サルタの雲の列車

2003年11月にアルゼンチンのサルタの観光列車に乗った時の話のご紹介。アンデス山脈を走る観光列車の話。

標高1187メートルのサルタの町から標高4220メートルの峠を越えてサン・アントニオ・ロス・コブロスという村まで観光列車が出ている。この列車は「雲の列車」と言われていて朝早くにサルタを出発して夜遅くにサルタに戻ってくる列車だ。昔は主要な交通機関として活躍していたが、今は交通機関の主役を道路に譲り、観光客を乗せてのんびりとサルタとサン・アントニオ・ロス・コブロスを往復している。

かなり人気のある列車なので事前にチケットを買っておかなくては乗れないようだ。まずはサルタで雲の列車の情報を集める。観光案内所でチケットの購入方法や購入場所を調べてチケットを買う。出発日までは時間があるので、その間は他の観光をして数日過ごした。

雲の列車の出発時間はまだ暗い早朝だ。ホテルから歩いて10分ほどで駅に到着する。もちろん事前に駅の場所は確認済みだ。早朝の駅は活気があり、観光客と物売りたちで賑わっている。その中に入り込んでいき駅員にチケットを見せるが、もう少し待っているように指示された。きっと、ラテン時間なので出発時間は遅れるだろうと思っていたら、予定通りに30分ほど遅れて列車は出発した。

観光列車なので座席は全て予約制で決められている。俺は窓側の席に座る事ができた。観光列車に乗る場合の座席の位置は重要なのでとても嬉しい。サルタの街を抜けた頃にようやく辺りが明るくなってきた。張りつめた空気を切り裂くように太陽が昇ってきた。

早朝の乾いた大地を走る。列車は軽快に走っていたが急に止まってしまった。どうしたのかと思っていると今度は反対方向に走り出した。何かと思ったら列車はスイッチバックをして坂を登り始めていた。サルタに向うレールが下のほうに見える。更にスイッチバックを繰り返して雲の列車はアンデス山脈を登っていく。

荒涼とした景色の中を列車はゆっくりと走る。車掌兼ガイドが各車両に乗っており、地形やその他の色々な事を説明してくれる。説明は専門的な単語がたくさん出てくる。俺には詳しい事は殆ど理解する事ができなかったが、荒涼としたアンデスの景色に解説などは要らない。

雲の列車はカーブを繰り返しながら標高をあげていく。通ってきたレールを見下ろす事ができる。途中で道路とレールが並んで走っている場所がある。何台かの観光バスが雲の列車と並走して走っており、我々に向かって手を振っている。我々も観光バスに向って手を振り返す。この観光バスは雲の列車と平行して走りる事を売り物にしているバスだという事を車掌兼ガイドから教えてもらった。

昼を過ぎた頃にようやくサン・アントニオ・ロス・コブロスに到着した。列車はすぐに最大の見所である鉄橋を渡る。写真撮影のポイントでもあるために列車は最徐行で時間をかけてゆっくりと渡り始める。観光客が喜びそうなツボをしっかりと押さえている。サルタの街で売られている絵葉書の代表的な構図がこの鉄橋を渡る雲の列車の写真なのだ。今その中に自分がいると思うと、なかなか気分の良いものだ。

サン・アントニオ・ロス・コブロスでは30分ほど休憩を取る。ここは4000メートル近い場所なのでさすがに寒い。村の人々が物売りに来ている。アクセサリーや織物や編み物などたくさんのお土産を売っている。俺は腹が減ってきたので、適当な食べ物を買って食べた。

帰りはフォルクローレのグループが車両で歌を披露してくれた。車両の雰囲気はだんだんと盛り上がっていく。十分に盛り上がったところでフォルクローレのグループはマイクを乗客に向けて質問コーナーが始まった。乗客の出身地を聞いていたら日本人は俺だけだった。そんな訳で日本の歌を何か歌えと言われてしまい、マイクが俺のところに来てしまった。俺は歌が下手なので断ったのだが、こういう時に日本人には拒否権が無いらしい。半ば強引に歌わされる事になってしまった。

日本の歌と言われても、俺が歌える日本の歌など急には思い浮かばない。そんな中で俺が選曲したのは「まつぼっくりの歌」だ。この歌は俺が子供の頃に父親から教えてもらった唯一の歌だ。この車両に乗っている人間は誰も知らない歌を選択してしまったが、短い曲だったのでその場の雰囲気を壊す前に歌い終わることができた。普通であれば絶対に盛り上るはずの無い「まつぼっくりの歌」なのだが乗客たちからは大喝采を受けた。そして、最後はフォルクローレのグループがキッチリと車両の雰囲気を盛り上げて次の車両に移っていった。

フォルクローレのグループが次の車両に行った後もしばらく盛り上がっていたが、綺麗な夕焼けを見た後は車両の雰囲気も落ち着いてきた。そのうちに辺りはすっかり暗くなった。

列車はサルタを目指して闇の中をのんびりと走っていく。列車の窓から星を眺めていたら巨大な火柱が視界に入っってきた。どうやら線路の近くで山火事が発生しているらしい。驚いた俺は車掌兼ガイドに報告したが、別に驚く様子はない。この辺では山火事は日常的なことなのかもしれない。

スイッチバックの場所まで戻ってきたところで列車は1度停止する。それから逆方向に動くはずなのだが列車はそれっきり動かなくなってしまった。何も連絡がないまま30分ほど列車は止まったままだ。そのうちに車掌兼ガイドから「列車が故障したのでサルタに応援を頼んだ。その応援が来るまで3時間ほど待機しなければならない。」と言う知らせがあった。その事実を知らされた車内は騒然とした。そして、車内の陽気なラテン人たちは歌と踊りで盛り上がり始めた。どうやら車内でイラついているのは日本人の俺だけのようだ。俺がさまよっているラテンの世界ではこれぐらいの事でイラついていては生きていけないのかもしれない。そんな陽気なラテン人でも1時間後には疲れが出始め、歌と踊りのテンションが低くなってきた。

ようやく列車が動き出した時にはこの列車の旅で一番大きな拍手が起こった。疲れ果てた乗客たちはぐったりと座席に深く沈み込み夢の世界をさまよいつつサルタに到着するのを待った。結局、サルタの駅に戻ってきたのは夜中の2時だった。誰もいない真夜中の駅で乗客たちは楽しかった思い出とたっぷりの疲れをお土産にしてそれぞれのホテルに戻っていった。

しかし、一番大変だったのは乗務員なはずだ。疲れている中で全力で復旧してくれた彼らに感謝したい。

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