バックパッカーの旅

山下(仮名)君と同じホテルに移ってから日曜バザールまでの間、一人旅をしているいわゆるバックパッカーと云う人達と一緒に過ごす事になった。彼らは基本的に一人なので、相手に無理やり何かやらせたり、強引にどこかに誘ったりしない。その代わり、相手からの強制も受け付けないで旅をしているのだ。

そんな日本人がみんなで一緒に夕食を食べる事になった。せっかくだから屋台街へ行って食事する事にした。地元の中国人達が大勢飲んで食ってしてる中で、空いている丸テーブル1つを中国人に取られる前に確保して、ビールや食料を屋台から買い集めてくる。総勢6名でビールやケバブという羊肉の串焼きを食べたりしながらワイワイガヤガヤの宴会になった。さながらビアガーデンのような感じ。ビールの酔いがまわってくると、我々6人の話しも弾んできて、みんな喋り捲る。

マサ髭(仮名)さんからロバと一緒に旅をした時の話を聞く。その他にも彼がインドにいたときの話などもしてくれて、面白かった。マサ髭さんはもう何ヶ月も旅をしいて、いろんな国に行って色々な体験をしていたのだ。

もう一人パキスタンから国境を越えてきていた吉田さんは実は公務員で、有休などを工面して約2週間の旅をしているのだという。制限時間付きの旅ではあるけど、日本に帰っても仕事を探さなくてもいいのは凄い事だし、2周間のまとまった休みを取れるなんてのは羨ましい。

その吉田さんが、なんと日本のつけ麺のタレを持っていて、この日のお昼にみんなでうどんでも食べましょう。と言って、つけ麺のタレを出してくれたのだ。その時のけんたさんの動きがすばやかった。市場で生姜などを買ってきて、麺もどこからか手に入れてくる。マサ髭さんが自炊道具を持っていて、人数分のおわんが用意されている。俺は何をしていいのかわからず、只、ウロウロ。各自、分担が決まっているかのような動きで食事の支度が整って、あっという間に出来あがった。そして、みんなで美味しく日本の味をいただいた。こういう辺境の地での日本の味はとても嬉しい物である。その吉田さんの旅はカシュガルで終わり、これから日本に帰るのだそうだ。

話しを屋台の宴会に戻す。けんたさんは旅のベテランで、約10年間のあいだに色々な旅をしてきたのだそうだ。

お酒も入ってるせいもあり話しは盛り上がる。旅とは何ぞや?バックパッカーとは何ぞや?というようなことを語り合う。俺も熱くなって、「我々バックパッカーはナンたらカンたら~」と、みんなと同調しながら熱く語る。って事は俺はバックパッカーなのか?自分でそう言ってるんだから俺はバックパッカーなのだ。俺はこの町でバックパッカーだという事を自覚していた。それで何が変ったかというと、なにも変ってない。俺の中でバックパッカーという自覚が出た。ただそれだけ。

そんなこんな話をしてるうちに、先ほどからトイレに行っている山下(仮名)君がなかなか帰ってこない。どうしたのかと心配してると、30分ぐらいして戻ってきた。立ちションをして警官に咎められ、なんと、その警官を殴ってしまったらしいのだ。それで、山下君はこれから警察に行って戦ってくると言い残し連れて行かれてしまった。一同ビックリ!

小額の賄賂を渡して、許してもらえそうなものだけど山下君はそれを潔しとしなかったのだ。そして、山下君は夜遅くにホテルに帰って来た。明日もう1度警察に行ってくるとのこと。中国の警察に捕まるなんてなかなか体験できない事だから体験そのものを楽しんでくると言っていた。ちょっと波瀾があったけど、それにしても楽しい夜になった。

メインイベントの日曜バザールも無事に終了して月曜日。俺は早速パキスタンに向って出発。これからパキスタンに向う予定のけんたさんはもう1日ゆっくりして火曜日にパキスタンに行く事にしたというので、ここでいったんお別れ。俺は朝早くパキスタン行きのバス乗り場に行く。手続きを済ませてバスに乗る。バスは満杯の人を乗せて出発。お客は西洋人バックパッカーでほとんど占められていて、現地の人が残りの席に座ってる感じ。日本人は俺の他にもう一人いるだけだった。

バスはひたすら走る。すぐに砂漠地帯を抜けて、景色が緑色に変っていった。そう言えば、天山山脈以来、ずっと砂漠の中を旅していたような気がする。久々の緑はとても綺麗だった。山頂に雪を頂いた山も見える。そのうちに湖が見えてきた。カラクリ湖というらしい。このカラクリ湖で少し休憩。満杯のせまーいバスを降りて、深呼吸。とても綺麗な景色を堪能。一緒に乗ってた日本人とは簡単なご挨拶をするだけで、あっという間にバスは出発。その後もバスはひたすら走る。1時間ぐらいカラクリ湖畔を走ってたけど気がつくと湖は見えなくなっていた。

夕方になってきてるのに中国とパキスタンの国境はまだ越えていない。夜でも国境を越えられるのだろうかと不安に思っていると、バスは小さな村のホテルに入っていって今日はここで泊まると言われた。驚くも何もなく宿代を払い、一緒のバスに乗っていた日本人の高橋(仮名)さんと同じ部屋になった。二人ともお腹がへってたので、街の食堂に夕食を食べに行く事にした。パキスタンに行ってしまうと食べる事が出来なくなってしまう最後の中華料理を2人で堪能した。夕食後、ホテルまでの帰り道は星がとても綺麗に見えた。

それにしても、今日のうちには中国を出国するものだと思ってたのに、もう一泊する事になってしまった。パキスタン到着は明日になるのか?それとも、もっと遅くて明後日とか?なるようになるだろう。

翌朝、バスは再出発。この町が中国の国境の町で、タシュクルガンというらしい。街中のイミグレーションで出国手続きをする。イミグレーションは凄い混んでいる。更にお役所仕事でダラダラとやっているせいなのか、とても時間がかかった。それでもパスポートに出国スタンプを押してもらって手続が終了。バスはお昼前にやっと出発。

これで、いよいよ中国ともおさらば♪パキスタンビザの事で心配してたけど何事もなく中国を出国する事が出来た。バスはパキスタンを目差して走る。中国とパキスタンを結ぶクンジュラーブ峠は世界でも有数の標高が高い峠なのだそうだ。

いつのまにか緑いっぱいの高原から、切り立った山すその道に変っていった。山道をひたすら登っていく。バスはおんぼろだし満杯の人を乗せていて今にも壊れてしまいそうだけど、力を振り絞って登っていく。そして何とか峠越え成功。峠の頂上にある中国とパキスタンの国境を通過。国境を過ぎて300メートルぐらい進んだ所にパキスタンのポリスチェックがあった。そこでバスが止まって全員おろされ、簡単なパスポートチェックを受けた。その間に俺と高橋(仮名)さんは300メートルをダッシュで戻って、国境で写真を取ってきた。ちゃんと写真は撮れたけど異様に疲れた。それは当然、ここは標高4700メートルもある高地なのだ。富士山よりも1000メートルも高い所で走ったのだ。息が切れるのは当たり前。写真を撮り終えて2人でゼーゼー言いながらバスに向って歩いていると、バスが出発するっそうでクラクションを鳴らして我々を急き立てる。標高4700メートルの高さがあるので思うように走る事ができないが、それでも、バスの出発を我々2人のために遅らせる訳にはいかないと思い走る。でも走れない。へとへとに疲れながらもバスまでたどり着く事が出来て、バスはようやく出発した。思いがけずに標高4700メートルでの駆け足大会をしてしまったけど、幸いな事に2人とも高山病にならないで済んだ。

パキスタン側に入ってからバスは下りの道をぐんぐん進んで行く。切り立った岩山の間を走っていくのだ。太陽が傾きかけてきた頃、やっとパスはパキスタンの最初の村、スストに到着。ここで入国審査がありパスポートに入国スタンプを押してもらう。しかし、パキスタンの係官は俺のパスポートを見て、ビザがないならお前は中国に帰れ!と、言い出した。係官の一人は俺のパスポートを持って後ろの事務所に行ってしまった。そんなー!どうしても入国させてくれないのか?どうしろってんだ!!中国に帰るにしても、俺は中国を出国してしまっている。それなのに中国に戻る事が出来るのか?わー!!パニック。

高橋(仮名)さんはビザを持っていたので何事も無く入国手続きを終了していた。俺のところにやって来てビックリして係官と交渉してくれた。頭が混乱しかけてるころに俺のパスポートを持っていった係官が戻ってきて、俺にトランジットビザなるものをくれた。このビザで1週間だけパキスタンに滞在を許してくれるのだそうだ。それを過ぎると、不法滞在になるから早めにビザを延長するようにと念を押されてトランジットビザをくれた。やったー!!パキスタンに入国成功!!最後にビビらされたけど、無事にパキスタンに入る事が出来た♪

ビザを持たないでパキスタンに入ってくる俺のようなバックパッカーが沢山いて、入国係官も困っているので、そういう輩を懲らしめるために、係官は「帰れ」と言ってビビらせているのだそうだ。皆さん、パキスタンに行く時はちゃんとピザを取ってから、行くようにしましょうね。

国境の村からは乗り合い軽トラの荷台に乗ってカリマバードと言う村まで向う。今日の目的地はそのカリマバード。フンザ地方の中心的な村だ。そのカリマバードに向う途中で夜になってしまった。星空が綺麗に見えたので、高橋(仮名)さんと一緒に軽トラの荷台から顔だけ出して眺めた。標高が高い所の星空はどうしてこんなに綺麗なんだろう。軽トラは我々を乗せたまま、オンボロな道をひたすら走る。

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