イエメンの首都サナア

1999年9月22日。1週間前までは存在すら知らなかった国に到着した。イエメンという国はどんな国なのか?菊代(仮名)ちゃんとあかり(仮名)さんに引き連れられてやって来たイエメン。パキスタンの空港では俺の片道チケットのために菊代ちゃんが空港係員と戦ってくれた。イエメンの首都のサナアに向うためにドバイと云う空港で飛行機を乗り換える時も、菊代ちゃんはお昼ご飯のクーポン券を勝ち取ってきてくれた。戦う女、菊代である。タロット占い師のあかりさんはヨルダンに1年ほど留学していてイスラム文化に詳しかった。アラビア語も少々は話せるし、読めるのだ。イエメンでは英語を話せる人がほとんどいないので、アラビア語を使う事のできるあかりさんがいてくれると、とても心強い。こんな二人におんぶにだっこでイエメンに連れてきてもらったのだ。なにも出来ない俺にはとても頼りになる二人である。

やっと、イエメンの空港に到着。サナア中心分まで乗り合いバスで向う。これも戦う女、菊代ちゃんがどこからか見つけてきて、それに乗ってサナアの中心部タハリール広場にむかう。お目当ての安宿ではあかりさんが値段交渉をしてくれて値引きに成功。菊代様様、あかり様様である。

部屋は3人部屋にした。その辺がバックパッカーなのだ。男女であろうと何処の国の人であろうと安宿だと相部屋になるのは普通の事なのだ。そう云えばカシュガルでもパキスタンでも恋人同士でないバックパッカー男女が一緒の部屋に泊まる事は普通の事だった。誤解のないように書いておくけど、当然やましいコトは無い。途中から別れて旅をしたり、また途中で再会したりする。それもバックパッカーなのだ。

この、イエメンの首都サナアの我々が泊まってる安宿には、もう一人日本人女性が泊まっていた。彼女は我々3人が泊まってる事を聞きつけて部屋に挨拶にきた。よし子(仮名)さんと云う人で、一人でイエメンにやってきたのだそうだ。ひょっとしたら明日から我々と一緒に旅をするかもしれない。それも「あり」である。

サナアには旧市街地があって、ステキな町並みになっている。菊代(仮名)ちゃんとあかり(仮名)さんと俺の3人で旧市街を探索に行く。道路は石畳が敷き詰められていてクネクネ曲がった道が迷路みたいに広がっている。そして石造りの建物が石畳の道路に沿って並んでいるのだ。そこに屋台が出ていて色々な物を売っている。途中であかりさんがイスラムモスクを見つけたので入ってみた。パキスタンの物とは一味違っていてる小さなモスクだった。

旧市街を3人で歩いてると一人のおばさんと仲良くなって家に招かれて、お茶をご馳走していただいた。異国からやってきた旅の3人を家に招き入れてお茶をご馳走する。俺には考えられなかったがイエメンにはそう云う習慣がまだ残っているんだろう。素朴でいい人達が生活している。こんな風にイエメン人との意思疎通ができたのもアラビア語が話せるあかりさんのお蔭である。あかりさんに感謝。

よし子(仮名)さんは一人で見たいところがあると言うので別行動。菊代、あかり、俺は3人でワディーダハルという所にあるロックパレスなるお城に日帰りで行って来た。バスに乗ったりヒッチハイクをしてワディーダハルに到着。岩山の上にお城が乗っかっている感じで、ロックパレスが建っている。ロックパレスの中は博物館になっていた。中に入ると、岩山をくりぬいて作られているのだ。その上に建物を建て増している要塞みたいだった。係りの人に案内をしてもらいながら見てまわる。

お客は我々3人だけだった。近くに村があるのだろう、子供達が遊んでいる。あかりさんがポケットから飴を出して子供達にあげると、とても喜んでいる。親も近くで微笑みながら異国の外国人に興味を示してる。なんとものどかな所にロックパレスは建っていた。

今日はシバームとコーカバンと言う村に行く。1つの村が崖の上と下に分かれてしまっている村なのだ。崖の上と下を結ぶ道が一本あってそれが生活の要になっているのだという。

崖下の村、シバームに着いて昼飯を食べる。ここものどかな村だ。子供達が人懐っこい。その子供達の中に「中島君」がいた。普通の地元の子供なのだけど、「中島君」なのだ。何故かと云うと、彼が着ているジャージの胸の所に大きく日本語で「中島」と書いてあるのだ。たぶん、日本からの支援物資がこの村に届いて、その中にどこかの中学校の指定ジャージが入っていて、そのジャージが「中島君」に割り当てられたのだろう。こんな所で日本のなんたら中学校の指定ジャージに出会うは思いもしなかった。我々3人が中島君に異常なほどに興味を示すもんだから、最初は外国人に会えて喜んでいた「中島君」もちょっと驚いていた。

崖を登りコーカバンに向う。高さ約350メートルの崖である。けっこう大変だったが登山道の様に道が付いていたので3人ともそこを登る。頂上のコーカバンのまちに到着して崖の上から景色を見渡すと、そりゃーもう、とても素晴らしい。アラビア半島は何もない砂漠だけだと思っていたけど、こんなに綺麗な景色があったのだ。

崖の上の村、コーカバンには砦があって今は小さな博物館になっている。砦から見る景色は最高である。遠くまで見渡す事ができてホントにステキな景色だ。ところで、何故こんな崖の上に村を作ったのかが判った。敵が攻めてきてもすぐに分るように、遠くまで見渡せる砦を造ったからなのだろう。

今は崖を迂回して道路が出来ているらしく車も来れるようになっていた。帰りはヤギと一緒に崖を降りた。崖下の村シバームで「中島君」ともう1度戯れながら、2つの村をあとにした。

夕方、サナアの安宿でこれからの日程を考えていたら、花火の音が聞こえてきた。何事かと思ってたら、大統領選挙があって大統領の再選の記念のお祭りがおこなわれる。と、よし子(仮名)さんが教えてくれた。早速4人で見に行った。色々なパレードがおこなわれて華々しかった。が、大統領は豆粒ぐらいにしか見えなかった。

パレードは何時に終わるのか判らないぐらい続いていた。明日はイエメンビサの延長や旅行者用の通行許可証を発行してもらったり、色々と忙しい。パレード観覧は草々に切り上げて宿に帰ってきた。

今日はイエメンビサの延長や通行許可証の手続きに走りまわる。あかり(仮名)さんのアラビア語に多いに助けられた。なんとも頼りになる人だ。しかし、イエメンのお役所は日本のお役所以下である。なかなか物事がスムーズにはかどらない。さんざん窓口をたらい回しにされたあげくビザの延長が出来なかった。通行許可証は苦労したけどなんとか手に入れることが出来た。いよいよ明日、サナアを出発してサーダという町に行く。

その夜、我々が泊まっているサナアの宿に日本人夫婦がやってきた。小西(仮名)夫妻で、旦那さんが仕事を退職したので二人で世界各地をまわっているのだそうだ。シベリアや中央アジアを通ってイエメンにやってきたらしいのだ。年を重ねても夫婦でも旅が出来るなんて羨ましいかぎりだ。

よし子(仮名)さんは港町アデンに行くというので、ここでいったんお別れ。アデンの宿で再会できれば再会しましょうと言うことで一足先にサナアを出発した。あかり(仮名)さんと菊代(仮名)ちゃんと俺の3人はサーダに向けて出発する。小西(仮名)夫婦は通行許可証を貰い、そのままシバームとコーカバンに行くというので途中まで我々と一緒に行く。小西夫婦と別れてサーダ行きの乗り合いタクシーに乗って出発。

しかし、ここで重大事件発生。乗り合いタクシーで出発したものの途中のポリスチェックで止められてしまったのだ。我々の通行許可証を見せたのだけど、どういう訳かその通行許可証では通れなくなってしまっているのだ。ポリスが通してくれないので、我々を乗せた乗り合いタクシーはサナアまで戻ってしまった。そして、サナアに戻ってから我々外国人はサーダに行けない事を説明された。よくわからないが乗せてくれないので諦めるしかない。タクシー代も返してもらう。しかし、タクシーの兄ちゃんだって貧乏クジを引かされたのだ。タクシー代なんて返したくない。戦う女、菊代の登場である。更にあかりさんだって黙っちゃいない。タクシー代を返せ!返さない!で、タクシーの兄ちゃんと言い争う。俺は事態をよく理解してないが菊代ちゃんとあかりさんがあまりにも凄い剣幕で言い争ってるので、二人の後ろに付いてタクシーの兄ちゃんを威圧した。タクシー代の6割ぐらいが帰ってきた。

納得できないが諦めるよりしょうがないのだ。ヒッチハイクで宿に戻る。すると、軍人さんのランクルをヒッチしてしまった。ちょっとビビッたけど、せっかく停まってくれたんだから乗る。あかりさんがアラビア語でその軍人さんとお話しをする。なんと、その軍人さんは先日の大統領再選のお祭りの時に大統領のすぐ隣に座っていた大統領の側近なのだそうだ。この国のベスト3に入るぐらいのとても偉い軍人さんをヒッチでつかまえてしまったのだ。

あかり(仮名)さんがその偉い軍人さんにサーダに行けなかった話しをすると、「それはけしからん」と言って、我々がサーダに行けるように手配してくれる事になった。そして、我々3人は偉い軍人さんのオフィスに招かれた。その軍人さんはオフィスに到着してすぐに部下に命じてサーダの事を調べさせてくれた。さすが国家権力、サーダに行けなかった理由はすぐに判った。2、3日前に新しい通達が出て、外国人は観光会社のツアー以外ではサーダに行けなくなってしまったのだそうだ。乗り合いタクシーの兄ちゃん達もまだ、新しい通達は知らなかったみたいで、あんな事になってしまったのだろう。

大統領の側近の偉い軍人さんはそうやって説明してくれた。そして、観光会社に連絡をつけてくれようとした。が、観光会社は辞退させてもらった。そのあと、我々に日本の事やどうして旅をしているのか?イエメンをどう思うか?日本とイエメンどっちが良い国か?等々を質問してきた。アラビア語を話せるあかりさんが答えてくれていたが、そのうちに軍人さんは忙しくなったのか「よい旅を」と言って、部下に命じて我々を送らせた。

観光会社のツアーに申しこむと、料金が桁外れに高くなりお金が足りなくなってしまうので、サーダ行きは諦めることにした。菊代(仮名)ちゃんは残念がっていたが、しょうがない。そんなこんなしているうちにサナア滞在も1週間を超えてしまっている。新しい通行許可証を手に入れて、明日からは砂漠の中の摩天楼を目指してサナアを出発。イエメン国内をバシバシ巡ることになる。

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