アミーゴメキシコ

グアテマラのサンタエレナからメキシコのパレンケと云うところに向う。この国境は船で渡ることになる。朝早くにバスに乗って国境の川まで行く。お昼頃に川に到着。たよりないモーターボートに乗って川を進む。モーターボートが到着した所はもうメキシコである。ここでメキシコ入国のスタンプをパスポートに押してもらうのだ。他の人はスタンプを押してもらってるが俺だけスタンプを押してもらえない。係官はパレンケの街の警察署でスタンプを押してもらえと俺に言う。よく解らないのだが、係官の言うことに従うしかない。

スタンプの事がちょっと不安だったが、無事にパレンケの街に到着した。早速ホテルを探す。それから、警察署に行ってスタンプを押してもらう事が出来た。メキシコの滞在期間は90日貰えるはずである。が、俺は15日しか滞在期間が貰えなかったのだ。これでは短かすぎる。せめて30日は欲しい。パレンケの警察署では良く解らなかったのでメキシコシティーで文句を言ってやる事にした。

パレンケにもマヤ遺跡があるのでそれを見に行く。その名もパレンケ遺跡である。パレンケ遺跡はかなり綺麗に復元されていて、神殿やピラミットも素晴らしかった。パレンケ遺跡も他のマヤ遺跡と同じようにジャングルの中に神殿やピラミットが点在していた。かなり広い地下迷路もあって感激だった。その他にもほとんど復元されていない当時の面影を残したままの崩れかけている神殿も見る事が出来たのだ。遺跡に併設されている博物館も見学することができた。

マヤ文明の遺跡で俺が見たいと思っていたのは、パレンケ遺跡で最後だった。最初に見たコパンも次のティカルも今回のパレンケもそれぞれの特徴が現れていて素敵な遺跡だった。古代のマヤ文明の素晴らしさを感じる事が出来て、とても満足出来た。

パレンケからメキシコシティーまでは夜行バスで真っ直ぐ向かう事にした。メキシコシティーの近郊にはアステカ帝国のピラミットがある。このピラミットの為にチリの南端からメキシコまで北上して来たと言っても過言ではない。

今まで周っていた中米の国々に比べるとメキシコの物価は高い。都市間バスの料金も俺が想像していた以上に高いのだ。値段を聞いてビックリしてしまったが、それに乗るしかメキシコシティーに行く方法はない。メキシコシティー行きのバスの出発時間は夜だった。今はまだ、お昼前である。どうにかして夜まで時間を過ごさなければならないので、パレンケの街中をフラフラと歩きまわる。博物館などは昨日行ってしまっていたので、公園でのんびりとする事にした。夕方近くなってきた頃、地元の人達は俺がのんびりしていた公園で露店を広げ始めた。

俺は露店を始めようとしている夫婦と仲良くなった。この夫婦は観光客向けのお土産を売っている。夫婦と片言の会話が出きるぐらいに俺のスペイン語は上達している。俺は夫婦にいろいろと質問をして友好関係を築こうと試みた。スペイン語の勉強になるし、なかなか面白かった。あと、2、3日パレンケに滞在すれば、この夫婦とも仲良くなれたであろう。

メキシコシティー行きのバスの出発時間が近づいたので夫婦にさよならを告げてバスターミナルに向った。バス料金が高いだけあってメキシコのバスはトイレ付きの高級バスである。バスは夜通し走って朝にはメキシコシティーに到着した。

メキシコシティーには日本人の旅人達の間で有名な安宿があるので、その宿に泊る事にした。その宿にはいろいろと情報が集まっている。早速、俺が情報を集めていると、コロンビアで別れた森川(仮名)君がやって来た。

コロンビアで別れてからは森川君とメールでやり取りをしていたので、メキシコシティーで再会するとは思っていたが、まさか同じ日にメキシコシティーにやって来るとは思わなかった。お互いに、今までの旅の話などで盛り上がり、一緒に夕食を食べに行くことにした。

メキシコシティーはとても大きな大都市であり、地下鉄がいたる所に張り巡らされている。地下鉄路線は10路線以上はある。しかも、東京の山手線よりも頻繁に電車が来る路線もあるぐらいだ。驚きである。その地下鉄を乗りこなす事が出来ればメキシコシティーのたいていの場所に行けるようになる。

メキシコシティーには世界的にも大規模な国立博物館があるので、地下鉄を乗り継いで博物館を見に行く。アステカ帝国の大きな石版を始め、たくさんの展示品が所狭しと展示してあった。とても素晴らしかったが、博物館の2階部分が改装中で半分近くが見れなくなっているようだ。係員に博物館の改装はいつ頃終るのかを聞いてみると、1年ぐらい後との事である。残念だ。

メキシコシティーの中心部にも沢山の博物館や教会があったので見学してきた。メキシコシティーの街はアステカ帝国の首都の上に造られた街である。現在の街の中心部にはアステカ帝国の遺跡が埋まっているのだ。その遺跡が発掘されていて、発掘現場が観光客に公開されている。博物館も併設されていて、とても見応えがあり楽しむ事ができた。

メキシコシティーの俺が滞在しているホテルにヒロミ(仮名)君がやって来た。ホンジュラスのウティラ島やグアテマラのパナハッチェルで一緒だったヒロミ君である。俺達はメキシコシティーでもう1度再会する事が出来たのだ。ヒロミ君もメキシコシティーに少しの間滞在する予定らしいので、しばらくの間は一緒にいる事になる。

俺はヒロミ君と一緒に太陽と月のピラミットを見に行くことにした。太陽と月のピラミットはメキシコシティーの郊外にある。メキシコシティーのバスターミナルでバスに乗り、1時間半ぐらいかかって太陽と月のピラミットに到着した。大きな太陽のピラミットはかなり遠くからも見ることが出来た。

太陽と月のピラミットの遺跡はとても大きくて広くて観光客がたくさんいる。2つの大きなピラミット以外にもたくさんの遺跡があるのだ。色々な遺跡を見ながら太陽のピラミットに近づいて行った。ヒロミ君も遺跡好きだったようで、2人とも同じペースで一緒に見学していく事ができた。いよいよ太陽のピラミットの前まで来た。その大きさに2人とも圧倒されていた。2人ともエジプトのピラミットも見た事があるので、それと比べてしまう。

太陽のピラミットはエジプトのクフ王のピラミットに勝るとも劣らない存在感を示していて、「北斗の拳」の聖帝サウザーが造った聖帝十字陵に似ていた。きっと聖帝十字陵はこの、太陽のピラミットをモデルにしてあるのだろう。

太陽のピラミットには階段があって、頂上まで登れるようになっている。頂上からの景色は最高だった。太陽のピラミットの頂上からは月のピラミットも見る事ができて、感激である。一方の月のピラミットは途中までしか登れない様になっていたが、とても大きかった。月のピラミットから見た太陽のピラミットも壮大だった。遺跡の中には博物館もあったのでそこも見学してきた。この太陽と月のピラミットを見るためにメキシコまで北上してきて本当に良かった。

パレンケでメキシコに入国する時に俺は15日しか滞在期間を貰えなかったので、メキシコシティーのパスポートオフィスに文句を云いに言った。しかし、もっと金を払えば滞在期間を延長してやるというだけで、全然話にならない。腹が立ったがどうにもならない様である。

森川(仮名)君やヒロミ(仮名)君はちゃんと90日の滞在期間をもらってるという。俺だけ15日しか貰えないのはどうにも納得がいかない。そんな訳で、お金を払って滞在期間を延長する事もしたくない。

メキシコから出国する時に滞在期間を確認される事はほとんど無いと云う話を聞いたので、2日ほど滞在期間を過ぎてしまうが何食わぬ顔をしてメキシコを出国してしまう事にした。

メキシコからは飛行機でエジプトに飛ぶ。元来、俺の旅の目的はシルクロードなのである。最終目的地はアジアとヨーロッパの分岐点の都、イスタンブールのはずであった。それが、カイロでリオのカーニバルの話を聞いてから、どんどんシルクロードから外れて来ていたのである。このあたりで旅の方針を元に戻すことにした。

メキシコでは大西洋を渡る飛行機のチケットが安く買えると云う噂を聞いていたのだが、実際にチケットを探してみると思った以上に値段は高かった。それでも1番安いカイロまでのチケットを探すことにした。

そして見つけた航空チケットは何故かロンドン経由のものだった。どこを経由しようと俺には関係無かったので、そのチケットを購入した。これで、俺の旅もシルクロードの旅らしくなるはずである。

メキシコシティーの空港の出国手続きでは滞在期間の確認をされる事なく無事に通過できた。それよりも飛行機がとても混んでいる様で、搭乗手続きの長い行列に並ばなくてはならなかった。搭乗手続きが終ったのは飛行機が出発する20分前だった。慌てて飛行機に乗りこみ、ロンドンを経由して懐かしのカイロへむけて飛び立った。

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