核拡散禁止条約
先日、米国が臨海前核実験を行ったそうだ。別に米国や英国や仏国が核実験をしても俺は気にしない。ただ、自国が核実験をするのに他の国が核実験をす るのは認めない考えが許せない。納得いかない。根本的に力のある国だけに核を持つ特権を与え、他の国には核を持つ権利を与えない核拡散禁止条約が好きではない。こんな不平等条約は守る必要はないと思っているし、調印する価値すらない。だいだい、核を持つことを認められた国と認められていない国がある事がおかしい。核を持つことを認められてない国が核を持ちたいと思う事は必然であり、核を持っている国がそれを阻止する権利は無い。
インドやパキスタンが核兵器の開発に成功している。イランとイラクと北朝鮮が核開発を進めている。これを阻止しようと核を持っている国が干渉するのがおかしいのだ。既に核を持ってる国は正当化されて、核を持っていない国がこれから核を持とうとするのを不当化されるのは納得できない。こんな不平等をきちんと説明をできる人間は誰もいないだろう。核兵器の脅威が世界に広がらないようにするのであれば、既に核を持っている国の核を廃棄しなければ根本的な問題解決にならない。既に存在する核兵器の事は棚に上げて、これから作られる核兵器だけを問題にするのがおかしい。これから作られる核兵器のよりも、既に存在している核兵器の方が何倍も危険性が高い。これから作られる核兵器を発射するには何年もかかるが、既にある核兵器はボタン1つで発射する事ができるからだ。
米国が臨海前核実験をするのであれば、イランやイラクや北朝鮮が同じ事をしても米国が文句を言える道理は無いのだ。その様な米国の横暴がまかり通ってしまう世の中では平等も道理も通じない。力を持ってる国の主張は強く、力の無い国の主張は弱い。そして、力の強さは時代とともに常に変化していくものである。
力の無い国も力のある国も平等になるようにしたいのであれば、不平等条約は撤廃するべきである。不平等条約である核拡散禁止条約はできるだけ早く廃止し、これに変わる平等な条約を締結するべきだ。こんな不平等条約を認めている国連の存在理由も既に無いのではないかと思う。時代は21世紀なのだから20世紀の遺物にしがみついている必要はない。
2006年2月25日 記入