募金活動

俺は基本的に募金をしない事にしている。その理由は募金を信用できないからだ。ナンタラ色の羽の募金を集めるために子供たちがおそろいの服を着て「募金をお願いしまーす」と叫んでいるのをたまにみる。子供たちは健気に声を張り上げて募金をお願いしている。その後ろにその子供の親と思われる大人が付いて見守っている。子供たちは世界の貧しい人たちのために善意で遊びたいのを我慢して募金活動に協力しているのだろう。子供たちの後ろで見守っている大人達にしても自分の休日を返上して、世界の貧しい人たちのために募金活動をやっているのだ。その人たちの努力や行いは俺も素晴らしい事だと思う。

しかし、その集められた募金は実際に何に使われるのかは疑問だ。実際に援助を必要としている貧しい人たちに援助物資を提供しているのだろうか?援助を提供する貧しい人たちの選別はいったい誰がやっていて、どのような基準で援助物資を提供する順位を決めているのだろうか?本当に援助を必要としている人たちに募金で集められたお金は行き渡っているのだろうか?途中で援助の必要ない人が搾取しているのではないだろうか?などなど、疑問は果てしなく出てくる。

俺が旅をしていた時の話だが、日本の公共機関やその他の関連機関が救援物資として救援が必要な国に送った救援物資の缶詰や携帯用の食事が市場で売られているのを見た事がある。本来であれば救援物資は非売品でその日の食べるものにも困ってる人の胃袋に入るものだ。それが市場で売られていると言うことは、何処かで救援物資が横流しされた可能性以外に考えられない。税金や募金で賄われた救援物資がそのように横流しされ、悪意のある人間達に莫大な富を与えているであろう。全てではないにしろ、そのように利用されてしまっている募金事業に協力する気にはどうしてもなれない。

ただ、俺は募金や寄付を全て認めていない訳ではない。募金をする事によってその人の気持ちが満たされる事もあるだろうし、救援物資の大部分が横流しされて不正に利用されたとしても一部の救援物資だけでも本当に必要とされる人の手に渡れば、救援物資を手に出来た人にとってはありがたい事であろうし、命を取り留める結果をもたらすこともあるだろう。そういう可能性は否定しないし、そのために募金をする気持ちは十分に理解できる。

俺はそういう考えには共感できないだけだ。どうせ、援助を必要としている人を助けるのなら人に任せるのではなく、援助を必要としている人を自分自身の目で見て、その人が本当に必要としている援助を判断して援助をしたいのだ。公の募金には俺の意見が何も反映されないところが気にいらない。

2006年6月3日 記入

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