ハラレ観光

2004年1月の後半にジンバブエの首都のハラレ近郊での観光のご紹介。

2004年1月22日の夜にビクトリアの滝からジンバブエに入国し列車やバスを乗り継いで首都のハラレに到着した。ハラレの治安は悪化しているという情報を聞いていたので、注意をしながら安宿に向う。無事に強盗に襲われることなく、宿につくことが出来て安心した。

実はハラレに到着する前にちょっと寄り道をしていた。ビクトリアの滝からハラレに向う途中に温泉があると言う情報を聞いていたので、その温泉に1泊したのだ。ジンバブエにしては高額な値段だったが、それ相応の美味しい食事とのんびりとした時間を過ごす事ができたので大満足だった。

ハラレは久々の大都市だったので3泊ぐらい滞在する事にした。ハラレには2000年の2月にも来たことがあるので懐かしい。ハラレの街の中心部を歩き回るが2000年にきた時とほとんど変わっていない。ほとんど俺の記憶をたよりに街を歩き回る事ができた。

街の中心部を歩いていると、賑わっている場所と寂れている場所がはっきりと判るようになっている。寂れている場所は確実に治安が悪くなっているので近づかないように気をつける。数日前に同じ宿に泊まっている旅行者が襲われて怪我をしたと言う話を聞いたのは一度だけではない。

1月24日は朝早くから精力的に観光をする。最初は美術館とハラレガーデンにいく。美術館は近代美術の絵画や彫刻が展示してあった。ハラレガーデンは普通の公園といった感じだ。

それから博物館に向う。博物館はジンバブエの歴史や動物のはく製などが展示してあった。期待していたよりもたくさんの展示物があり、十分に見ごたえのある博物館だった。

その後にバランシングロックを見に行く。バランシングロックはジンバブエのお札に描かれているジンバブエでは有名な石だ。バランシングロックはハラレの街の郊外にあるので、30分ほどミニバスに乗って向う。バランシングロックに到着すると雨が降ってきたので公園の事務所で雨宿りをする。20分ぐらいすると雨がやんだのでバランシングロックの公園内を見学する。公園の中は結構広くなっており、ほとんど整備されていない。看板もいい加減で、奥に進んで行こうとしても道が無かったりするところもある。バランシングロックは園内に点在しているので、足跡と頼りに自分で歩きやすい道を見つけて見学しなくてはならない。

バランシングロックは長年の侵食の影響で現在のような重なった石の姿が出来上がったのだと言う。ジンバブエのお札に描かれている三段重ねの石はかなり巨大なので遠くからでも見渡すことが出来る。ほとんど整備されていない道を通って近くに辿り着くとなんとも不思議なバランスで重なり合っていて面白い。

ここには古代に描かれた壁画があると言うのでそれを探す。なかなか見つからなかったが、この公園の職員風な人に聞いてその場所に連れて行ってもらった。すると、石と石の間を抜けて道とは言えないような場所を通って連れて行ってくれた。注意して見なくては見過ごしてしまいそうな壁画を職員風な人が指差して教えてくれた。壁画はかなり薄くなっているがなんとか確認する事ができた。

バランシングロックから戻るには同じようにミニバスに乗らなければならないのだが、1時間ほど待ってもミニバスはやってこない。結局は乗用車をヒッチハイクしてハラレの駅まで送ってもらった。

強盗に注意しつつあわただしく観光を終わらせて1月25日にハラレを出発する。2000年にハラレにやって来たときに見落としていた場所を今回は観光する事ができた。それでもまだ見落としている場所はたくさんあるのだと思うが、十分にハラレ観光をする事ができた。

次の目的地はザンビアの首都のルサカだ。昨日のうちにザンビアとの国境まで行くバスの乗り場は確認してある。今日のうちにルサカに到着したいと思っていたので朝からバスの出発を待つ。しかし、バスはお客が揃わなくては出発しないのだ。結局、国境行きのバスが出発したのは午後1時だった。

バスは出発してからもトロトロと走っていたので国境に到着した時には夜になっていた。こんな時間ではイミグレーションは閉まっているだろうし、治安も心配なので、結局は国境の村で1泊する事になってしまった。そして、次の日の朝から移動を開始し、ようやく夕方にルサカに到着する事ができた。思っていたよりも、ジンバブエの首都のハラレとザンビアの首都のルサカは遠かった。

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