西に向ってシルクロード

シルクロードを旅するに当って、中国の次に行く国はパキスタン。そのパキスタンに行くためには、ビザがいるらしい。でも、俺はビザを持ってない!でも、ビザ無しでパキスタンに入国しようとして、追い返された日本人の話は、みんな聞いた事がないとの事。それじゃー、ビザ無しでも行けるのかな?正確な事はみんなよく分らないらしいけど、パキスタン入国が完全にダメになった訳じゃないから、まー、いいか。でも、やっぱり不安だよ。パキスタンビザがないんだからしょうがないよね。とにかく、今できる事は、カシュガルに行って情報を集める事。そのためには西に向って移動しないとね。

こんな俺の旅の頼りになるのは西安で買った、小さなポケット地図1つ。これでも、何も無いよりはとても心強い。バスのチケット売り場の窓口で、次に行く町に印をつけて窓口に持って行くだけで、ちゃんとチケットを買う事ができるし、地図を見てると、中国の地理がわかってくる。当たり前か…。ま、そんないい事ばかりの地図を持ってシルクロードの旅を進行中。

敦煌の次の行き先は哈密(ハミ)に決定!地図で太字になっている街。朝、バスに乗って出発!午後には哈密に到着。客引きが来て、ホテルに案内してくれたけど、あまり良いとは言えないホテルだった。明日には出発するから、一泊ぐらい、いいでしょう。ホテルに荷物を置いて、町の探検。バザールがあって、ウロウロ見て歩く。お店の人はみんなテキトーに店番している。中国人って、商売をやる気あるんだろうか?どうしたもんだろうね。そのうち、夕飯の時間になってきて、食堂街みたいな所に出た。食堂街と言っても、とても汚い所。地面はゴミだらけだし、ホントに清潔とは言えないけど、活気があって、さっきのやる気のないバザールとは大違なのさ。腹も減ってきたし、何か食べたくなってきた。品定めをしながら、美味しそうなのを探しつつ歩く。これ!って言うのはなかったけど、みんなが食べている奴を食べる。何を食べたかわすれちゃったけど、俺の隣で食べている中国人と仲良くなる。彼女は学校の先生をしているらしく、筆談てお話。学校の先生でも、英語は苦手らしい。食堂の主人夫婦や子供達が集まってきて、学校の先生が通訳みたいにして、俺とお話。この辺の人は字を書く事ができないのかな?みんないい人で哈密の観光スポットを聞いたら、哈密王墓と言うのがあるらしく、教えてくれた。せっかくだから明日行ってみることにしましょ。

哈密王墓とは、読んで字のごとく哈密王の墓だった。泥でできたような建物の中に大きなコンクリートのできそこないのような棺が置いてあって、哈密王の一族のお墓らしきものがあった。観光客は俺一人。入場料も敦煌の莫煌窟などから比べたら激安。さびれた観光地だった。それでも、めざとく観光しなくちゃね。何個かある建物のうち、真中の建物は補修工事中らしくて、地元の人がのんびりと仕事をしてる。こんな、のどかな観光地だったせいもあって、俺はその人達の仕事ぶりを見てみる事にした。そのうちに、カントクっぽい人が俺の事に気がついたみたいで、そのカントクに話しかけてみた。って言っても、ジェスチャーだけどね。そんな感じでカントクと仲良くなって、工事中の建物の屋根の上に乗せてもらえることができたのだ。ヤッタね。屋根の上でも飾り付けの仕事をしてる人がいて、土をこねて、外壁を作ってた。彼も俺を見て楽しそうに仕事をしてた。ついでに俺も修復作業の簡単なお手伝いをしてきた。はっきりいって邪魔になってしまったかもしれないけど、それでも、俺を含めてみんな楽く仕事できたから、いいよね。

何十年も時が経って、俺に孫なんかが出来て、この辺を孫と一緒に旅行する機会があっちゃったりしたら、哈密王墓を見て、「これは昔おじいちゃんが若い頃に修復した事があるんだよ」なんて言って、聞かせてあげても、まんざらウソにはならないなぁ~なんて思ってしまったよ。

哈密の次に向ったのはトルファンと言う街。この辺からウイグル自治区の色が濃くなっていったと思う。テレビを見てても「一休さん」が中国語からウイグル語に変ってきてたと思う。

バスを降りて、ここでもお決まりの様に客引きが来たので、それについて行ってホテルを決定。この客引はとても親切で、俺の宿探しにとても協力的だった。絶対に裏がありそう。と、思いつつも、彼らについて宿まで行く。今回の宿はまーまーかな?でも、この客引きはここからが仕事。俺に明日の観光ツアーを申し込むように迫ってきた。トルファンで観光なんて、知った事じゃない!何を見るの?って感じさ。俺の持ってる地図にはトルファンに観光地があるなんて載ってない。困った客引きはまず、どんな観光地があるのかから、俺に説明してくれた。ありがたく聞く。トルファンには見所となる面白い観光地があるみたい。せっかくだらか、行っても良いけど、さっきホテルにくる途中で、「トルファン観光40元」と書いてる看板を見たような気がする。この客引きたちが最初に俺に言った金額は貸し切りタクシーで600元(当時のレートで8000円ぐらい)。高いよー!ボッタくりだー!「高い、高ーい!そんな値段じゃ観光に行けないよ。」と、俺は言う。客引きは「判った、それじゃー、いくらだったら良いんだ?」と、聞いてくる。

「エート、そうね。最大出せて50元かな?」
客引「そんなんじゃトルファンの観光が出来るわけないよ笑わせてくれるね。」
「じゃーしょうがないや、観光しないよ。」
客引「わかったわかった、550元にまけてあげよう。これなら行くしょ。特別だよ」
「550元って、そんなに高いのは無理だよ。」
客引「じゃー、貸しきりでなく乗合になるけど、それでもいいの?それだったら、360元にしてあげよう。」
「そんなに高い金は出せないよ。持ってないよ。」
客引「そんなはずはない、日本人なんだから、もっといっぱい持ってるはずだ。俺はこんなに安くしてやってるんだ!どうして払わないんだ。エーイ!特別に300元にしてやろう」
ここまでくると、俺は早く客引が帰ってくれないかと、思っていた。街に行けはもっと安い観光会社がたくさんあるみたいだし、そうに違いない!そのためには、この客引を早く帰してしまわないと。
「どうしたって50元までしか出せないから、トルファン観光には行けないよ」
客引「わかった。最終プライス、250元。もしこれでダメなら、俺達は帰るぞいいのか?」
「わかった、本当に無理なのさ、トルファン観光はあきらめるよ、帰ってくれ。」
ヤッター!やっと帰ってくれる、ここまで20分ぐらいかかったけど、これでやっと街中の観光会社を探しに行ける!さっさと帰れー!
客引「なんでだ!250元だぞ!とっても安いじゃないか、いったい、いくらだったら行くんだ?」
「やっぱり最大出せて50元だよそれ以上は無理さ。」

それより、お前ら、最終プライスだって言ったじゃないか!ダメだったら帰るって言ったのになんでまだ帰らないの?なんて思いつつも、この後もま だまだ交渉が続いた。200元になり、100元になり、90、80…最終プライスがどんどん下がって行くし、何回も帰るそぶりを見せる客引。ちょっと可哀 想になってくるけど、俺だって、どのぐらいの値段が正当価格なのか知らないのにOKしてしまって、後で後悔したくないもんね。最初に600元から交渉ス タートして、約1時間後、とうとう、50元にまで下がった。それでも、俺には高いような気がしたけど、最初から提示してる俺の言い値の金額になったんだから、OKせざるを得ない。まー、50元なら、出してもいいか。でも、これは交通費だけで、観光地の入場料等は含まれてないのだ。でも、敦煌の時も入場料は別だったし、西安の観光も入場料は別払いだったから、中国はそれで普通なのかな?帰り際に俺と客引は硬い握手をして判れた。明日の朝、このホテルに迎えに来てくれるとのこと。他の客にはこの金額は内緒だぞ。と、言い残して彼らはやっと帰っていった。と、言う事はかなり安く値切る事に成功したんだろうか?ヤッタね。

次の日の朝、約束通り、ホテルまで迎えに来てくれた。昨日、あまりにも値切りすぎたから、来ないんじゃないかと思って、ちょっと不安だったけど、取り越し苦労に終わったみたい。良かったよ。今回の1日観光のメンバーはベルギー人夫婦と日本人の男の子が2人に、俺。と言うメンバー構成。日本人の男の子2人は別々に旅してる人達で、たまたまこの1日観光に参加しただけと言う事だった。

今回のトルファンの1日観光について、俺の日記にはどこに行ったとか、どうだったとか、何も書いてないから、すべて、思い出して書いてしまわないとならない。そんな訳で、遺跡の名前とか地名とか間違えている所とか、わすれてる所とか、けっこうあるはず。ユルシテネ!

さて、最初に行ったのは火炎山。西遊記に出てきた、キンカク、ギンカクが住んでいる、炎で燃えている山、のモデルになった所。ホントに山肌が赤くて、燃えているみたいな不毛の山だった。しかも、その場所は気温が他の所よりも高いんだと。その通りに暑かった。太陽ギンギン暑いよ~!

その後に向ったのは、敦煌の莫煌窟のミニチュア盤みたいな所。その遺跡の場所が、崖っぷちにあるのさ。そんな遺跡も、なかなかステキでしょ。俺達のワゴンは崖っぷちの道を走っていくんだけど、その道の景色がなんとも言えなくステキ。岩がむき出しになってて、生命の痕跡がないぐらいに乾ききった大地が裂けてるのさ。その裂け目にできた、細ーい道を我らがワゴンは砂埃を上げながら進んで行くのさ。そんな景色を見ながらやっと石窟に到着。ここはけっこう有名らしくて、たくさんの観光客が来ていた。俺もその波にまぎれて、いざ観光。崖っぷちの洞窟で、何とか観音、何たら仏が俺達を迎えてくれた。俺達ワゴン車3人日本人組の前に日本人観光ツアーの御一行がいる。ご丁寧に日本語ガイドがついていたので、ありがたく、ガイドのお話を隅っこから聞かせていただいた。ありがとう!

一通り石窟を見て戻ってきた。まだ、ベルギー夫婦が戻ってきてないので、待つ。石窟の反対側は砂丘になっている。そのさきが知りたくて、一緒の日本人の男の子と砂丘をちょっと登ってみた。俺は途中で疲れ果てたので、戻ってきた。もう1人はちゃんと頂上まで行って来たんだけど、向こう側にの景色は砂丘がずっと続いてただけだったんだとさ。

砂丘があるぐらいだから、ここはとっても暑いのだ。最初に行った火炎山も暑かったけど、まだ朝だったから良かったのか?崖っぷちを走っているワゴンの中はとても暑く、石窟観光も、猛暑の中を観光してたのさ。後で聞いた話、トルファンって、とても暑い街なんだってさ。まいったね。石窟からの帰りもさっきの崖っぷちを戻って行くんだけど、とっても暑くて我々5人、ヘロヘロになってのワゴンで移動。

次に連れてってもらえたのは、ぶどう園、トルファンは干しブドウがとても有名らしいのだ。しかも、ここで昼ご飯も食べなければならないんだと、みんな各自で腹を満たす。

午後、暑さは最高潮に達してきているみたい。とっても暑い。みんな、観光どころでは無くなってきてるみたい。それでも、我らのワゴンは次の目的地に向う。午後の観光、最初は地下洞窟。恐る恐る中に降りていくと、とっても涼しい。洞窟の中に小川が流れていて、とても冷たい。外の世界に出たくないぐらい涼しいのさ。砂漠の中のオアシスと言う感じ。いいでしょ。みんなここでパワーを取り戻して、次なる観光地に向けて出発!

次についた所は、灼熱地獄。さっきの涼しかった洞窟で取り戻した体力はもう、どっかに吹っ飛んでしまってる。そんでもってココは何?砂漠?ガイド曰く「なんたらのお墓」らしい。入場料を払ってかろうじて道がついている砂漠を歩き出す。ベルギー人夫婦はココの観光はリタイア。俺も、暑さにやられて、辛かったけど、せっかくのシルクロードだし、昨日、50元に値切ったんだし、しっかり見てやらねばならんと、気合で歩く。

砂漠の中に何箇所も地下室があって、その中にミイラや骸骨が陳列と言うか、無造作に置いてあると言うか、まー、早い話がミイラを見れた訳さ。それと引き換えに、俺の体力がかなり減ってしまった。更に観光地はあと1つあるらしいのだ。早く灼熱ワゴンから開放されたいよ~。

最後の観光地は、なんかのお城みたいな所、みんな観光する体力なし。ベルギー夫婦が売店でスイカを1個買って食べ始める。2人だけじゃ食べきれなくて、みんなにおっそ分けしてくれた。スイカパワーでみんな少し体力回復。ベルギー夫婦ありがとう!でも、誰もお城の観光をしなかった。何のために来たんじゃー!

後半は灼熱地獄になってしまったけど、なかなかステキなトルファン観光の1日になった。ワゴンでの移動時間がけっこう長かったから、一つ一つの見所が遠くにあったんでしょう。その合間に、ビザ無しでのパキスタン入国のことを日本人男の子に聞いてみたけど、詳しくは分らないと言う事だった。やっぱりちょっと不安だね。1人はこれからパキスタンに行くといってたけど、彼はちゃんとビザを持ってるから、ビザなし入国に関して、興味無かった。今まで集めてきた話しを要約すると、確実に入国出来る訳でもなく、確実に入国出来ない訳でもない。行ってみないとどうなるかわかんないと言う事なんだね。不安はどうしても残ってしまうよ。ビザを取っておけば良かったけど、持ってないんだから、仕方がないね。

とにかく、カシュガルまで行ってみないと何も始まらない。明日、ウイグル自治区の中心地、ウルムチに行って、そこから更に西に向いましょ。

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