ミサイルドーン
主権国家の権利として、自国の防衛をする権利はどの国にもある。しかし、ある巨大で横暴な国家は自国以外の国がミサイル発射実験をする事を快く思わないどころか、ミサイル発射実験の中止を要請し、小国の自国を防衛する権利に口を出す。どんなに巨大な国であろうと、どんなに小さな国であろうと、自国の利益を守る権利は平等に持っているはずだ。巨大で横暴な国家は武力や経済力や情報操作によって自国の言い成りになるたくさんの国を従えて、自分達のやり方が最上であると考え、自分達以外のやり方を一切認めず、自分達の利害と対立する小国の利益をむさぼろうとしている。
巨大で横暴な国家は自分達だけがミサイル発射実験も核実験も当然の権利として持ち、自分達と価値観を一致させない小国には自分達と同じようなミサイル発射実験の権利を認めない。そして、巨大で横暴な国家が持っている大量のミサイルは小国の国民に標準を合わせいつでも発射できる準備が整っているのに、小国が行うミサイル発射実験は巨大で横暴な国家の国民の生命を守るため、と称して圧力をかけているのだ。しかも、巨大で横暴な国家のミサイルには核を乗せる事だって可能なのだ。
そのような横暴が世界の秩序として認められているのだからおかしな話だ。平等に話し合いのテーブルに付くのであれば、そういう安全保障という大前提を平等にしておかなければならない。安全保障という大前提が不平等なのだから、平等な話し合いのテーブルに付く事など最初から不可能なのだ。巨大で横暴な国家が圧倒的に有利なテーブルを平等なテーブルだと言い張り、そんな不平等なテーブルに付かない小国に対して圧力をかけている姿は弱いものいじめとしか思えない。巨大で横暴な国家はいつも、自分達の権力と武力で世界の紛争に首を突っ込んで、火事場泥棒のように紛争の種になっている利益を自分達が力で取り上げ、紛争をさらに混乱させ悲劇だけを増大させている。
小国がミサイル実験を行う数週間前に、巨大で横暴な国家はミサイルを軌道上で迎撃できるシステムの訓練を行ったそうだ。迎撃システムの訓練は成功し、小国がミサイルを撃ってきても、巨大で横暴な国家やその従属国の安全は保障されたと浮かれながら報道されていた。しかし、実際に小国が発射したミサイルは迎撃システムに破壊される事なく海面に着弾した。後日、迎撃システムを発動させなかったと発言をしていた。迎撃システムの絶好の実践訓練をただ指をくわえて見ていたのか、迎撃システムを発動させる事ができなかったかのどちらかであろう。どちらにしろ、もともと低かった俺のミサイル迎撃システムに対する信頼感はすっかり無くなってしまい、苦笑いしか出てこない。
こんな文章を書いていると、俺は巨大で横暴な国家がこんなにも嫌いなんだと改めて感じてしまった。
2006年7月10日 記入