ウユニ塩湖ツアー

2003年5月に行ったボリビアのウユニ塩湖ツアーのご紹介。ウユニ塩湖ツアーの時の資料は盗まれたのでありません。完全に俺の記憶だけを頼りにして書き起こしているので、事実と違うことがあると思いますが、その辺はご容赦を!!

ウユニ塩湖の名前を初めて聞いたのは2000年に南米に来たときである。その時はさほど魅力を感じなかったのと、とても寒いという話を聞いたのでウユニ塩湖には行かなかった。そして、今回、もう一度南米に来たのだからウユニ塩湖ぐらいは見ておこうと思い、実行に移した。

ボリビアのウユニという町でウユニ塩湖に行くツアーを申し込む。このウユニという町はウユニ塩湖に行くツアー客のためにあるような町だ。町の中にたくさんのツアー会社がひしめき合って、ツアー会社ストリートを形成している。そこに世界各国から来た外国人があふれているのだ。西洋人が喜びそうなカフェやレストランも充実していて観光の街になっている。ウユニに到着した俺はすぐに宿を決め、そして、ツアー会社選びに翻弄されることになる。

出来るだけ安いツアー会社を探しながら、ウユニの町をぶらぶら歩く。ツアー会社を数件回って相場やツアーの雰囲気を確かめる。ウユニ塩湖のツアーにはどうやら日帰りツアー3泊4日のツアーがあるらしい。3泊4日のツアーは塩湖以外に、沢山の湖をを見学しチリ国境まで行くツアーだ。俺はそのままチリに行く予定だったので3泊4日のツアーに申し込む事にした。

問題はどの会社のツアーに申し込むかである。重要になってくるツアー選びのポイントは値段とガイドと一緒に行くメンバーである。ツアー中の4日間は常に一緒にいなくてはならないので、ツアーが楽しいものになるかつまらないものになるかは、メンバーしだいなのだ。

わがままな人がいると、その人に振り回されて散々なツアーになってしまう。その他にも自分以外のメンバーが全員同じ国の人だと言葉の壁が出来てしまい、どうしても1人だけ孤立しまう。

なるべく1人参加している人が多いツアーを選んで申し込んだ。が、ここはハプニングの宝庫ラテンアメリカのど真ん中だ。実際に出発してみないとどんなメンバーどんなツアーになるかは判らない。悩みに悩んだ末に次の日の出発のツアーに申し込んだ。

ウユニ塩湖のツアーを決めたあとは暇だったので、ウユニの街を散策した。本当に小さい街で、少し歩くと何もなくなってしまう。時間があるので30分ほど歩いてウユニの街の郊外にある列車の墓場に行ってみることにした。

街から外れてしばらく歩くと、使えなくなった列車の車両が無残に置き捨てられた場所がある。そこが列車の墓場なのだそうだ。静かな場所で、機関車、貨物車、客車等の壊れかけの車両が無秩序に置き捨てられている。淋しい感じで、哀愁が漂っている場所だ。しばらく、列車の墓場を歩き回っていると、観光客がランクルで乗り付けていた。どうやらここはウユニ塩湖のツアーコースに入っているらしい。

列車の墓場の哀愁を堪能しているうちに太陽が夕日に変わっていた。暗くなる前にウユニの街に戻りたいので、少し早めに列車の墓場を後にした。

夜、夕食を求めて街を歩き回っていると、3月にブエノスアイレスの宿で一緒だった、今田ケン(仮名)さんと再会した。2ヶ月ぶりの懐かしい再会だったので一緒に夕食を食べる事にした。お互いにブエノスアイレスからの旅や今後の予定などを話し合った。今田ケンさんは明日、ウユニ塩湖の1日ツアーに行くのだそうだ。その後、ブエノスアイレスに戻ってから、日本に帰国するそうである。久しぶりに母国語での会話を楽むことが出来た。

ウユニ塩湖に出発する朝。天気は快晴だ。集合時間の朝9時にはたくさんの欧米人がツアー会社ストリートの前に集まっている。俺のツアーのメンバーも集まってきた。

メンバーはアイルランド人男性2人組みの他は全員1人参加で、フランス男性、ドイツ女性、オランダ男性に俺の6名だ。集合時間に遅れることなく全員そろってお互いに自己紹介を済ませる。時間通りに物事が進まない南米で時間通りに全員集まるなんてとても珍しい事だ。嬉しい誤算である。この先も順調にツアーが遂行されそうな予感がする。

しかし、メンバーが全員集まっているのに、なかなか出発しない。隣の会社のツアーがランクルに荷物を載せて出発しているのを横目に、我々は待機しているだけである。そうこうしているうちに、残っているのは我々だけになってしまった。どうやら、我々の乗るランクルが到着しないようである。メンバーが時間通りに全員集まったまでは良かったが結局は遅れてしまう。南米では時間通りに物事が進むはずが無いのだ。ようやく、我々が出発できたのは11時半である。

我々のウユニ塩湖ツアーがようやく始まった。ドライバーを含めてランクルには7人も乗っている。ランクルはウユニの街を抜けて、舗装の幹線道路を進んでいく。途中から道を外れて小さな村に寄る。遠くにウユニ塩湖の白さが見える村で最初の休憩だ。

この小さな村でドライバーが交代する。実はここまで運転してくれた人はガイドではなくツアー会社の社長だったのだ。我々のツアーはランクルだけでなくガイドも決まってなかったのだ。社長は今朝、ツアーから戻ってきたばっかりのガイド休み返上でもう一度ツアーに行ってくれるようにお願いしている。ガイドだって、1日も休まずに連続で仕事をするのは嫌であろう。社長と激しく討論をしているが、結局はガイドがもう一度、ツアーに行ってくれる事になった。俺が思っているよりも南米は奥が深い。

まだ油断は出来ないが、これで、本当にウユニ塩湖ツアーが始まった。最初はふくれっつらだったガイドの機嫌もしばらくすると普通に戻った。ランクルは我々を乗せてウユニ塩湖を目指した。

茶褐色の大地がいきなり白くなった。ウユニ塩湖に突入したのだ。ウユニ塩湖に入ってすぐにガイドは車を止めてくれた。ランクルを降りて塩の大地に降り立つ。見渡すが切り真っ白で、遠くにアンデスの山並みが見える。素晴らしい眺めだ。

ここでは塩を生産している。塩湖の塩を山積みして、太陽熱で水分を蒸発させている。1メートルぐらいの高さの塩の山がたくさんある。少し舐めてみるとしょっぱかった。各自がウユニ塩湖とのファーストコンタクトを楽しんでいる。15分ぐらいするとみんなランクルに戻ってきた。そして、ランクルはウユニ塩湖の奥に向かって走っていった。

15分ぐらい走ると、塩のホテルに到着した。塩のホテルとは文字通り塩で作られたホテルである。壁も塩、床も塩、天井も塩、テーブルや椅子まで塩で作られたホテルである。内部を見学すると、本当に塩だけで作られている。

塩のホテルの宿泊料金はとても高いらしい。更に1日に泊まれる人数も限られている。しかも、最近はトイレの問題で宿泊はさせてないようである。

塩のホテルを見学し終わった我々はウユニ塩湖にポッカリ浮かぶサボテンの島に向かった。早速、サボテンの島の頂上を目指して登って行く。頂上からは遠くまで眺める事ができる。白いウユニ塩湖がどこまでも続いている。更に向こうは蜃気楼のようになっていて地平線がはっきりしていない。その後にアンデス山脈が見える。空はどこまでも青く、雲ひとつ無い快晴だ。このサボテンの島を散策したあとは昼飯の時間である。

昼飯はサンドイッチとサラダ。ツアーメンバーがサボテンの島を散策しているうちにガイドが手際よく昼飯を用意してくれていた。昼飯を取りながら、ツアーメンバーで雑談が始まった。ガイドは現地人でスペイン語しか話せない。オランダ男性とフランス男性はスペイン語をかなり話せるがアイルランド男性2人組みはスペイン語を話せない。今回のツアーは多様な言語が飛び交う国際的なツアーになりそうである。

サボテンの島には昨日の夕食を一緒に食べた、今田ケン(仮名)さんが来ていた。彼はウユニ塩湖の1日ツアーに参加して、サボテンの島に来ているのだ。1日ツアーは最後に塩湖に沈む夕日を見てから街に戻るらしい。

昼飯を食べた後、少しウユニ塩湖を歩いてみようと思いガイドに聞いてみた。ガイドはこれから進む方向を教えてくれ、その方向に歩いていけば途中でランクルで迎えに行ってやると言ってくれた。俺は早速、ガイドの教えてくれた方向に歩き出した。まだ、誰にも踏まれていないウユニ塩湖を踏みしめながら歩いていく。うしろを振り返るとウユニ塩湖の白い世界に俺の足跡しかないのは気分が良い。20分ほど歩いていると、ランクルがスピードを出して俺に向かってきた。ウユニ塩湖1人トレッキングが終了して午後のツアーが始まった。

ウユニ塩湖の白い世界をランクルで走る。遠くに見えていたアンデスの山々が近づいてきて、塩湖の終わりに差し掛かった。ウユニ塩湖の端でガイドが車を止めてくれたので、最後にウユニ塩湖の塩をバックに詰めて塩湖とお別れした。

ここでハプニングが起こった。ランクルのエンジンが掛からなくなってしまった。ドイツ女性以外の男達でランクルを押してエンジンを起動させる事ができた。この先も思いやられそうだ。ウユニ塩湖を後にしてから、ひたすら走って、今日の宿泊地に到着した。

今日の宿泊地はサンペドロと言う村だ。本日の宿泊場所は小汚い宿で他の会社のツアーも同じ宿に宿泊する。どうやら、この村にはこの一軒しか宿がないようだ。夕食もガイドが作る。今日の食事はチキンスープだった。夕食が終わってくつろいでいると突然電気が消えた。時間が来るとこの村では電気が切れるのだそうだ。しばらく、ろうそくの炎で語り合ってから寝る。

寝る前にトイレのために宿の外に出ると、とても綺麗な星空が広がっていた。信じられないぐらいたくさんの星が輝いているのだ。プラネタリウムよりも綺麗な星空が頭上に広がっていた。ここは空気が薄いので星が綺麗に見えるのであろう。感激である。さすがに標高4000メートル以上の高地である。

2日目の朝は8時に出発である。今日は時間通りの出発だが、ランクルのエンジンが掛からずに男達が車を押してエンジンを始動させる。1度エンジンが掛かってしまえばランクルは調子が良い。午前中は標高4000メートル以上の褐色の大地を疾走する。

今日の最初の観光地はウサギが生息している奇岩地帯である。岩の隙間にウサギが生息していた。朝からランクルに乗ってずっと座っていたので身体が固まっている。久しぶりの外の空気は少し冷たくて気持ちが良い。

今度はフラミンゴの湖を目指して走る。道の無い大地を何となく走っていく。タイヤの跡が付いているのでそれを目標にして走る。基本的にダートの道なので乗り心地は最低であるが、ランクルの中から見る景色は綺麗だ。

お昼をかなり過ぎてからフラミンゴの湖に到着した。ここで、昼飯休憩となる。昼飯は今日もサンドイッチだ。標高が4000メートルを超えているのでかなり寒い。フラミンゴも寒そうである。

今日はほとんどの時間がランクルに乗って移動である。途中の景色は荒れ果てた4000メートル級の荒野が広がっている。まるで別世界に来たようだ。夕方、まだ日が沈む前に今日の目的地に到着した。今日の宿泊場所は標高4200メートルのコロラダ湖の湖畔にある宿だ。昨日の宿は一応電気が通っていたが、今日の宿は電気もないらしい。いまさら、何も言う事はない。

まだ、暗くなるまでに30分ほど時間があるので、ツアーメンバーのみんなでコロラダ湖を散策しに行く。フランス男性が日本語を少し教えて欲しいと言うので、歩きながら教えてあげた。丸2日間一緒に居るので、みんな仲良くなっている。フランス人男性はフランス語とスペイン語しか話せないので、もっぱら会話はスペイン語だ。俺の片言のスペイン語で日本語を教える。時間はかかるが、だいたいの意味は通じているようで、話に花が咲く。スペイン語を話していると、アイルランド人の2人組みはスペイン語を話せないので会話に入ってこれない。なので、今度は英語で会話を始めると、フランス人男性が会話に入ってこれない。そこで、英語、フランス語、スペイン語の話せるオランダ男性が通訳に入る。

コロラド湖は夕日を受けて綺麗に輝いていた。太陽が沈むと寒さが一段ときつくなった。コロラド湖の湖畔は足元がぬかるんでいるので、暗くなる前に急いで宿に戻った。

今日の夕食は最初からランプの明かりの下で食べる。今日も昨日に引き続き、国際色豊かな夕食である。すっかりお腹いっぱいになり、英語、スペイン語、フランス語の入り混じった食後のひと時が更けて行く。ドイツ女性の会話は英語になるが、彼女は英語よりもフランス語の方が得意らしく、ドイツ女性フランス男性が話をする時はフランス語になり、ガイドと話す時はスペイン語が飛び交う。

3日目の朝は日が昇る前に出発する。昨夜はあまり遅くならないうちにみんな就寝していたので、時間通りに出発できそうである。ランクルの調子もよく、今日は3回目でエンジンが始動した。

出発の準備が整うまで、フランス男性と一緒に夜明け前の空を見上げていた。昨日のサンペドロ村の夜空よりももっと綺麗な星空が一面に広がっていた。流れ星もたくさん見ることがでいる。その中で、夜空を切り裂くような大きな流れ星が1つ流れた。2人とも顔を見合わせて感激した。

無事に出発準備が整い、予定通りに出発する事ができた。南米で予定通りの時間で行動ができる事は奇跡に近い事である。ここは30分ぐらい遅れる事が当然の世界である。まだ、暗い道をランクルはゆっくりと走り出した。窓が凍り付いていて前が見えにくい。ガイドの運転はいつになく慎重になっており、見守っている我々も肩に力が入り真剣である。車内はとても寒くでみんな震えながら、凍りついたフロントガラスの氷が早く融けて前が見やすくなる事を祈っている。

30分ぐらい走り、ようやくフロントガラスの氷が解けてきて前が見やすくなってきた。その頃になるとあたりもだんだんと明るくなってきた。夜明け前のアンデス山脈を走り抜けて、火山の活動地帯に到着した。地面のいたるところで無数の小さな火口が穴を開けている。火口の中は今でも数百度の温度なのだそうだ。火口に近づくだけで地面が暖かい。火口に落ちたら死んでしまうから気を付けろと、ガイドに忠告された。

火口群のすぐ近くに間欠泉があるので、今度はそちらに移動する。地面から水蒸気が柱のように5メートルぐらいの高さまで噴出している。水蒸気はあまり高温ではない。水蒸気の柱に手を入れると暖かく、勢い良く噴出している。手を入れるだけなら吹き飛ばされないが、水蒸気の柱を飛び越えたらどうなるだろう?俺の好奇心が沸きあがってきた。

柱から20メートルほど離れ、助走を付けて勢い良く柱の中に飛び込んだ。柱を飛び越えた瞬間、どうなったのか判らなくなった。3メートルほど上空に吹き飛ばされてしまったらしい。数秒後に水蒸気の柱から数メートル離れた地面に落ちてきた。これは水蒸気に飛び込んだときに俺が被っていた帽子の運命である。おれ自身は何事もなく水蒸気の柱を飛び越える事ができた。

ここは標高5000メートル近い場所である。そんな標高の高いところで走り回っても、高山病にはならない俺はかなり特異体質なのかもしれない。水蒸気を飛び越えて遊んでいるうちに朝日が昇ってきた。アンデスの夜明けは気温が低く空気が冷たくて気持ちよい。

間欠泉で遊んだ後、しばらくランクルで走り温泉に到着した。既に、先客が来ており、ランクルが数台止まっている。何人かが既に温泉に入っている。まだ、太陽が昇ってから1時間も経っていないし、この温泉の標高は4700メートルである。気温は非常に寒く、体感気温は10度以下である。

服を脱いで海パンになり、すぐに温泉に入る。体温が冷えているのでお湯の温度が熱く感じる。温泉に入ると、すぐにお湯の温度に慣れた。温泉の水深は30センチぐらいで、かなり浅い天然の温泉である。寝そべってお湯に浸かっていると、気持ちが良い。温泉からは湖が一望できて、眺めも最高である。お湯の温度はかなりぬるいので、ゆっくりと浸かっている事ができる。

うちのツアーメンバーで温泉に入っているのはオランダ男性だけである。その他のメンバーは温泉に入らないで、その辺を散策している。そろそろ時間なので温泉から出ようとするが、外の空気がとても冷たいので温泉から出るには勇気がいる。気合をこめて温泉からでる。温泉から出た瞬間に凍るような寒さが全身を覆う。素早く身体を拭き、服を着てランクルに戻った。

ランクルの近くではガイドが朝食を用意してくれていた。みんなで朝食を食べる。朝食のメニューはいつもと同じサンドイッチである。朝食を食べている時は温泉の効能で身体がポカポカして暖かい。この温泉の効能は1時間ぐらい続いた。

朝食を食べた後はエメラルドグリーンのベルデ湖を見にいく。緑に輝く綺麗な湖である。そして、お昼前にはチリとの国境に到着した。ここでオランダ男性と俺はツアーと別れてチリに向かう。他のツアーのランクルも集合してマイクロバスに乗り合わせてチリのサン・ペドロ・デ・アタカマに向かう。ここで3日間一緒だったツアーメンバーとお別だ。素晴らしいツアーメンバーに恵まれて、楽しいウユニ塩湖ツアーになった。

ボリビアの出国手続きを済ませ、ツアーメンバーとハグをしてお別れする。俺はチリ行きのマイクロバスの一番前の特等席に座る事ができた。これから向かう、サン・ペドロ・デ・アタカマの標高は2400メートルだ。今まで過ごしていた場所から一気に2000メートルも標高が下がる。マイクロバスからは下界の様子を眺めるかのような景色が展開された。特等席は期待以上の景色を提供してくれ、ウユニ塩湖ツアーの最後を飾った。

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