生きる能力の低下

現在は看護学実習の真っ最中なのだが、実習では病院以外の施設に行く事もある。そんな病院以外の施設の1つに子育て支援センターというものがあるので行ってきた。数人の保育士さんがいて、就学前の子どもとお母さんが遊びに来て、楽しい時間を過ごしてもらえる施設だ。対象の子どもは0歳から3歳ぐらいが多い。子供達は家にはないたくさんのおもちゃや、同年代の友達と遊ぶ事ができて楽しそうだ。そして、お母さんにとっては保育士さんに子育てで不安な事を相談できたり、同じ年代の子どもを持つお母さん達と知り合うことが出来たりするので、孤独な子育てで不安を抱えているお母さんにとっては強力なサポートになる。

まさに至れり尽くせりで魅力的で素敵な施設だ。しかもこの、子育て支援センターの利用料金は無料なのだ。何か裏に怪しいたくらみがあるのではないかと疑いたくなるぐらいの、至れり尽くせりな施設である。

利用料が無料である子育て支援センターの運営費には税金が使われているのだと言う。なぜなら、運営母体は行政なのだそうだ。

お母さん達にとっては無料で利用できる素敵な施設でありがたいのは理解できる。だが、国や地方自治体はこんなところまで国民の生活を援助しなくてはならないだろうか?至れり尽くせりでかゆい所に手の届くサービスを行政が提供しているが、そんなことをしていると、国民の生きる能力が低くなるんじゃないだろうかと心配になる。

昔は子育て支援センターなど行政が介入しなくても、地域で独自に子どもや母親をサポートする体制があったはずなのだ。しかし、戦後の高度経済成長によって、独自に子供を育てる能力が低下してしまったのだ。子育ての能力が低下した国民に行政はサポート体制を提供したが、それによってさらに国民の子供を育てる能力が低下してしまうだろう。

子供を育てる事だけでなく、国民の生活全般に行政が関与して、地域での生活は行政の指示やサポートや援助がなければ成り立たない仕組みが作られてしまっているように感じる。快適な生活やサポートの提供を受ける代わりに国民の自分で生きる能力が奪われていってしまうのだ。

行政がこんなに至れり尽くせりな施設やシステムを作って、便利な世の中を提供しているのだから、工夫してどうにかして生きようと言う、能力がどんどん低下していくのは当たり前だ。しかも、個人が独自の工夫で行政のやり方に合わない習慣を作ろうとすると、行政は潰しにかかるのだから、新しい発想は生まれなくなり、生きる能力も低下してしまうのだ。

そんな、至れり尽くせりな行政のやり方の片鱗を子育て支援センターの見学で感じてしまった。

2007年6月7日 記入

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