イエメンの妻達

イエメンに来てからは殆どの時間を俺と菊代(仮名)ちゃんとあかり(仮名)さんの3人で一緒に行動していた。そんな訳で、菊代ちゃんとあかりさんには、いたる所で助けられた。あかりさんのアラビア語はもちろんだけど、菊代ちゃんの方向感覚にもたくさん助けてもらった。この菊代ちゃんの方向感覚はある意味あかりさんのアラビア語よりもスゴイ能力かもしれない。サナアの迷路のような旧市街で3人とも迷い込んでしまって、あてずっぽうに進んでいるときでも菊代ちゃんはいつのまにか帰りの道を見つけてしまうのだ。バスに乗っていても、町並みと地図を照し合わせて「ここで降りる!」と、言って、我々3人を引き連れてバスを降り、すたこら歩いて、ちゃんと目的の場所を見つけてしまうのだ。とてもスゴイ能力である。

我々3人が旅をしているイエメンはイスラム文化圏にある国である。イスラム文化圏では男女が一緒にいると云うのは自分の家族以外には夫婦だけであり、男女の友達というものは存在しないのだ。我々3人の関係をイエメン人に聞かれて、「ただの旅の友達だ」と、説明しても彼らは納得してくれない。そして、納得するまで問い詰められてしまうのである。困ったものだ。

イスラム文化を知っているあかり(仮名)さんの提案で、俺と菊代(仮名)ちゃんを夫婦、あかりさんを俺の姉という事にして旅をはじめた。そうするとイエメン人も簡単に納得してくれて、問い詰められる事なく旅が出来るようになった。

しかし、それでも意外な方から問い詰められてしまった!ある、イエメン人と和やかに話しているうちに「お前の姉さんを嫁にくれ!」と、言われてしまった。「ダメだ」と、お断りしても「絶対に幸せにしてやるから嫁にくれ」という。俺が何度断っても、なかなか引き下がらない。さすがあかりさん。モテモテだ♪じゃなくて、とても困ってしまった。その時はあかりさんを嫁に出さずに済んだのだが、これから先が思いやられる。

イスラム社会は男社会。だから、女性の運命や結婚は父親や兄が決める事になっているらしいのだ。だから、あかりさんへの求婚は全てその場にいる身内の男、つまり俺にしてくるのである。お互いに片言の英語でのやり取りである。話しがややこしくなるし、進まない。大前提として俺にはあかりさんの結婚相手を決める権利なんてある訳がないのだが、それをイエメン人に説明する訳にもいかないで困ってしまう。

イエメン人の求婚に困った俺は菊代ちゃんもあかりさんも二人まとめて俺の妻にしてしまった。それからは、あかりさんに求婚してくる男の人もいなくなって旅がスムーズになった。イスラム社会では奥さんを4人まで持って良いことになってるのだ。

そう言えば、サナア市内を走る乗り合いタクシーの中で、英語が出来るイエメン人のおじちゃんと会話した。最初は何処から来た?とか、名前はなんだ?とか、3人はどういう関係なのだ?とか普通の会話(?)をしていた。が、たまたま助手席に乗った俺が「二人ともマイワイフ」とお答えすると、おじちゃんの目つきが変わった。そして、妻を持つのは2人より3人が良い。と、教えてくれた。その理由と言うのが面白かった。

おじちゃん曰、第1婦人には12時から1時まで、1時間たっぷりと愛してあげるんだ。そして、1時からは第2婦人を愛してあげろ。第2婦人は1時間待ってたんだから、1時から3時まで、2時間かけてたっぷり愛してあげるんだ。そして最後の第3婦人は3時間待ってたんだから、3時から6時まで3時間かけて愛してあげろ。そうすればみんな平等に愛してあげる事が出来るだろ。と言うことなのだ。そう、このお話は「夜の生活」のことである。そんな事やってたら俺はいつ寝るんだ?思ってしまったけど、男ならそれぐらいは頑張ってあげないと嫁さん達が可愛そうじゃないか。と、おじちゃんはおっしゃるのだ。

その乗り合いタクシーから3人揃って降りた時、そのおじちゃんは菊代(仮名)ちゃんとあかり(仮名)さんの方をチラッと見て、ニヤッと笑って「頑張れよ」みたいな合図を俺にくれて走り出していった。

なんとなーく、怪しい雰囲気を察知したあかりさんに「あのおじさんと何話してたの?」と、問い詰められた。話をうまくはぐらかせなくなり、その事を2人に話すと、あかり婦人も菊代婦人も大笑いした。こんな感じで3人夫婦が定着していった。

アデンからサユーンまではよし子(仮名)さんも妻に加えて、イエメンおじちゃんの思い描く理想の3人妻を伴っての旅になった。が、俺が寝不足になる事はなかった。

アデンから、サナアまでの帰り道は途中の街に立ち寄りながら、のんびりと旅をしていた。夕食の後とかに3人で街中を散歩していると、女性用の下着屋さんがネオンをギラギラにして営業しているのを発見した。それがいたる所にあり、とても目立つのである。さらに、ディスプレイに飾ってある下着が、物凄いハデハデのエロエロなのである。イスラム社会のイエメンでは女性は黒いベールを身にまとっていて顔すら隠していると云うのに、中身は恥ずかしくなるぐらいスゴイ下着を身に着けているという事なのだろうか?

ドピンクでスケスケだったり、ムラサキでヒラヒラしてたり、こちらが赤面してしまう様なエロエロ下着たちが展示してあった。中には電球を取り付けられた光る下着なんてのもある。3人ともそのエロエロ具合に驚きつつもディスプレイに引きつけられてしまった。3人でイエメン夫婦の夜の生活について妄想した。きっと、普段抑圧されてるから下着でお洒落を楽しんでるんだろうね。女も男も。

なにはともあれ、我々3人は約3周間のイエメン国内の旅を終えてイエメンの首都のサナアに戻ってきた。最初にイエメンに到着した時には1週間ほど滞在していたので、帰ってきたぁ♪と云う感じだった。「ただいまぁ」と、いつもの安宿の目の前の店の兄ちゃんに挨拶すると、兄ちゃんは「ただいまぁ~」と、日本語で挨拶を返してくれた。そう言えば、最初のサナア滞在中、宿から出発する時は「行ってきます」、宿に戻る時は「ただいま」と、その兄ちゃんに挨拶してたような気がする。しかも、日本語で…。それで、その兄ちゃんは俺達が話しかけた「ただいま」を覚えてしまったのだろう。本当は「お帰りなさい」と、言ってもらいたいところだけど「ただいま」を覚えてくれただけで、充分嬉しかった。

よし子(仮名)さんは俺達がサナアに戻る何日か前に戻ってきていて、今朝、シリア向けて飛行機で旅だったそうだ。タッチの差で会えなかったが、シリアからエジプトに向うような事を話していたから、ひょっとすると、エジプトで俺と再会できるかもしれない。

夕食を食べて宿に戻ると、我々が泊っている宿に日本人の男の子が新しく泊りに来ていた。彼は今朝サナアに到着して、これからイエメンを観光するということだった。俺達が今手にいれて来た情報を彼に教えてあげた。思いがけづに新しい情報を手に入れる事が出来て彼も嬉しそうだった。そうしてると、彼は日本人の忘れ物っぽいけど、知ってますか?と言って、日記帳みたいな一冊のノートを持って来た。誰のものかを確認する意味で、中を見てみるとよし子さんの物みたいだった。きっと、忘れていったんだろう。ひょっとしたら、よし子さんと俺はエジプトで再会するかもしれないので俺がノートをもって行く事にした。でも、よし子さんと再会しなかったらどうしよう?と、思いながら夜は更けていった。

俺はこれからエジプトに行くけど、菊代(仮名)ちゃんとあかり(仮名)さんはパキスタンに戻る。今日はお互いに飛行機の予約をするために別行動をする。

菊代ちゃんもあかりさんも俺が次に行くエジプトに行ったことがある。そんな訳で旅の端々で二人にエジプトの事を聞いていた。エジプトにもパキスタンと同じように安いバックパッカー宿があるそうなのだ。そのホテルはサファリホテルと言って、日本人バックパッカーの情報交換の場所になっているそうなのだ。

そのホテルには6年もそこに泊っている、中林(仮名)さんと言う人がいるらしいのだ。普通の日本人で、ごくごく普通の人だと言う。菊代ちゃんがそのサファリホテルで中林さんに会ったというのは2、3年ほど前だと言うから、もし、まだエジプトにいるとしたら10年近く住んでることになる。その間に1回もエジプトから出た事がないらしいのだ。スゴイ話だ。俺もその中林さんに会ってみたくなった。どう云う人なんだろう?

それに、エジプトでは映画のエキストラのバイトも出来るらしいのだ。半月に一度ぐらい、映画の関係者がそのサファリホテルにやって来て旅行者役のエキストラのバイトの話を持ってくるのだそうだ。それが良いアルバイトになって、逆にお金を稼いで帰った人もいるらしいのだ。エジプトってなんだかとても良い所らしい。半年ぐらいエジプトに滞在して、お金を稼ぐのも面白いかもしれない。菊代ちゃんからは他にもたくさんのサファリホテルのお話を聞くことができた。

菊代ちゃんにはウワサに名高いサファリホテルの行き方を教えてもらい、地図まで描いてもらった。

サナアに戻ってきてからはお互いに飛行機の予約を入れたり、ビザを取るために動き回った。俺がエジプトに行く飛行機は明日出発の便なってしまった。あと2、3日はサナアでのんびりしたかったけど、飛行機は毎日ある訳じゃないし、ビザの期限が切れそうだからしょうがない。

俺は1ヶ月の間、ずっと一緒に旅をした2人の妻と涙のお別れをしてエジプトのカイロに飛び立った。とても楽しいイエメンの1ヶ月間だった。

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