カイロ再び

2000年9月9日。俺は再びカイロの空港に降り立った。前回、イエメンからカイロにやって来た時は初めてのエジプトでドキドキしていたが、今回は2回目なので懐かしさが込み上げてきた。俺は3ヶ月近くも滞在していたカイロの街に舞い戻ってきたのである。アラビア語だって簡単な質問や挨拶、数字ぐらいは喋れるはずである。

空港に降り立つと、うるさいエジプト人の客引が俺にまとわり付いてくる。こう云う奴等は、はっきり言ってボッタクリ値段を吹っ掛けてくるだけなので相手にしない方がいい。俺はカイロの物価を知っているので、そんな客引き達に騙される事はない。しかし、彼等はとても、うるさく俺に付きまとって来るのだ。「俺は全て知っているんだぞ。」と、言う事を客引き達にアピールするために、アラビア語で彼等と会話する。しかし、俺のアラビア語が彼等には通じないのである。数字ぐらいは完ぺきに覚えているはずなのに、俺のアラビア語は一切通じなくなってしまっているのだ。どうしてなのだろう?。

よくよく、考えてみると、俺がアラビア語だと思って喋っていたのはスペイン語だった。どうやら、俺の頭の中でアラビア語とスペイン語が混ざってしまっているようだ。3ヶ月のアラビア語圏の生活と6ヶ月のスペイン語圏の生活の結果、俺の脳みそではスペイン語の方が勝ってしまったようである。

スペイン語の混じるアラビア語を使いながらではあるが、前回お世話になったサファリホテルに到着することが出来た。俺が前回サファリホテルを出発した時に俺を見送ってくれた、丸川(仮名)さんを始めとして俺の知っている人がこのサファリホテルに何人か残っていたのだ。俺はその人達と9ヶ月ぶりの再会をする事が出来た。彼等は俺が居ない間もずっとサファリホテルに泊っていたのだそうだ。

当然、ほとんどの宿泊者は新しいメンバーに入れ替わっていて、サファリホテルの雰囲気はすっかり変わってしまっている。しかし、俺が今の宿泊者達と馴染むのにあまり時間はかからなかった。

ホテルのマネージャーも俺のことを覚えていてくれた。感激である。更の驚いた事に、前にカイロに滞在していた時に通っていたお店やレストランの従業員も俺の事を覚えていてくれたのだ。彼らは「いつ戻ってきたんだ?」等と、俺に話しかけてくれた。

夕食はほとんど毎日、丸川(仮名)さんが作っているみたいである。なんと、丸川さんはサファリホテルに宿泊している20人ぐらいの旅行者の夕食をまとめて作っているのだ。何人かで丸川さんの料理のお手伝いをするが、基本的には丸川さんが1人で夕食を作って、みんなに振舞っている。もちろん、材料費ぐらいは徴収するのだが、ほとんどボランティアでやっている様である。カレーの時などはどこからか人が増えてきて30人近くになる事もあるので大仕事だ。

丸川さんの「出来たよー」の声でみんなが集まって、一緒に夕食を食べる。その食事時間に丸川さんのワンマンショーが開催されるのだ。最初は、全員分の食器洗いのじゃんけんから始まって、丸川流アラビア語講座へと続き、最後には丸川オンステージへとなだれ込む。みんな、丸川さんのお喋りや歌や踊りを楽しみながら、美味しく夕食を食べる。ノリの良い日には丸川さんの歌に合わせて、手拍子や合の手が入って、丸川オンステージはとても盛り上がるのだ。俺などは先頭に立って丸川さんを盛り上げていた。それが、とても楽しいのである。

この、丸川オンステージは異常なぐらいノリノリなのである。わざわざ、丸川オンステージを見物するためにカイロまで来る旅人もいるらしい。しかし、このノリについて行けない人も当然いる。そう云う人は唖然としながらも、丸川オンステージの勢いに圧倒されてしまうらしい。そして、次の日からは丸川オンステージには来なくなる。それも又、旅人の自由である。

実は、俺はスフィンクスやクフ王のピラミットを正式には見た事がないのだ。前回カイロに滞在していた時は、ピラミット盗頂や映画の撮影の時にピラミットを見ただけなのである。まだ、チケットを買ってじっくりと観光をしていないのだ。

そんな訳で、今回はスフィンクスとクフ王のピラミットをじっくりと観光することにした。チケットを買って、正々堂々と正面ゲートから入場する。チケットを持っているのでスフィンクスの裏側に行く事も出来たし、小さな神殿に入る事も出来た。前回見逃していた所もじっくりとたくさん見る事が出来たのだ。なかなか素晴らしかった。ピラミットをじっくりと見ることが出来たのでチケット料金を払った価値があり大変満足する事が出来た。

カイロの隠れた観光スポットのスーフィーダンスも、もう1度見に行くことにした。1人で行くのも淋しいので、何人かスーフィーダンスを見たい人を募集してみた。すると、まだスーフィーダンスを見た事のないサファリホテルの宿泊者達がどんどん名乗りをあげてきた。そして、総勢9人で行くことになった。この9人の中でスーフィーダンスの場所を知っているの俺だけである。そんな訳で俺は9人のリーダーにされてしまった。

スーフィーダンスがおこなわれるハンハリーリのモスクまでは、市場を見ながら歩いて行くことにした。少し早めに出発して途中で夕食を食べてから行く。地元の食堂に入って、9人揃って食事をいただいた。食事をつつがなく済ませてから、みんなではぐれない様に気を付けながらハンハリーリを目指して歩く。なんとなく、スーフィーダンスを見に行くパッケージツアーのようになってしまった。

スーフィーダンスが始まる少し前にハンハリーリのモスクに到着した。ちょうど良いタイミングである。スーフィーダンスを見るのは今回で3回目である。それも、俺にとっては9ヶ月ぶりのスーフィーダンスなのだ。久しぶりなので、期待が高まってきた。

笛と太鼓が鳴り響き、いよいよスーフィーダンスが始まった。やっぱり、スーフィーダンスは素晴らしい。しかも、9ヶ月前よりも踊り手の人達はみんな上手になっていた。スーフィーダンスは俺が居なかった9ヶ月の間に確実にレベルが上がっていたのだ。俺はとても感激してしまった。

カイロにはハト料理という物がある。読んで字の如くハトの料理である。しかも丸焼きなのである。興味津々のサファリホテル宿泊者を募ってハトの丸焼きを食べにいくことにした。最初、ハトの丸焼きを食べたい人なんて3人ぐらいしか集まらないと思っていたが、最終的には10人も集まってしまった。人数の多さにちょっとビックリしたが、集まってしまったものはしょうがない。10人みんなでハトの丸焼きを食べに行く事にした。

夕方の頃合いを見計らって近くのハト料理屋さんへ行く。ハト料理屋の兄ちゃんにハトの丸焼き10人前を注文すると、ハトの丸焼きが乗せられた皿が10皿出てきて各自、目の前にその皿が置かれた。実際にハトの丸焼きを目の前にすると、ちょっぴり躊躇してしまう。しかし、我々はハトの丸焼きを食べに来たのである。思いきってハトにかぶりつく。10人の中には女の子もいる。ハトの丸焼きが皿に乗って出てきてビビっている男の子達よりも彼女達の方が物怖じせずに食べていたかもしれない。一応、ナイフとフォークが出ているがそんな物は使わない。手や口のまわりを脂でベトベトにしながら、みんなでハトにかぶりついた。

しかし、ハトの丸焼きを食べ始めるとすぐに、ハトの肉を食べ尽くしてしまった。どうやらハトには食べる部分があまり無いようである。骨ばかりで肉がほとんど付いてないのだ。これではお腹がいっぱいにならない。が、みんなのハトは骨だけになっている。我々のハト料理の晩餐は思ったよりも早く終了してしまった。

みんな楽しみにしていたハト料理であったが、実際のハト料理とはこんな感じだった。空を飛ぶ動物は軽くなくてはならないので、肉が殆ど付いていないのだろう。お腹は満腹にならなかったが、ハトの丸焼きが皿に乗せられて自分の目の前に置かれた時の衝撃はかなり凄かった。我々10人はハトの丸焼きを体験することが出来て、それぞれ満足しているようである。みんな、軽食やおやつを買ってホテルに戻って行った。やっぱりハトの丸焼きだけではお腹を満たすことは出来なかったらしい。

今回のカイロ滞在は2週間ぐらいの予定である。その間に、次の国のビザを発行してもらったり、色々な情報を集めなくてはならない。俺はこの後、カイロを出発してイスタンブールを目指すことにしている。この、カイロからイスタンブールまでのルートの途中にはたくさんの見所がある。そのためこのルートは世界的にも有名なルートになっているのだ。多くの人がイスタンブールへ向けて旅をしているし、逆にイスタンブールからカイロを目指している人も多い。

俺が滞在しているサファリホテルにリーコ(仮名)さんという女の子がやって来た。彼女もこれからイスタンブールを目指そうとしている1人だった。リーコさんと話ているうちに、何と彼女も俺と同じ北海道出身だと言うことが判明して話が弾んだ。そんな風に仲良くなって、俺とリーコさんは一緒にイスタンブールを目指すことにした。

俺とリーコ(仮名)さんが出発する日はみんなで盛大に送り出してくれた。カイロを出発した我々が最初に向かうのはスエズ運河である。移動手段は列車。2人で列車に乗ってスエズまで行く。砂漠の中を走る列車の客室は砂が舞い散っていた。スエズ運河の駅に到着した時には2人とも砂まみれになっていた。

スエズの町に到着して、早速ホテルを探してチェックイン。それから、シャワーを浴びて、砂を落した。かなりの砂が身体から流れ出して行くのがわかった。その後、夕食を兼ねてスエズ運河を見に行った。世界でも有名な運河であるが、砂漠の中の水路のようだった。予想通りたいした事ない運河だったが、最初っからわかっていた事なので俺はそれで満足である。船が列なってスエズ運河を通っているのが見えた。

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