アラスカ紀行 3

アラスカ大学

オーロラを見る事が出来て、今回の旅の目的が達成されました。飛行機のチケットの有効期限は3ヶ月あるので、すぐに帰るのも、もったいないから、アラスカ鉄道にでも乗ったり、フェアバンクスの町なんかも2、3日観光してから帰ろうかなと思い、ケリー(仮名)に観光スポットを聞いてみました。すると、アラスカ大学の中に博物館があるよ。と教えてくれました。ネイティブアメリカンの博物館です。しかも、ちょっと遠いけどケリー(仮名)の宿から歩いて行ける距離にある!!さっそく、朝から行ってみる事にしました。大学のだいたいの位置をケリー(仮名)に教えてもらって、出発。大学の中はとてもデッカイく、途中で博物館の場所を教えてもらいながら、向かっていったけど博物館までは結構な距離があり、外は寒かったです。

博物館の中は当たり前ながら、全部英語で説明書きがあって、読む気にはなりませんでした。それでも、カリブーのデッカイはく製とか、昔の人達の生活風景とかがあって、なかなか楽しめました。帰ろうとすると、観光バスがやって来て、その中から、日本人の観光客がぞろぞろ降りてきました!!正直言って、びっくりです。こんな季節にこんな所に来るなんて、よっぽど変った人だなぁ~。と、お互いに思ったでしょう。

このまま宿に戻るのにも、まだ時間があったし、せっかくだから、大学の中も、観光して帰る事にしました。いろいろ建物があって、大学生がウロウロしてます。このオジさんは学生??って言う人もいっぱいいて、日本との違いをあらためて感じました。そのうちの一人と、片言の会話をしてるうちに、3日後に目の 前の教室で日本語クラブっていうのが開かれるから、遊びにおいで。と、誘ってくれました。私のような人でも、かまわないと言うので、行ってみる事にしました。そんな訳で、あと、3、4日滞在が伸びてしまう事になりました。

当日、行ってみるとアメリカ人と日本人が全部で15、6人。時間に遅れがちでバラバラと集まってきました。その中の、一人の日本人の男の子と、仲良くなりました。今度、また会おうということで、ケリー(仮名)の宿の電話番号を教えて、飲みに行くことを約束しました。最後に、もう一人、日本人女性がやって来て、ミュージカルのボランティアを募集してるというのです。私は昼間は暇なので、話を聞いてみる事にしました。

日本のミカド(帝)という題材のミュージカルなので、日本人に手伝ってもらえると、助かるという話でした。ボランティアといっても、実際に何をするのかというと、衣裳作りでした。裁縫なんてやったことないから無理だと思ったけど、そうではなくて、作ってある着物に色を塗っていくというお仕事でした。昼間の暇つぶしにはもってこいだし英語の勉強にもなりそうなので、やらせていただくことにしました。

アラスカ生活

ひょんなことから、こんなボランティアをやる事になってしまいましたが、強制ではなく、途中で辞めたくなったらいつでも辞めていいし、来なくなってもいいよ。と、言ってもらえたので、負担は何もありません。さっそく次の日に行ってみると、昨日ここのボランティアを教えてくれた日本人女性は来てませんでした。衣裳作りのチーフはテイラー(仮名)さん。それ以外はほとんどボランティアらしく、2、3人が固定で毎日来てるみたいで、たまに来る人もいるからいつも、4、5人で作業してます。テイラー(仮名)さんはやさしい人で、わかんない事があったらなんでも聞いてちょうだい。と、言ってくれますが、仕事自体、単純なものだから、わかんない事なんて、ありません。みんなもくもくと仕事していて会話はほとんどないので英語の勉強にはあまりなりませんでした。それでも、宿でウダウダとしてるよりはアラスカライフが楽しくなりました。

次の日の午後、このボランティアを教えてくれた、日本人女性が手伝いにきました。彼女はアラスカ大学で事務の仕事をしている人で、しかも、学生もやっていて、他にも色々な事をやっている人でした。このボランティアもその1つ。名前はミツ子(仮名)さん。その後も彼女にはいろいろとお世話になりました。

ミツ子(仮名)さんは忙しいので、2時間ぐらい手伝って、また、何処かに行ってしまいました。それから2、3日に一回ぐらいの割合でちょくちょくやって来て、作業して行きました。その間にミツ子(仮名)さんから大学の事とか、イベントの事とかを教えてもらいました。

ミュージカルは4月初めに大学の中でやるという事です。4月まではお金がもたなそうだけど、お金の許す限り、フェアバンクスに居ることにしました。そのうちに、ボランティアで来る人がすこし増えてきてきました。毎日よく来るようになった、黒人の女の子と仲良くなりました。彼女はここの学生で、彼女と私は一緒に作業する事が多くなりました。私ももう少し英語が上手だったら、もっと楽しめたのに、なかなか突っ込んだ話が出来ませんでした。それでも、かたことの英語でも会話しながら作業ができるので、衣裳作りが楽しくなってきました。

日本語クラブで仲良くなった男の事とも、バーに飲みに行ったりしました。そのうちに彼の家にも遊びに行ったり、大学の中で面白いスポットを教えてもらったり、スキーに連れて行ってもらったり、彼の車で1時間ぐらいかかる温泉に連れて行ってもらったり、遊んでもらいました。彼の名前はコウタロウ(仮名)さん。彼は大学の学生で今年で卒業です。彼にも、ホントにいろいろお世話になりました。

日本語クラブでの持ちよりパーティーや、ビデオ鑑賞会などのイベントがあったり、ミツ子(仮名)さんのジャズグループのコンサートに行ったり、みんなで、昼食を一緒に食べに行ったりしました。私は大学生活を満喫しはじめました。その頃になると、何回もオーロラを見る事が出来る様になりました。でも、オーロラを見るのはとても寒くて、ホッカイロ等を持って、それでも震えながら見ていました。しかし、オーロラを見る回数が増えてくると、それとは反比例して感動は少なくなっていきました。

そんななか、私が日本の図書館で借りて読んだ本の作者は、たしかアラスカ大学でオーロラの研究をしていると書いてあったような気がしたので探してみようと思いました。名前も忘れてしまってほとんど望みはないけれど、コウタロウ(仮名)さんやミツ子(仮名)さん達に聞いてみました。すると、アオソフ先生(仮名)でしょ。と、あっさり判明してしまい、ちょっとひょうしぬけしてしまいました。とても有名な先生で忙しいらしく、なかなか時間がないらしいです。けれど、タイミングよく時間が空いたらしく、私なんかのために5分ぐらいだけど時間を割いてお話してくれました。日本の図書館で見つけた、この旅のきっかけになった本を書いた人に会えたことで、大満足でした。

色々な事をやってるミツ子(仮名)さんが、なんとラジオの番組を持っているというので驚かされました。それで、私にその番組に出てみないかと、誘ってくれました。小さな大学の報道局でやっているのですが、このへんに住んでる人が聞いてる番組に出てしまうなんて、びっくりです。日本の音楽をかけている番組をミツ子(仮名)さんはやっているという事でした。ミツ子(仮名)さんのお手伝いもかねて、ラジオに出させていただきました。しかも、次の週も出演させてもらい、2週にわたって出てしまいました。ラジオに出た後に、周りの人達からラジオ聞いてたよと、言ってもらってうれしかったです。

私のアラスカ生活も1ヶ月近くなってきました。その間に、ケリー(仮名)の宿にもお客さんがごくたまーにやってきます。それがなぜだか、日本人の女の子の一人旅が多いのです。彼女達はたいてい、2、3日で、他の町に行ってしまい、長い休暇を取る事の出来ない人達でした。目的は当然、オーロラだそうです。そんな人達とも、どうしてアラスカにやってきたのか、等話したりして短い間だったけど仲良くなりました。

終わりが見えてきて

残りのお金が少なくなってきたころ、いろいろと私と遊んでくれた、コウタロウ(仮名)さんが2週間の冬休みにヨーロッパに遊びに行ってくるというので、その間、コウタロウ(仮名)さんの家に泊めていただく事になりましした。コウタロウ(仮名)さんはヨーイチ(仮名)さんというアラスカ大学の学生の日本人の男の人と二人で暮らしてます。ヨーイチ(仮名)さんにも何かと親切にして頂いていて、彼も、こころよく私が泊まりに行く事を受け入れてくれました。そんな風にコウタロウ(仮名)さんとヨーイチ(仮名)さんの所に転がり込む事になりました。

コウタロウ(仮名)さんがヨーロッパに遊びに行ってる間に、ヨーイチ(仮名)さんは泊りがけで、仲間とスキーに行くというので、私も一緒に連れて行ってもらう事になりました。日本語クラブで一緒だった人もいて、楽しい小旅行になりました。行き先は、アンカレッジの近くのアリエスカと言う所。スキー場はとても大きく、北海道なんかよりもとっても凄いパウダースノー。崖のような急斜面も雪がフアフアなので、転んでもいたくありませんでした。こんなに楽しかったスキーは久しぶりでした。帰りに近くにある氷河によってから帰る事にしました。フェアバンクス―アンカレッジ間は400キロ以上あります。行きと帰りは、車を走らせるだけで終わってしまいますが、途中で、北米で一番高いマッキンリー山を見る事が出来たりして、楽しい小旅行でした。

一緒にスキーに行った仲間の中に、1年だけ日本から交換留学で来ている子がいました。彼女はクラスの宿題で「日本とアメリカの違い」というレポートを書かなければならず、悩んでいました。ヨーイチ(仮名)さんやみんなで、そのレポートの草案を考えてました。アメリカの事はだいたいわかるのに、日本の事になると、全然わかりませんでした。私も日本人なのに日本のことがわからないのです。これでは良くないと思い、アラスカから帰ったら、日本を旅することにしようかな?と、考えました。どうせなら、自転車で。その事をヨーイチ(仮名)さんやヨーロッパから帰ってきたコウタロウ(仮名)さんに話してみると、面白そう!と言うことで、私はアラスカから帰ったら、自転車で日本を縦断する事になってしまいました。目的は日本を知るため。とりあえず、やってみて、無理だったら途中で挫折してしまっても、いいじゃないかと思えば、なんとかなりそうだと思いましたが、言い出すと引っ込みがつかなくなってしまいました。

コウタロウ(仮名)さんが帰って来ても、もう少し、二人の家においてもらう事にしてもらいました。が、スキー旅行に行ってしまったため、残りのお金がなくなりつつあります。テイラー(仮名)さんのミュージカルのボランティアも最後まで出来そうにはありません。オーロラだけが目的だったのに、素晴らしい出会いや、経験をたくさんする事が出来ました。思い残すことはありませんでした。が、まだやって見たい事が2つがあります。1つ目の北極圏に行ってみる。というのはどうやら、無理みたいです。ちょっと無謀過ぎる目標だからしょうがありません。もう1つの、アラスカ鉄道に乗る。というのは、フェアバンクスからアンカレッジに行く途中に乗れば良い事なので、こっちは達成できそうでした。

帰りの日本までの飛行機の予約を入れたり、アラスカ鉄道の予約をしたり、ケリー(仮名)にお別れ言ってきたり、ミツ子(仮名)さんやテイラー(仮名)さんともお別れしてきました。とうとうフェアバンクスを出発する日に、コウタロウ(仮名)さんとヨーイチ(仮名)さんが鉄道の駅まで見送りに来てくれました。最後に、二人とお別れして、アラスカ鉄道に乗ってフェアバンクスを後にして、アンカレッジに向いました。

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