでの我慢である。この頃になるとハンモックで寝るのもイヤになってきた。イキトスに到着すればそこからはバスに乗って移動する事ができるのでハンモックでの船旅ともおさらばできる。

気が付くと川幅がかなり狭くなっていた。それでもまだまだ大きな川である事には変りが無いのだが、マナウスのあたりから比べると川幅は確実に小さくなっている。しかし、アマゾン川は形をほとんど変えずに流れている。同じところをグルグル回られても判らないかもしれない。ちなみに、アマゾン川の河口から2000キロ以上も上流にあるタパチンガの町で標高が200メートルもないのだそうだ。驚きである。

今日中にイキトスに到着する予定なのだけど全然到着しない。そのうちに夜になってしまった。きっと船は遅れているのだろう。明日には到着するはずだが、実際のところはわからない。

船は夜中の3時ごろにイキトスに到着したらしいのだ。船の中があわただしくなって、お客はほとんど降りていってしまった。本当は朝まで船にいたかったけど、追い出される様にして船を降ろされてしまった。港にはオートリキシャが集まっている。早い話が3輪バイクのタクシーである。しょうがないので街の中心部の安宿まで乗せてもらう事にした。あわただしくも、イキトスに到着したのである。

次の日の朝、朝食を兼ねて街の探検に行く。イキトスの街は思ったよりも小さくて見やすい街である。歩いているうちに銀行を発見したので、さっそく現金を引き出してみる。簡単に現金を引き出す事が出来て大成功である。これでお金の心配はしなくても良くなった。イキトスからはバスに乗ってかつてのインカ帝国の首都、クスコに向かう予定である。そこからマチュピチュを見に行こうと思っているのだ。

早速バスターミナルを探してみたのだけれど、なかなか見つからない。旅行会社を発見したのでクスコ行きのバスを聞いてみた。なんと、ここで重大な真実を知ってしまった。イキトスは陸の孤島になっていて外の街とは道路が通じてないらしいのだ。イキトスよりも更に上流の町まで船で行かなければ道路が通ってないのだという。それ以外の方法としては飛行機で飛んで行くという方法があるが料金が高すぎる。

しょうがないので船でさらに上流の町プカルパに行くことにした。イキトスからプカルパまでは船で4日ぐらいかかるらしい。やっと船旅から解放されたと思っていたのに、更に4日も船の上のハンモック生活が延びてしまった。ついでにプカルパ行きの船の出発予定を聞くと、明後日だと教えてくれた。どうしようもないので今日と明日はイキトス観光をする事にした。

気分を変えてイキトスの市場を探索する。結構大きな市場だったのでいろいろと見て回る。そこで食事を食べる事も出来た。久々に美味しい食事を食べた。洋服屋さんにマネキンが飾ってあるのが目に入った。そのマネキンを見て笑ってしまった。店の中にあるのは全部同じマネキンである。色々な洋服を着せてカツラを被せて目や口紅を描いてお店に飾ってあるのだが、お店の人が目やまつげや口紅を描くので上手に出来たマネキンとかなり下手なマネキンが同じ所に並べられているのだ。なかには目をクリ抜いて電球をはめ込んでいるマネキンまである。店主が試行錯誤して作り上げた、工夫いっぱいのマネキン達がいたる所にあるのだ。最高に笑えた。

しかも隣の店に行っても工夫の凝らされたマネキン達がいっぱいいるのだ。その隣の店も同じようになっている。更に隣の店も同じである。街中のマネキンがその様になっているのだ。しかし、元は同じタイプのマネキンである。工夫を凝らしてオシャレにしても限界がある。しかも、オシャレの方向がちょっと違うのである。

そのマネキンがある風景はとても面白く、洋服屋さんの前で腹を抱えてゲラゲラと笑ってしまった。店員さんは何が可笑しいのか判らなかったようで俺の事を不思議な目をして見ていた。

イキトスには動物園があるというので行ってみる事にした。動物園は思っていた以上にたくさんの動物がいた。大型の動物はあまりいなかったが、動物園自体はかなり広くていろいろな種類の動物達を見る事が出来た。園内にはアマゾン川の河岸があって、まるで海の浜辺のようになっていた。見応えのある動物園だった。

ペルーでは大統領選挙の真っ最中のようでイキトスの街でもあちこちで選挙活動が行われている。いたる所で小さな集会が開かれていて、ポスターやビラをいたるところで見ることが出来た。

夕食後にホテルに帰ってきてのんびりしていると、外で花火の音がした。ホテルの人に聞いてみると、街の中心で花火を上げているのだという。近くだったし、人がたくさん出ているので行ってみることにした。綺麗な花火を見る事が出来た。花火大会はすぐに終わってしまったので、俺はソフトクリームを買って帰ることにした。この花火大会も大統領選挙のイベントの一環だった様である。

朝、ホテルをチェックアウトして港に向かう。港でプカルパ行きの船を捜す。すぐに見つかったので、ハンモックを吊るして場所を確保する。出発は夕方5時なのだそうだ。まだ午前中だったので船を下りて港を探索しつつ、昼飯も食べてくることにした。港はたくさんの人が行き交っており活気がある。

昼飯を食べ終えて船に戻ってきた。すると俺のバックパックが無くなっているのだ。近くにいる人に聞いてみると知らないとの事。どうやら俺のバックパックは盗まれたようだ。大ピンチである。あの中にはパスポートから銀行のカードから残り少ない現金から何から何まで入っているのだ。俺の手元に残された物は吊るしてあるハンモックと、今着ている服とポケットの中に入っている小銭だけである。

俺は慌てふためき、あっという間に冷静さを失ってしまった。パニックである。周りの人に状況を判ってもらおうとしてもここはスペイン語の国である。英語すら通じないので俺には何も出来ない。そこに英語の出来る人が来てくれた。彼が通訳になってくれて状況を説明してくれた。そして、俺のバックパックは知らない男に持って行かれたことが判明。彼は警察の場所を俺に教えてくれて、すぐに警察に行くように言ってくれた。しかし、警察に話したところでバックパックが戻ってくるわけでもなく、絶望的な状況が改善されるはずがないのは知っている。だがしかし、今の俺には日本大使館やその他の救済機関に連絡を取るだけのお金も残されていない。今の俺には警察に行くしか出来る事はないのである。

港の警察に行く前に、船の船員にバックパックを盗まれた事を話してから行くことにした。すると、船員は俺を船の荷物置き場に連れて行く。荷物置き場には俺のバックパックがあった。俺のバックパックの事を船員が覚えていてくれて、泥棒に取られそうになったのを奪い返してくれたのだ。

なんと、俺のバックパックは奇跡的に戻ってきたのである。通訳をしてくれた人と俺のバックパックを奪い返してくれた船員に大感謝である。俺はすべての物を失わずに済んだのだ。

全財産が入っているバックパックが戻ってきて安心した俺は高揚した気持ちを静めながら船が出発するのを待っていた。しかし、出発時間の5時を過ぎても船は出発しない。変だと思って船員に聞いてみると出発は明日の5時だというのだ。出発が1日延びてしまったらしいのである。結局、港に停泊している船の中で一泊する事になった。

バックパック事件のおかげで俺の近くにいた親子と仲良くなった。絵を描いたり筆談をしながら友好を深める。出発時間が近づいてくると、どんどん乗客が増えてきて船の中は混んできた。そして、出発時間を1時間30分も過ぎてから、船はようやく出航した。

今回の船は国境の町タパチンガからイキトスまでの船より大きな船でハンモックを吊るすのにも少しはゆとりがある。食事もそれほど不味くは無い。それでもあと4日間は船の中で同じ食事を食べなくてはならないのだ。更に、今まで毎日ハンモックで寝ていたせいで腰がいたくなってきた。困ったものである。

仲良くなった親子との会話からスペイン語を習得しようと試みる。この4日間のうちに挨拶ぐらいは出来るようになった。お俺も日本語を彼らに教えてあげる。そうやって少しづつスペイン語を覚えていった。

これが最後のアマゾン川の船旅のはずである。景色を目に焼き付けておく。この辺のジャングルの植物はブラジルから比べると大きい様な気がする。景色を見ていると近くに山が見えた。そう言えば、船の中から山を見たのはこれが始めてである。今まで3週間ぐらいアマゾン川を旅してきたのに初めて山を見たのである。アマゾンには広大な平野が広がっているのであろう。

イキトスを出発して、4日目のお昼過ぎにようやくプカルパに到着した。これでハンモック生活ともお別れできる予定である。

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