国家の信頼性

俺は日本政府や国家に何かしらの期待は持っていないし、日本の国家がどうなっても構わない。日本政府に期待が持てないのは、今の政府のやることをみていると、こんな人間達に俺の生活の舵取りをさせて、安心できないからだ。俺が政治家を信用できなくなった、一番の理由が年金問題だ。年金の法律を改正して「これで将来も安心」といってるけど、普通に計算しても全然安心できない。奴らの口先だけで国民を安心させようとしているだけだ。そんな年金は払う気がすっかり失せた。当然、もらえるとも思っていないから、期待していない。

どうせ、将来、政府の運営が上手くいかなくなった時に、しわ寄せを国民に突きつけるだろう。そして、その責任がある政治家達はその時にはすでに、寿命が尽きて死んでいる事だろうから、奴らは痛くもかゆくもないはずだ。そんな奴らに俺の将来を任せる気はさらさら無い。そんな日本国家を信用しろと言うのが、俺には納得いかない。日本政府や日本国家が信用できないのだ。信用できないものに俺の将来を任せるわけが無い。

そんな信頼感や期待感の無い日本政府だが、まだ利用価値ぐらいはあると思ってる。今の日本政府には責任を取る能力は無いと思うが利用価値は認めている。なので、日本政府や国家を利用できるところは最大限利用しようと思う。

今の日本政府に利用価値すらなくなってしまったら、魅力は一切無くなってしまう。期待感も信頼感も責任感も無い日本政府だけど、利用価値があるのはせめてもの救いだと思う。

2005年11月2日 記入

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