予定変更

2000年の春まではエジプトにいる予定だったのだけど、その予定は変更してしまうことにした。予定変更の理由はリオのカーニバルである。なぜゆえにリオのカーニバルが出てきたのかと言うと、一緒にシーワオアシスに行ったサユリ(仮名)ちゃんが原因である。

彼女は「世界一周チケット」と云う、魅力的な飛行機チケットを持って旅をしているのだ。そして、今回のサユリちゃんの世界一周の旅の目的はリオのカーニバルなのだそうだ。そのために世界一周チケットもリオのカーニバルの時期にブラジルに到着するように計画を立てて購入しているそうなのだ。サユリちゃんにとってはエジプトなどはリオのカーニバルまでの中継地点でしかないらしい。

シーワオアシスにいる時もサファリホテルでダラダラしている時もサユリちゃんはリオのカーニバルの素晴らしさを語ってくれた。その話を聞いてるうちに俺もリオのカーニバルに行きたくなってしまったのだ。まんまとサユリちゃんの術中にハマってしまったようだ。

カーニバルはブラジルのリオデジャネイロで毎年2月の終わり頃におこなわれるのだそうだ。サファリホテルには実際にカーニバルに行った事のある人もいて、話を聞けば聞くほど、俺はリオのカーニバルの魔術から抜け出せなくなっていった。

サユリ(仮名)ちゃんは世界一周チケットを持っているのでエジプトの後はヨーロッパを周って、ニューヨークやフロリダで遊んでからブラジルに行くそうだ。もし、俺がサユリちゃんと同じようにブラジルに行こうとすると、飛行機のチケット代だけで膨大な金額になってしまうので無理である。

リオのカーニバルと云う目標の前に、飛行機チケットという問題が浮上してきてしまった。しかし、サファリホテルには膨大な量の情報ノートがありそれで調べてみることにした。

世界には飛行機チケットを安く買う事ができる街と高い街があるのだそうだ。カイロは飛行機チケットが高いので、ここからブラジルに飛ぼうと思うとチケット代が高くなってしまい無理である。俺が目指していたイスタンブールはチケットが安い街なのだそうだが、今は冬である。イスタンブールの冬はとても寒いらしいのだ。俺は寒い所には行きたくない。エジプトで春まで待ってからイスタンブールに行こうと思っていたほどだ。しかし、春まで待っていたら2月におこなわれるリオのカーニバルには間に合うはずがない。そんな訳でイスタンブールは諦めることにした。

南に目を移してみると、チケットが安い街がある。南アフリカのヨハネスプルクやジンバブエのハラレ等が安いらしいのだ。そんな訳でエジプトからは南に進んでいく事にした。これで飛行機チケットの方は問題が解決しそうである。

年明け早々にエジプトから南下してジンバブエまで行き、そこから飛行機でブラジルに行ってリオのカーニバルを目指すことにした。リオのカーニバルは毎年2月に行われるのだけれど、今年は3月に始まるのだそうだ。だけど、カーニバルの前は安いホテルが満杯になってしまうので、最低でもカーニバルの2週間前にはリオデジャネイロに着いていないと困るらしい。

そんな訳で2月の末までにはブラジルに入国していたい。そのためはジンバブエには遅くても2月の中頃までには到着したい。そうやって遡っていくと、エジプトを年明けに出発すればリオのカーニバルに間に合うようだ。そう確信したあたりから、俺はリオのカーニバルに行く事を決めてしまった。旅の予定が大きく変更してしまう事になった。

俺の旅の目標がリオのカーニバルに変わり、年明けにはアフリカを南下することになった。そこで、南米やアフリカの情報を集める事にした。サファリホテルには情報ノートもあるし、アフリカを旅してきた人もいれば南米を旅してきた人もいるので、情報を集める事にはほとんど苦労はない。南米はともかく、まず不安になるのはブラックアフリカである。

俺にとってのアフリカ南下はリオのカーニバルに行くための通過点にしか過ぎなかったので、できるだけ早く移動しようと考えていた。しかし、せっかくブラックアフリカに行くのであるからアフリカ大陸の最高峰のキリマンジャロと世界三大瀑布の1つであるビクトリアの滝ぐらいは見に行こうと思っていた。急いでいるといっても、それぐらいの時間は有りそうだ。

南アフリカから北上してエジプトまでやってきた竜岡(仮名)さんからアフリカ情報を教えてもらった。竜岡さんが利用したホテルやその値段、交通手段やその他の見所を聞く。竜岡さんの一押しの観光地にグレートジンバブエという遺跡がある。俺はそんな遺跡は聞いた事がない。それに俺にはリオのカーニバルと云う目標があったので、あまりのんびりとブラックアフリカを周る訳にもいかないのだ。別にグレートジンバブエなんて行かなくても良いと思ったけど、「騙されたと思って行ってくれ」と竜岡さんに強く薦められた。これだけ薦めるという事はホントに良い処なのだろうと思い、グレートジンバブエには行ってみる事にした。竜岡さんはグレートジンバブエの行き方や近くのホテルも教えてくれたが、どんな遺跡で何が凄いのかは「行ってみれば判る」としか教えてくれなかった。

その他にも竜岡さんからは色々と教えてもらった。エジプトからそのまま陸路で南下するのは時間が掛りすぎるので、エジプトからケニアまでは飛行機で行った方が良い事も教えてくれたので、ケニアまでは飛行機で行くことにした。ケニアからジンバブエまでの間を陸路で移動して、更にこれだけの観光をしても1ヶ月ちょっとの時間があれば余裕があるとの事だ。竜岡さんのアフリカ情報は膨大は量で、俺がメモを取っても分らなくなる感じだった。

そうやって着々とリオのカーニバルに向けて計画が動き出した。俺の心にリオのカーニバルの炎を焚きつけた、サユリ(仮名)ちゃんは12月に入るか入らないかのうちにエジプトを出発してしまっている。彼女はなんともあわただしくサファリホテルを出発して行った。サユリちゃんがいなくなってからもカイロでやらなくてはならない準備が結構あった。

まずは黄熱病の予防接種を受けにいく。こんな事もサファリホテルの情報ノートには書いてあるのだ。それを頼りに黄熱病の予防接種を受けてイエローカードを貰ってきた。怪しげな建物の中に入っていって怪しげな注射をされておしまい。料金も5ドルすらしなかった。予防接種がこんなにあっけなくて良いのだろうか?

破傷風の注射も打ってもらおうと思ったけどそれは時間が無くてできなかった。しょうがないので破傷風はケニアに行ってから打って貰うことにする。もう1つ気になっているのがマラリアである。これには予防注射がないので発病してから治療するしか有効な方法が無いらしいのだ。竜岡(仮名)さんがマラリアについても説明してくれた。マラリアは恐ろしい病気のイメージが有るけれども気を付けていればそんなに恐ろしい病気ではないみたいだ。しかし、頭では理解できても心の中では不安が脹らんでしまう。

ケニアまでの飛行機チケットの値段も調べに行く。ミレニアムが過ぎてすぐの飛行機にしようと思ったのだれど、チケット代が高かったり、満席だったりしたので1月14日の早朝に出発する飛行機になった。

ミレニアムの後にケニアに行こうとしていた人が俺の他にもう一人いたので、彼と一緒の飛行機でケニアに行くことにした。チヤリンコで世界を回っているフロカツ(仮名)さんだ。フロカツさんは料理が上手で彼が作ってくれたカレーは絶品だった。たまにサファリホテルのキッチンを占領して、大きな鍋に大量のカレーを作ってくれてみんなに振舞ってくれた事もある。そんな、フロカツさんと一緒にケニアに行く事にした。フロカツさんはケニアからチャリンコで南アフリカまで行くのだそうだ。

パキスタンで一緒だった梅(仮名)さんもミレニアムが終わってからタイのバンコクに飛行機で飛ぶと言ってたので3人で一緒に旅行会社に行ってチケットを買ってきた。梅さんは俺達よりも1日早い飛行機でバンコクに飛び立って行く事になった。

俺とフロカツ(仮名)さんは同じ飛行機でケニアに出発するのだけれど、偶然にも、もう一人同じ飛行機でケニアに行く戸牧(仮名)君という人がサファリホテルに泊っていた。俺やフロカツさんとはまったく別々にチケットを取ってきたのだけど、偶然同じ飛行機になったのだ。そんな訳で、俺とフロカツさんに戸牧君の3人で一緒にサファリホテルを出発する事になった。

昨日出発した梅(仮名)さんもそうだけど、年が明けてからサファリホテルの古株たちがどんどん出発して行く。残ったサファリホテルの宿泊者達は盛大にお見送りをしてくれて、サファリホテルからの旅立ちに華を添えてくれた。我々3人が出発する時も丸川(仮名)さんが歌を歌ってくれたり、中林(仮名)さんや竜岡(仮名)さんを始めとした多くの人達が見送ってくれて、感激の中でサファリホテルを旅立っつことができた。

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