ミレニアムパーティー

俺のサファリホテル生活も2ヶ月が過ぎて、たいていの場所は観光も済ませてしまった。あと、残るのはルクソールぐらいであるが、これはそのうちに行く機会が来るだろう。その間にサファリホテルに宿泊してる人達もどんどん入れ替わっていき、俺より古い人は中林(仮名)さんを含めて7人ぐらいしかいなくなってしまった。いつのまにか俺もサファリホテルの古株になってしまってるのだ。

年末が近づいてきて、ピラミットでミレニアムを迎えたいと考えている旅人が世界各地からエジプトに集まってきている。そう云う人達のほとんどはこれから年が明けるまでの間はこのままサファリホテルに泊まるのである。そんな訳でサファリホテルの宿泊者はどんどん増えていく。そして、その旅人達は新年を迎えるまではサファリホテルに腰を据えて連泊するので、ミレニアムが近づくに連れてサファリホテルは賑やかになっていくのである。

すっかりサファリホテルの古株になってしまっていた俺の所にけんたさんがやってきた。中国のカシュガルで初めて会ってパキスタンのポピュラーインで再会したけんたさんにエジプトで再再会できたのだ。

けんたさんはポピュラーインからフンザに戻ってトレッキングを楽しんだそうだ。しかし、その後のけんたさんの旅の行程が面白い。フンザトレッキングを楽しんだ後、パキスタンからスペインに飛行機で飛んだのだそうだ。それから、ヨーロッパをぐるぐると観光して、エジプトにやって来たのだ。けんたさんはヨーロッパのお土産にチェコピールと生ハムを持ってきてくれて再会の宴を開いてくれた。

エジプトはイスラム国家なので基本的にアルコール類の販売は禁止されているのだ。イスラムの教えではアルコール類を飲むことが禁止されているからだ。ただし、外国人の異教徒がアルコール類を飲むのは問題がない。しかし、アルコール類を売っている所はとても少なく、そして高額なのである。けんたさんに感謝をしながら美味いチェコビールで再会を喜んだ。

クリスマスが近づいてきた。サファリホテルの宿泊者でクリスマスパーティーをすることにした。そして、そのパーティーでプレゼント交換をする事にした。普段ダラダラと生活している宿泊者には刺激的な一大イベントである。24日はケーキを買ってきて盛大に夕食が催され、25日にプレゼント交換をした。昼間のうちにそれぞれがプレゼントを選んでくる。あまり高額な品物にならないように最高金額を決めて、みんながそれぞれプレゼントを選んできた。一応、プレゼント交換までプレゼントの中身は内緒にしておく。

プレゼント交換は丸川(仮名)さんが音頭を取ってくれた。丸川さんは俺より少し後にサファリホテルにやってきた旅人で、かなり個性的で面白い人だ。頭のテッペンの髪を剃っていて落ち武者のような風貌をしている。たまに「落ち武者さん」と呼ばれる事もあり、初めて彼を見る人はたいていビックリする。

その丸川さんの音頭で開かれたプレゼント交換には20名ぐらいの参加があって大成功のうちに終わった。参加者はみんな楽しむ事ができた。俺はプレゼント交換をするのなんて小学校以来だった。

クリスマスが終わるとすぐにミレニアムである。ピラミットではオールナイトのコンサートをやるらしい。コンサートのチケットは我々旅行者が手に入れるのは難しい。中林(仮名)さんが7年間のエジプト生活の間に培った極秘ルートから数枚のチケットを手にいれて来てくれたが、みんながチケットを手に入れることは出来ない。大勢のサファリ宿泊者はピラミットに忍び込む要領で会場に行って花火だけでも見てこようと企んでいる。

31日は夕食も手短に済ませて各自がそれぞれピラミットに向けて出発する。俺は10人ぐらいの人達と一緒にバスでピラミットに向った。道路はスゴイ渋滞になっていて車はなかなか進まない。ピラミットの近くに来ると道路はなおさら進まなくなってしまった。ここまで来たら歩いて行った方が早いかもしれない。

年明けの時間が迫ってきているので途中でバスを降りて歩いてピラミットまで行く事にした。我々以外にもたくさん歩いてる人がいる。ピラミットの近くまで来ると打上げ花火の音も聞こえてきた。警備の合間をかいくぐって進んでいくと花火が見れる所まで来る事ができた。しかし、そこまで行ってもすぐに警備のポリスに追い返されてしまった。とても厳しい警備である。途中で俺達よりも早くサファリホテルを出発していた人達に出会った。お互いに情報交換をするとピラミットの周りは普段以上に警備が厳しくなっていて、花火を見れるところにも近づけなくなっているらしいのだ。2つのグループは合流して花火が見える他の場所を探すことにした。なんだか我々は住宅街の道端でミレニアムを迎えてしまいそうな予感もする。

20人以上の集団になったサファリホテルの宿泊者達はとりあえず花火が見える所を捜すことにした。年が明ける時間も迫ってきていたのでみんな急いでいる。我々が歩いている道路沿いのマンションの住人が窓から花火を見て歓声を挙げている。マンションの屋上に上がって花火を見てる住人もいる。屋上で花火を見ている人が我々の集団を見つけて「ここまで上がっておいで」と声をかけてくれた。屋上で我々に声をかけてくれている住人の中の一人は日本語で話しかけてきたのだ。

ちょっと不安だったけど、こっちは20人以上の集団である。騙されそうになっても数のパワーで何とかなるだろうと思いマンションの屋上に上がっていった。日本人が集団でエジプト人の住宅用のマンションの階段を上がって屋上に出た。そこからは花火かとても綺麗に見る事が出来てみんな感激した。道端でミレニアムを迎えなくても済みそうだ。

もうすぐ12時である。カウントダウンが始まろうとしているけれど近くに正確な時計がないのだ。せっかくカウントダウンをしようと思っていたのに、これでは出来ない。迷っていると、更に年が明ける時間が迫ってきているみたいで焦る。ミレニアムの瞬間はすぐそこに迫っているのだ。しょうがないので、誰かの腕時計を標準時間に決めて、それでカウントダウンをする事にした。慌てふためきながらも20秒ぐらい前からカウントダウンを始める。

3、2、1、ゼロー!年が明けてミレニアムを向かえた。歓声を挙げ、みんな熱くなって大騒ぎである。ピラミット近くのマンションの屋上で我々20人以上の旅人達は新しい千年を向かえる事ができた。年が明けて喜び騒いでいるとピラミットの方で花火が盛大に打上げられだした。たぶん、この時が本当の年明けだったのだろうとみんなが感じた。我々は本当の新年を迎えた事を祝って、もう一度盛り上がった。

一通り新年を迎えた喜びを噛み締めたあと、我々を屋上に招いてくれた人が自分の家に招待してくれた。20人以上の日本人が新年の夜にエジプト人の家に招待されてしまったのだ。全員が居間に通されて、そこの家の家族を紹介された。我々を屋上に誘ってくれた人はピラミットで日本語のガイドをやっている女の子なのだそうだ。それで日本語が話せるたのである。その子のお姉さんはドイツ語を話せるガイドなのだそうだ。そして、一番上のお兄さんは軍隊に入っていて、今日もピラミットでやっているコンサートの警備に行っているのだそうだ。お父さんもお母さんもそのお兄さんの事を誇りにしているみたいである。エジプトでは軍隊に入れるのはきっと名誉なことなのだろう。

普通のエジプト人の家に招かれる事なんて旅をしていても滅多にないのに2000年の年明けから思いがけない貴重な体験が出来たのだ。ドキドキワクワクである。居間の窓から外を眺めてみると見なれた日本人が目の前の道路を歩いていたので声を掛けた。サファリホテルを別々に出発した人達だ。その人達もこの家に来るように叫んだ。そして、彼らも合流して30人近い日本人が2000年の年明け早々にその家に集まってしまったのだ。

その姉妹には更に年下の妹がいて今日はその妹の誕生日なのだ。1月1日生まれなのである。誕生日のお祝いのケーキが用意されていて我々にも振舞ってくれた。申し訳ないと思ったけど、お断りするのも失礼なのでご馳走になった。みんなで切り分けるお手伝いをして、ハッピーバースデーの歌を英語と日本語で合唱して、盛大に誕生日を祝ってあげた。きっと、その妹も忘れることの出来ない誕生日になったことだろう。

そのエジプト人の家に招かれて、誕生パーティー等をしているうちに2時間ほどたってしまった。一番下の妹がもう眠たそうだったので、我々30人近いサファリホテルの宿泊者もそろそろ帰ることにした。色々とご迷惑を掛けたお母さんに挨拶と握手をして帰ることにした。最初に我々に声を掛けてくれた女の子はマンションの下まで見送りに来てくれてお別れをした。お互いにとてもステキで楽しい思い出になった事だろう。

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