エジプト初上陸

1999年10月20日。イエメンからエジプトの首都カイロに飛んできた。アフリカ大陸初体験である。ちょっぴりドキドキちょっぴりワクワクで、空港に降り立った。夜だったけど、菊代(仮名)ちゃんにエジプトの事を聞いていたので不安はない。早速、サファリホテルを探すことにした。

空港から、バスに乗ってカイロの中心部に行く。そこから、菊代ちゃんの地図を見ながらサファリホテルを探し始める。菊代ちゃんが教えてくれた目印のケンタッキーの看板を探すが、なかなか見つからない。30分ぐらい探し回ってケンタッキーの看板を発見。それと一緒にお店も発見してしまった。ちょっと不思議に思ったけど、あまり気にせずに地図にある道をどんどん進んで行く。20分ぐらい歩いて行けば、サファリホテルが見つかるはずなんだけど、なかなか見つからない。あの方向感覚が抜群に良い菊代ちゃんの地図が間違ってたのだろうか?

その辺のエジプト人に聞きながら、さまよい歩くけど見つからない。しょうがないので、もう1度ケンタッキーの所に戻って、最初からサファリホテルを探してみる。いろんな人に聞きながらやっとサファリホテルを探し出せた。ホテルに到着した時は夜中の3時ごろ。菊代ちゃんの地図に載ってる目印になるケンタッキーの場所が間違って迷ってしまったのだ。

後から分った事なのだけど、目印のケンタッキーのお店は2年前に菊代ちゃんがエジプトにいた当時はなかったもので、何ヶ月か前に新しく出来たものなのだそうだ。菊代ちゃんの地図に載ってない筈である。

到着初日はすぐに寝て、次の日のお昼前に映画のエキストラのアルバイトのお誘いで目が覚めた。菊代(仮名)ちゃんが教えてくれた映画のエキストラのバイトのお話がいきなり舞い込んできた。突然だけど、連れってってもらう事にした。15人ぐらいでワゴン車に乗せられて何処かに連れていかれた。着いた所はなんとピラミット。心構えも無くいきなりのピラミットとの対面である。第1印象はとにかくデカかった。

映画の撮影はピラミットの前でやるらしいのだ。我々、サファリホテルのエキストラ達は出番待ち。その間に、俺は初めてのピラミットの観光をする。本当は入場券を買って入らないとならないのに、映画の撮影ってことでタダで入る事が出来たのだ。でも、撮影のために来てるから、あまりウロチョロ出来ない。それでも、ピラミットの大きさは堪能できた。ホントに凄かった。スフィンクスも感激した。

撮影の方は、待てども待てども俺達の出番がこない。そのうちに、撮影隊が撮影機材を片付けて帰りはじめた。我々はびっくりして、撮影隊に話を聞いてみる。すると、今日の撮影はもうおしまいとの事。俺達の出番はいつだと聞いてみたが、撮影隊の人は知らないらしい。我々は騙されてしまったらしい。みんな怒り狂っていたけど、この仕事の話を持ってきた人が消えてしまってるのでしょうがない。約5時間ぐらい待たされて、時間を無駄にしてしまったけど、俺としてはエジプトに着いてすぐにピラミットとスフィンクスを見る事が出来たのである程度は満足できた。日が暮れる前にサファリホテルに戻る。俺はピラミットからホテルまでの戻り方も知らなかったので、みんなとはぐれないようにしてホテルに戻った。みんな疲れ果てていた。

サファリホテルはおんぼろビルの6階にあるホテルなのだ。ここでちょっと説明すると、サファリホテルは雑居ビルの中にテナントとして入っているホテルなのだ。その雑居ビルには安ホテルが5つ、民家が何軒か、他に何かの事務所がいくつか入っているらしい。その最上階の6階をサファリホテルが陣取っている。ちょと不思議だけどそうなっているのだ。しかしこのビルはとても古くエレベーターやエスカレーターは壊れてしまっていて、階段しかない。だから、ホテルに帰るには一苦労である。

菊代(仮名)ちゃんが話してくれた中林(仮名)さんには映画のエキストラから帰って来てすぐに会うことができた。菊代ちゃんが言った通り、普通の人だった。どうして、何年もここに住んでるのかを聞いてみると、中林さんはまだ旅の途中なのであって、少しの間ここに長く泊ってしまっていて、それが何年にもなってしまっただけなのだそうだ。

中林さんに仕事の話を聞いてみると、俺が聞いていたような儲かる仕事はないらしい。でも、たまに仕事の話を聞くことがあるからそういう話を教えてもらう事にした。数日後、中林さんを通して仕事の話が来たので面接に行ってみると、仕事の内容は観光ガイドのお仕事。しかし、最低でも2年以上働いてもらわないと困るとの事。俺の予定では半年ぐらいをメドに働こうと思っていただけで、2年以上働く気持ない。そんな訳でそのお話はお断りした。

それでも、半年ぐらいはエジプトで過ごそうと思っていた。今年の冬はエジプトでのんびりと観光をして、暖かくなってきたらイスタンブールを目指して北上する事にした。なぜなら、イスタンブールの冬はとても寒いと聞いたからだ。

今回の旅の元々の目的はシルクロードの旅なのだ。そして、そのシルクロードの旅で俺が目指していたのはアジアの西の果て、イスタンブールである。そのイスタンブールが見える所まで来ているのだ。無理にあせらなくてもいいだろう。

しばらくのあいだエジプトにいる事が決定したので、早めにビザの延長をしてしまう。エジプトのお役所もイエメンと似たような感じで窓口をたらい回しにされた。でも、2時間ほどでビザの延長に成功。1日仕事になると思っていたけど、結構簡単に延長する事ができてホッとした。エジプトに入国してから最長6ヶ月間の滞在ができるビザを手に入れた。これで、慌ててピラミットや神殿、その他諸々を観光しなくても良くなった。少しづつのんびりと観光することにしよう。

俺がエジプトに到着して、10日ほど経ってからよし子(仮名)さんがサファリホテルにやって来た。俺と再会したよし子さんの第一声は「日記持ってきてくれた?」だった。そして、俺がイエメンから運んできた日記は無事に持ち主の元に戻る事ができた。

よし子さんの日記には旅の途中で出会った人達の連絡先も書いてあったたしい。その連絡先を無くしてしまうことはとても辛い事である。旅先で連絡先を交換した人とは二度と会えなくなってしまうかもしれないのだ。日記が戻ってきた嬉しさは俺にも良くわかる。

よし子さんもシリアに着いてすぐに日記が無いことに気付いて、自分の荷物を全部ひっくり返して日記を探してみたのだそうだ。それでも日記が無かったので、イエメンに忘れて来てしまったのではないかと思い、ショックを受けたらしいのだ。だけど、俺がエジプトに行くことをよし子さんも知っていたので、ひょっとしたらエジプトに届けてもらえるかもしれないという期待したけど、半分は諦めていたらしい。国境を越えて運ばれてきた日記に再会できてとても喜んでいるみたいだった。

エジプトやアラブの国々ではガラベーヤと言う民族衣裳を日常的に着ている人がたくさんいる。ガラベーヤとはアラブの人達が着ている上から下まですっぽり覆える服である。日本にいてもテレビなどで見かける事があるだろう。

そのガラベーヤを欲しいと思いつつも何処で売っているか分らなかったので眺めているだけの俺であったが、ある日、サファリホテルの6階までの長い階段を上っている最中にそのガラベーヤを着ている日本人とすれ違ったのである。俺はその男の子を掴まえて何処で買ってきたのかを聞いてみた。すると彼は「これからもう一着買いに行くから。もし良かったら一緒に行きますか?」と、誘ってくれた。

絶好のチャンスと思い、彼に付いて行くことにした。バザールの中を突き進み目的のお店に到着。彼も俺もたくさんあるガラベーヤの中からお気に入りを探し出す。2人とも気に入ったガラベーヤを見つけたので協力して値切り倒してそれを買った。ちなみに俺はベージュのガラベーヤを買った。

それからの俺はほとんどの時間をガラベーヤで過ごすようになった。飯のときも、外出する時も、観光に行くときも、いつもガラベーヤを着ているようになった。

シルクロードの旅に戻る | 次のページ>>