山と海とタンザニア

サファリパークから帰って来て直ぐにナイロビを出発することにした。俺にはリオのカーニバルという目的があるのだ。これ以上ナイロビに留まっていてはリオのカーニバルに間に合わなくなってしまうかもしれない。すぐに移動する。次の目的地はケニアの南にある国、タンザニアである。

フロカツ(仮名)さんはのんびりとチヤリンコで移動するのでここでお別れである。「と」(仮名)もナイロビでチヤリンコを買って旅をするらしいのでここでお別れである。俺は一足お先にタンザニアに出発した。目指すはキリマンジャロの麓の町、モシである。ユキエ(仮名)ちゃんとアミン(仮名)ちゃんの3人で一緒にタンザニアに行くことになった。

バスを乗り継いで国境を越えてモシに向かう。夕方にはモシに到着した。俺がサファリホテルで竜岡(仮名)さんから教えてもらったホテルを捜す。すぐに見付かったので3人ともそこにチェックイン。1日中移動したのでとても疲れていた。

この町はキリマンジャロ登山の基地になっていた。キリマンジャロ登山のツアーを企画している観光会社もあるほどだ。俺がこの町に来た目的はキリマンジャロを見るためである。しかし、キリマンジャロはいつも雲に覆われていて、なかなか姿をあらわしてくれない。竜岡(仮名)さんが教えてくれた通りキリマンジャロの姿を見るのは簡単ではない様子だ。

モシの町を散歩してホテルに戻ってくると浩史(仮名)君がいた。俺達よりも1日遅れでモシに来たのだ。今夜は4人で夕食を食べることにした。肝心のキリマンジャロはまだ雲の中である。

キリマンジャロの姿を見ることが出来たのはモシを出発する日の早朝である。4人で朝のお散歩に出かけた時に、ようやくキリマンジャロを見ることが出来たのである。雲の間から現れたキリマンジャロはとても大きくて高かった。そしてキリマンジャロはすぐに雲の中に姿を隠してしまった。短い時間だったけど4人でキリマンジャロを満喫してホテルに戻ってきた。

すぐにモシを出発するのでキリマンジャロを見た後は荷造りを始めた。荷物をチェックしていたら、なんとお金だけ無くなっているのだ。他の3人にも聞いてみたら浩史(仮名)君とアミン(仮名)ちゃんのお金やトラベラーズチェックも無くなっていた。泥棒に入られて盗まれたのだ。まずは警察に届ける。部屋のカギはちゃんと閉めていたしそのカギを持って朝の散歩に出かけていたのだ。誰か盗んだのかは解らない。ホテルに泊っていた他の客も怪しいしホテルの従業員も怪しい。とにかく怖いので、警察に行って事情を説明する。書類を作ってもらったりしているうちに午後の2時。今日はいきなり起こったトラブルに振りまわされてしまい移動どころではなくなってしまった。警察に紹介してもらったホテルでもう一泊モシに滞在する事になってしまった。

次の日、なるべく早く出発する。警察にボディーガードをしてもらってバス停まで行き、すぐにバスに乗ってモシから出発した。皮肉な事に今朝のキリマンジャロが一番くっきり見えていた。キリマンジャロは高くて大きな山だ。富士さんの2倍近くの高さがあり、圧倒されそうな大きさだ。

モシを出発してタンザニアの首都のダルエスサラームに向かう。バスは1日中走りまくって、ようやくダルエスサラームに到着した。浩史(仮名)君がホテルを捜してくれていて4人でそこに泊まることにした。

ダルエスサラームでは泥棒に遭った事を日本大使館に報告、それからアミン(仮名)ちゃんと浩史(仮名)君のトラベラーズチェックを再発行してもらいに行ったり、お金を両替をしたり、結構やる事がある。盗まれた現金はもう戻ってこないので諦めるしかない。

そうやって動き回ってる間に、ユキエ(仮名)ちゃんや浩史君が「ザンジバル島」の情報を聞きつけてきた。話を聞くと、とても素敵な島なのだそうだ。俺も行ってみたいのだが、俺にはリオのカーニバルが待っている。既にサファリパークで時間を費やしているし、これ以上日程を遅らせてしまうと本当にリオのカーニバルに間に合わなくなってしまうかもしれないのだ。

だが、サファリパークに誘ってもらえて本当に良かったと思っているのも事実だ。ザンジバル島もサファリパークと同じぐらい素敵な場所かもしれない。もう一度、ジンバブエの首都のハラレまでの道のりを確認して、あと何日かかるか計算してみる。根拠の無い日数計算であるがリオのカーニバルに間に合いそうなので、ザンジバル島に行ってみることにした。

ダルエスサラームから船で6時間ぐらいの所にザンジバル島が浮かんでる。船は結構揺れたけれど俺はほとんど寝ていたので船酔をしないままにザンジバル島のストーンタウンと云う町の港に到着した。我々がザンジバル島に到着したのは夕方だったので浩史(仮名)君が調べてくれていた近くのホテルにチェックイン。海岸にたくさんの屋台が出てるのでそこで夕食を食べる事にした。海の幸が豪快に鉄板焼きにされている。各自食い物を物色して海産物をタラフク食べる。美味い。

屋台の店主の中に日本語を使う親父がいた。彼は「ザンジバルのお好み焼き」屋さんを自称する。彼は簡単な日本語を喋ることが出来る。しかもかなりの語学力である。俺も少しだけ日本語を教えてあげたのだが、彼はそれをいっしょけんめい覚えて正しい使い方もマスターしようとがんばる。その勉強熱心な姿を見ているとその親父の店でお好み焼きを買いたくなってしまう。鉄板に何かの生地を薄くのばしながら焼いてシーフードの具材を包み込んで「ザンジバルのお好み焼き」の出来あがり。なかなか美味しかった。欧米人の観光客を見つけるとその親父は「ザンジバルのピザ」と言って客引きしていた。なかなかの商売上手で楽しい親父で楽しいある。

次の日、ストーンタウンの観光をしながら海で遊ぶ事にした。このザンジバル島はインド洋に浮かんでいて、とても綺麗で素敵な海に囲まれていた。今日は1日中海で遊んだのでヘロへろに疲れてしまった。夕食は昨日と同じように海岸の屋台で海の幸に舌鼓。

浩史(仮名)君は明日からザンジバル島の反対側に行くという。島の反対側にこそ本当のザンジバル島の魅力があるのだそうだ。ザンジバル島では浩史君におんぶにだっこ状態の俺は浩史君にくっついて島の反対側に行く事にした。

ローカルバスに乗って島の反対側にあるパジェという村に行く。バスがストーンタウンの中心部から離れると、道はでこぼこの砂利道になった。ホコリモコモコ、座席ガタガタ、バストロトロ、最悪の道である。そしてやっとパジェに到着した。

ここのホテルは浩史(仮名)君が下調べしてくれていたので4人ともそのホテルに向かう。浩史君が調べてくれていたパジェのホテルは日本人女性がオーナーをしている海岸沿いの素敵なホテルだ。我々が行った日はその日本人女性はダルエスサラームに行っていたので居なかったのだけど、替りに現地人の従業員がちゃんともてなしてくれた。彼は英語も喋ることが出来る。

環境は最高である。完全に海辺のリゾートなのだけど、素敵なお店屋さんもなければお洒落なカフェも無し。ホテルの設備も最低限しか無く、電気すら来ていないようだった。それでいて、生活する分にはほとんど不自由を感じないぐらい細かい処まで配慮が行き届いてるのだ。

のんびりと時間が流れていく貸切ビーチ付きの楽園のようである。遠浅の海で遊んだり、のんひりと浜辺のハンモックで揺れながら本を読んでるうちに1日が過ぎてしまう。夜は星や月が綺麗に見えるので月明かりを頼りに浜辺をお散歩する。我々の視界に入る所には他の観光客はほとんどいない。うるさいネオンも見えないし、機械から聞こえる音楽も流れてこない。ここには自然の物しか存在しないようだ。

ここの生活はとても快適である。時間を忘れてしまう心地よさだ。しかし、俺にはリオのカーニバルという目的があるのだ。ここで足止めされる訳にはいかない。明日、島を出る事を決意する。

最終日はみんなでシュノーケリングのツアーに行く事にした。イルカと一緒に泳げるのだそうだ。小さな船で海に出るとすぐにイルカとご対面できた。イルカは船の周りを泳いでいる。しかし、我々が海に飛び込むとイルカはビックリしてしまったのか、どこかに行ってしまった。しかし満足の出来るツアーになった。

ユキエ(仮名)ちゃんはもう少しパジェに残るというので、浩史(仮名)君とアミン(仮名)ちゃんと俺の3人はここでユキエちゃんとお別れしてザンジバル島を出発することにした。ザンジバル島を出る船は深夜12時の出航である。夕方にストーンタウンに戻り海岸の屋台で夕食を食べる事にした。するとその屋台に何故か「と」(仮名)がいた!

「と」はナイロビからチャリでダルエスサラームまでやって来てそこの宿にチャリを預けて、ザンジバル島にやって来たそうだ。ここには今日着いたばっかりで、これからパジェにも行ってのんびりとリゾートを楽しむのだそうだ。久しぶりに再会した「と」を含めて4人で夕食を食べた。サファリパークの思い出やここまでのチャリンコの旅の話などを聞いて盛り上がった。浩史君は「と」と一緒にもう1泊ここに泊っていくことにするそうだ。俺とアミンちゃんは2人に見送られてフェリーに乗ってザンジバル島を出発した。

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