バガモヨ観光

2004年2月に行ったタンザニアのバガモヨのご紹介。

2月8日の朝食を食べた後にバガモヨの1日観光に出かける。タンザニアの首都のダルエスサラームのカリアコーマーケットからバガモヨに行くローカルバスが出ているので、それに乗る予定だ。カリアコーマーケットは活気があって面白いが、人がたくさんいすぎてバスを探すのにもちょっと苦労する。それでもバス乗り場を発見してバスに乗り、途中でバスを乗り継いでお昼前にはバガモヨに到着することが出来た。

バスを降りてのバガモヨの第一印象は、のどかでのんびりとしている感じだった。旅の疲れを癒すためにのんびりと過ごすにはとてもよさそうで、村中がゆったりとした雰囲気につつまれている。どうせだったら今日はここにとまっても良いと思ったが、荷物はダルエスサラームの宿に置いてあるので日帰りで帰らなければならない。

バガモヨにはカオレというイスラム遺跡があるというのでそれを見に来たのだが遺跡がどこにあるのか判らない。とりあえず、村の中心を歩いてみると遺跡の看板を発見したのでその看板の示す通りに歩いてみることにした。

俺が思っていたよりもカオレ遺跡までは距離があるようだ。カンカン照りの太陽を頭上に受けながら田舎道を歩く。途中で海が見える景色の良い場所に出たのでちょっと休憩をして体力とやる気を回復させる。再び歩き出すが、なかなかカオレ遺跡に到着する気配がしない。本当にこの道なのだろうかとちょっと不安になるが、ここからバガモヨの村に戻るのも距離があるので、とりあえずは先に進んでいくことにした。

しばらく歩いていると、小さな集落に到着した。そこの村人にカレオ遺跡のことを聞いてみると遺跡はこの先にあると言うような事を教えてくれた。どうやら道は間違っていなかったようだ。ただ、距離が予想以上に遠かっただけのようだ。結局はバガモヨの村から1時間半ほど歩いてカオレ遺跡に到着した。

カオレ遺跡は修復などは殆どされていないようだ。崩れかけの柱や壁がそのまま点在しており繁栄していた当時の建造物の残骸があるだけの遺跡だった。モスクや宮殿や壁の跡を歩きながら建造物の残骸の中でカオレが繁栄していた当時の風景を思い浮かべる。

こんなちっぽけな遺跡にもガイドがいたので彼に遺跡の中を案内してもらった。俺は綺麗に修復されて管理が行き届いている遺跡よりも、当時のままの姿を残して放置されている遺跡の方が好きだ。崩れかけている柱や壁の中に身を置いて、カレオ遺跡が風雨にさらされてきた年月の長さに思いを巡らし、繁栄していた当時の姿を想像する。現在も進行形で風化して崩れて朽ち果てているカレオ遺跡の歴史の瞬間に立ち会っているのだ。

補修が行き届き、管理がしっかりと出来ていて詳しい解説がある遺跡もその素晴らしさがあり興味深いが、カレオ遺跡のような朽ち果てている遺跡にもそれなりの素晴らしさがある。

小さいながらも十分に満足できたカオレ遺跡を見学した後はまた同じ道を帰る。ここはバス路線もないようなので帰りもバガモヨの村まで歩いて戻らなくてはならないようだ。さすがにちょっと疲れていたのでカオレ遺跡の近くの集落で休憩をしてから歩くことにした。

来るときには気が付かなかったが集落には小学校があるようで子供たちがたくさんいた。子供たちとなんとなく仲良くなり小学校の敷地の中に入れてもらった。小学校はちょっと小高い丘の上に建っておりそこからは海を見ることが出来た。眼前にある海はインド洋だ。カレオ遺跡が活気に満ちている頃にはこの海を越えてイスラム商人が交易をしていたのだろう。子供たちと友好を深めていると何処からか先生も出てきた。日本から来たことや旅の話などをして突然の国際交流を楽しんだ。

小学校の前でヒッチハイクを試みるとすぐにバガモヨの村まで行く車を捉まえることができた。車に乗せてもらうと楽々とバガモヨまで戻ることができた。彼らはこれからダルエスサラームまで行くというので、せっかくなのでダルエスサラームまで乗せてもらうことにした。

ヒッチハイクをした車のおかげで夕方にはダルエスサラームに戻ってくることができた。

ダルエスサラームの宿に戻ってから、これから何日かバガモヨに滞在してみようかどうか迷ったが、予定通りに明日ケニアに向けて出発することにした。

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