世界遺産の呪縛

世界中を旅している時にたくさんの遺跡や貴重な自然を見ることが出来た。その中には世界遺産に登録されている自然や遺跡もたくさんあった。世界遺産に登録されていようと登録されてなかろうと、その遺跡や自然の素晴らしさは変わらないはずなのだけれども、世界遺産に登録されているというだけで、とても偉そうな看板やパンフレットなどが作られて、展望台や柵が新しく設営されて、観光客の立ち入る範囲を規制されてしまっているものが多い。

いろんな世界遺産に登録されている遺跡や自然を見てきたが、これが本当に世界遺産なのかと言うものもがあれば、これが世界遺産じゃないなんて不思議だというものなど、世界遺産に登録される基準があまりにも不明瞭なのだなと思わされた。

調べてみると世界遺産の登録の可否はユネスコの世界遺産委員会が決定権を持っており、ユネスコの判断で世界遺産の登録の可否や世界遺産の範囲のなども決まるのだ。同じ植生で貴重な自然が残っているのに、山の真ん中に世界遺産の区域とそうでない区域の境界線が引かれて区別されていることがある。しかも、ユネスコは世界遺産登録の可否に条件をいろいろと提示するが、その条件を満たすための資金はほとんど出していない。整備や保全をする資金は世界遺産候補を持っている国や自治体に出費させているのだ。口は出すけど金は出さないとはこの事だ。

環境保全や遺跡修復の資金は世界遺産候補の国や自治体に出資させているくせに、あれはダメこれはダメと条件を出すユネスコの態度が気に食わない。ユネスコが派遣する視察団の印象を良くするために国や自治体が視察団に気を遣いながら接待する事も気に食わない。使節団の接待の優劣で世界遺産登録の可否が決定するのだったら、世界遺産自体が気に食わない。はっきり言ってしまうとユネスコの世界遺産というシステムそのものが気に食わないのだ。

俺はユネスコが作り出した世界遺産というシステムが嫌いだ。だから、世界を旅していても遺跡や自然保護区が世界遺産に登録されているかどうかというのには関心がない。関心が無くても世界遺産に登録されていれば嫌でも看板が目に入ってくるのだけれども、それも気に入らない。

世界遺産という保護システムはすでに必要なくなっていると思うのだ。世界遺産という保護システムが作り出された1970年代には遺跡や自然保護区の保全をするには有用なシステムだったのかもしれないが、現在ではもう世界遺産は大きな集客力を誇るただの看板に成り下がったのだと思う。「世界遺産」という看板だけが独り歩きしている感じがするのだ。

日本の素晴らしい自然や歴史的建造物が世界遺産に登録されてしまうのは悲しくなってしまう。ユネスコの方から世界遺産にぜひ登録させていただきたいと、話を持ちかけてくるのであれば登録させてあげないこともないが、日本の方からユネスコに対して世界遺産に登録していただきたいとお願いするのは、気に食わない。そんな事で貴重な日本の文化や自然を世界遺産の呪縛で縛らないで欲しい。

ドイツのドレスデンのエルベ渓谷が2009年に世界遺産から抹消されている。ドレスデンの市民投票によってエルベ川に新しく橋を架けることが決定したためだ。橋を架けるとエルベ渓谷の景観が損なわれるという理由で世界遺産委員会が新しい橋の建設に反対したからだ。自分たちの生活を快適にするために世界遺産という看板を頬り投げたドレスデン市民に拍手を送りたい。

世界の優れた遺跡や自然保護区はユネスコの言いなりになっていないで、自分たちの遺跡や自然保護区の素晴らしさを自分たちで享受してほしい。今、世界遺産に登録されてしまっている遺跡や自然保護区がユネスコから無理な要求をされるのならば、世界遺産の呪縛から解放されるという選択肢もあるのではないかと思う。

世界遺産に登録されていようと、登録されてなかろうと、自然の美しさや遺跡の素晴らしさは変わりないのだから。

2012年3月17日 記入

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