年賀状の習慣

嬉しい事に2006年に年賀状を廃止したあとも年賀状をくれる友達は絶えない。年賀状を廃止してからは、寒中見舞いなどに形を変えて相手に挨拶状を送るようにしているのだが、年賀状を書くよりも寒中見舞いのほうが、慣習化されていない分だけ書き方やタイミングが難しい。

今年も普段から会う事の出来ない疎遠になりつつある友人から年賀状が届いた。年賀状は実家にも届いているらしく、1ヵ月遅れになってしまったが実家経由で届く年賀状もあった。年賀状には彼らの近況が書いてあるので、見ているだけで面白かったり、驚かされたりする。年賀状だけの関係に成りつつある人も居るのだけれども、彼らの近況を知る事ができる年賀状のおかげで疎遠にならずにすんでいるのかなと思うと、年賀状の功績は大きい。

年賀状をもらいっぱなしで、俺からの連絡が一切無いのは相手に失礼だし、俺自身としても納得いかない。なので来年からはごく少数の人達だけに年賀状を送ろうかなと、俺の気持ちが揺れ動いてきた。それでも、あまりにも年賀状を書く枚数が増えてしまうと、面倒だし負担になってしまうし、機械的な作業になってしまいそうなので、少ない枚数にしようと思っている。

普段はなかなか会う事の出来ない友達に自分の近況や気持ちを込めて年賀状を送りたい。普段から会う事の出来る友達には直接会って新年の挨拶をする事が出来るから年賀状は送らないつもりだ。そもそも、年賀状は新年の挨拶が出来ない遠隔地にいる人への挨拶のために、自分が行く代わりとして葉書で失礼させてもらうという事で始まった習慣なのだから。

2009年1月31日 記入

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