神様は信用できない

俺は神様と言う存在が信用できない。でも、宗教や神の存在を否定するのではない。世界各地の宗教の教えの中には素晴らしいと思うものがたくさん存在 する。キリスト教でも仏教でもイスラム教でも「両親を大切にしろ」「隣人に親切にしろ」「憎しみの心でなく愛の心で人に接しろ」と、言うような事をどの宗 教でも言っている。どの宗教も同じような事を言っているのに、それを広める方法が違うために喧嘩して、人殺しにまで発展してしまい、お互いに憎しみを強め てしまう。どの宗教も求めているものはだいたい同じはずなのだが。

特に俺が信用できないのはキリスト教の神様だ。他の宗教の神様もそれなりに信用できないのであろうが、おれ自身の知識が足りないために、信用できる かどうかの判断がつけられないだけであるのだが。キリスト教の神様が信用できない理由は神は全能であり、全て思い通りになるはずなのである。キリスト教で はそれが大前提である。そして、神は海を作り、大地を作り、動物を作り、人間を作った。そして、神に作られたアダムとイブは神を裏切ってリンゴを食べて、 神の怒りに触れてエデンの園を追い出された。ここで、俺には疑問が浮かぶ。神が全能であれば、神を裏切ってリンゴを食べるような人間は作らないはずであ る。神の思い通りになる人間を作っているはずである。人間がリンゴを食べる事を予想できないような神であったら、そんな神は全能ではない。もし、神が全能 でないのであれば、キリスト教の根底が崩れてしまう。もし、神が意図的にリンゴを食べて罪を働くように人間を作ったのであれば、神は全能であるだろう。し かし、そんな性格の悪い神に救ってもらいたいなどとは思わないし、性格の悪い神が、人間を救済するとは思えない。

なので、俺は神を信用する事はできない。宗教は興味深いものがあるので嫌いではないが。

2005年12月20日 記入

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