ジンバブエ経済

ジンバブエは2002年ぐらいから経済の崩壊が続いていて、急激な通貨レートの下落がつづいていたんだよね。だから、外貨の両替には闇両替が存在してたの。闇で両替するとおかしいぐらいに良いレートで両替をする事が出来るから、一気にお金持ちになれてしまうんだよね。だから、旅行者にとって、ジンバブエは買い物天国になっていると聞いていたの。

その分、ジンバブエ国民の生活は苦しくなっているから、治安はどんどん悪化しているって聞いてたの。押し込み強盗とかが多発していたから十分に気をつけながら旅をしなくちゃならないよって教えてもらっていたんだよね。

そんなジンバブエの情報をいたるところで仕入れながら旅を続けていたから、ジンバブエではとても安く旅行が出来ると思ってたの。

でも、俺がジンバブエに入国した2004年の1月には状況が一変していたの。安宿や列車の切符や博物館の入場料なんかの支払いが、ほとんどSUドル払いになってしまっていたの。しかも、闇両替もほとんど無くなってしまっていて、闇両替のレートと銀行のレートがほとんど変わらなくなってしまっていたんだよね。場所によっては銀行で両替するのが一番良かったりするんだよね。だから、噂に聞いていた買い物天国のジンバブエがすっかり変わってしまっていたの。

どうやら、2004年の1月1日から大規模な物価の変動やレートの変更が行われて、銀行の両替のレートが闇両替のレートに合わされたみたいなんだよね。それと同時に安宿や列車や博物館の入場料なんかも倍ぐらいの値段に値上げされちゃったみたいなんだよね。こんな感じで2003年と2004年の物価はすっかり変わってしまってたから、旅行者の買い物天国は既に終わってたの。

物価が急激に上がっていくとジンバブエ国民の生活は貧困になってしまって、治安が悪くなっていくんだよね。そんなジンバブエを旅する時には後ろを振り返りながら、周りに注意して強盗に襲われない注意を常にしてたんだよね。その他にも夜は外出しないように気をつけたり、人気のないところは行かないようにしたり、荷物はゼッタイに自分から離さないようにして旅をしてたの。そのおかげで強盗に襲われる事はなかったんだけどさ。

そんな貧困にあえいでいるジンバブエは物乞いが増えてるみたいなんだよね。小額のお金を渡したら嫌な顔をする裕福な物乞いじゃなくて、本当にその日の食事にも困っている物乞いがいるの。普段はあんまり物をあげない俺もそんな物乞いには食べ物を分けてあげたさ。

夕食は宿で自炊をしようと思っていた俺はスーパーで夕食の材料を買って宿に帰ろうとしてたの。そこで、まだ10歳ぐらいの女の子を中心に4歳ぐらいまでの子供達が5人ぐらいで俺に付いてきてしまったの。彼女達は英語を話せないみたいなんだけど、お腹が減ってるから俺の持ってる食料が欲しいってジェスチャーで示すの。

子供が物乞いで簡単にお金を稼いでしまうと仕事をしない大人に成長してしまう可能性が高いんだよね。だから、普段は子供たちがお金を欲しがってもお金をあげない事にしていたんだよね。それに、子供にお金をあげても、たいていの場合は別の場所に親がいてその親が子供の稼ぎを取ってしまうだけなんだよね。

でも、この女の子達は本当にお腹をすかせて俺に助けを求めてるみたいだったから、夕食用に買ってきた食パンを一切れあげることにしたの。10歳の女の子にパンをあげると、パンを大事に抱えて行ってしまったんだよね。きっと、本当にお腹をすかせていて、親もいなくてストリートチルドレンをやってるのかなと思ってしまったさ。

今日は俺からパンを貰えたけど、明日からの食べ物の保障は何もない訳だし、色々と考えさせられてしまったさ。募金とかの善意のお金も本当に困っているこういう子供たちのところには行き渡らないから、こうやって俺にパンを貰いに来たんだろうなと思ったさ。

ジンバブエを出国してタンザニアやケニアでこれからジンバブエに行こうとしている旅行者に会ったの。彼らは2003年のジンバブエの闇両替の情報を持ってるから、ジンバブエで闇両替の恩恵を受けようと思ってるんだよね。そんな彼らに俺が体験した2004年のジンバブエの新しい情報を提供しながら旅をしたんだよね。ジンバブエに行こうとしてた旅行者達は、最新の情報を聞いてがっかりしてたんだけど、旅ってそういうものなのかもしれないね。

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