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ボランティアの義務化

ある総理大臣候補は大学の入学時期を秋にして、欧米などの相互の留学に支障が出ないようにしようとしているのだそうだ。そうなると春に日本の高校を卒業してから大学入学までに5ヶ月ぐらいの空白の期間ができてしまう。その間はボランティア活動に従事してもらうためにボランティア活動を義務化しようとしているのだそうだ。

ボランティア活動の義務化がおかしいと思うのは俺だけなのだろうか?俺はボランティアというのは誰かにやらされてするものではなくて、自分の意志でするものだと思っていた。

ボランティアと言うのは自分が自らの意志で共感を持った事柄に対して無償で自分の能力を相手に提供するもので、相手も自分も気持ちよく同じ目標に向って動く事だと思っていた。それを、義務化するなんてどうしても考えられない。

やりたく無いものを誰かにやらされるのだから、やる気は無いだろう。やる気の無い人間が「命令されたので、仕方がないのでやってきました。」と言う態度で働かれていては、やる気のある人間の気分を害すだろうし、そういう人間を使うほうも迷惑だ。そして、そういう人間はたいてい「ボランティアに来てやっている」という、感覚で現場に来ているはずだ。現場はそんな人間だったら必要ないのだ。現場は「他の人たちのために働きたいからやってきました」という気持ちの人間に来て欲しいのだ。むしろ、そういう気持ちを持っている人間以外がボランティアをやろうとするのが間違っている。

ボランティアで働きに来るのだったら、手弁当を持って来るぐらいの意気込みが必要だろうと思う。そして、困っている人のために働いたという満足感を持って帰るのだ。ボランティアはそれ以上でもなければそれ以下でもないと思うのだ。

ボランティア活動を規定時間以上しなければ、大学入学を認めないのであれば、ボランティアは何かの手段に成り下がってしまい、善意の活動ではなくなってしまう。既に、ボランティアと学校の単位を交換できるようになっているのだから、ボランティアは既に学校の単位を修得するための手段になっている。ボランティアは善意の活動だというイメージが先行しているだけで、実際にはボランティア活動と善意の間には大きな隔たりが出来つつある。

ボランティアを青少年に強制的にでも行わせたら善意が身につくと思っている人間が浅はかでならない。ボランティアは自分の意志で無償で自分の能力を提供したいと思って誰かのためになる事をするから、善意が芽生えるのだ。

2006年9月6日 記入

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