バルデス半島ツアー

2003年3月に行ったアルゼンチンのバルデス半島ツアーのご紹介。 バルデス半島ツアーの時の資料は盗まれたのでありません。完全に俺の記憶だけを頼りにして書き起こしているので、事実と違うことがあると思いますが、その辺はご容赦を!!

2003年3月。南極からウシュアイアに戻ってきて、すぐにバルデス半島に行く事にした。バルデス半島は世界でも有数のシャチが見れる場所である。しかも、今の時期がシャチが見れる時期なのだそうだ。タイミングを逃さないように早速、バルデス半島に向かう。

朝、まだ暗いうちにウシュアイアを出発する。ぎゅうぎゅう詰のバスに押し込まれ、世界最南端の町から北上開始だ。ウシュアイアからバルデス半島までは約1500キロ。日本で1500キロと言うと東京から鹿児島までや札幌から大阪までの距離とだいたい同じ距離だ。

ウシュアイアを出発してフエゴ島を10時間近く走り続ける。ようやく、マゼラン海峡に到着した。マゼラン海峡を渡り、フエゴ島から南米本土に上陸するために、マゼラン海峡が一番狭くなっている所で渡し舟にバスごと乗り込む。この渡し舟は1日に何度もマゼラン海峡を往復している。我々のバス以外にもバスやトラック何十台も渡し舟が来るのを待っている。

マゼラン海峡の幅は1キロほどである。少し大きな川ぐらいの感覚だ。渡し舟を待っている間はバスから降りて周りを散策した。

辺りを散策しながら30分ほど渡し舟を待っていたが、渡し舟が来る気配はまったくない。どうしたものかと近くの人に聞いてみると、マゼラン海峡が荒れているので渡し舟の往復が出来ないでいるらしい。なのでマゼラン海峡が少し穏やかになるまで、待っていなければならないのだ。バスがマゼラン海峡の渡し舟乗り場に到着したのは午後3時頃。

マゼラン海峡を目の前にしながら待つこと数時間。午後7時になっても渡し舟の運行が始まる気配はない。そんな事よりも、今日はここで1泊しなくてはならないような雰囲気が漂い始めた。当然だが、ここには宿泊施設はない。簡単な軽食を食べれるレストランが一軒あるだけだ。しかも、渡し舟を待っているバスやトラックは100台以上ある。レストランの収容能力を完全に上回った人間達が今日はここで1泊しなくてはならない。当然、寝るのはバスの中だ。

ウシュアイアで一緒だった日本人の3人親子も俺と同じように足止めされていたのを発見。お互いにどうすることもできずに、バスの中で1泊するしかない現状を受け入れる為に愚痴りながら夜が更けていく。

次の日の朝、俺が眠っているうちにバスは渡し舟で対岸に渡り終える事ができていた。対岸に到着してバスが渡し舟から出る時に目が覚めた。時計を見ると9時ぐらいだった。昨夜一緒だった日本人の3人親子もマゼラン海峡を渡ることができ、チリに向かっていった。

無事に対岸に渡ったバスは順調にアメリカ大陸を北上する。距離的にはまだ3分の1ぐらいしか進んでいない。バスの旅はマゼラン海峡を渡り終わったこれからが本番である。バスは1日3回の食事休憩を取り、途中の街のバスターミナルに寄りながら、ひたすら北上する。24時間以上走り続けてようやくバルデス半島の玄関口、プエルトマドリンに到着した。

まずは宿を見つけてチェックイン。それから、旅行会社を探してバルデス半島のツアーの情報を集める。その勢いで次の日の1日バルデス半島ツアーに申し込み、スーパーで簡単な夕食を買って宿に戻って夕食を済ませる。夕食を食べ終えて、ちょっとのんびりしていると、1人の日本人の男の子がやってきた。彼も俺と同じ宿に泊まっていた。偶然な事に、彼も明日バルデス半島ツアーに行くのだそうだ。彼と俺は別々の旅行会社に申し込んでいたので、明日の朝は別々の出発時間ではあったが、現地では一緒になるだろう。

彼はブエノスアイレスからプエルトマドリンにやって来て、バルデス半島を観光してから南下していくのだそうだ。北上する俺と南下する彼が偶然この街で出会った。お互いに持っている情報を交換しながら夜が更けていく。

バルデス半島ツアーに出発する朝。ツアー会社の人が俺を迎えに来てくれる事になっている。が、約束の時間を過ぎてもツアー会社の人が迎えに来ない。ひょっとしたら、だまされてしまったのか? お金は前金で払っているので、だまされている可能性は十分にある。昨日チケットを買ったオフィスに怒鳴り込みに行くしかないのか? 俺の不安はどんどん高まっていく。そうこうしているうちに約束の時間を30分も遅れている。やきもきしていると、ようやく迎えが来てくれた。こんなところでラテンタイムが炸裂した。

ワゴン車に7人ぐらい乗せて出発。1時間半ほど走ってバルデス半島の国立公園に入った。バルデス半島の入り口にある博物館兼管理事務所に立ち寄る。博物館にはクジラの骨ペンギンのはく製などが展示されていた。博物館の次はいよいよシャチの見れるポイントに行く。

シャチが見れるポイントは断崖絶壁になっている。崖下の海岸にはオタリアがハーレムを作って、のんびりとしている。断崖の上には博物館があり、実物大のシャチの模型などが展示されている。博物館の近くには喫茶店も併設されており、観光客がたくさん来ている。我々は崖の上から海岸にいるオタリアのハーレムを見ることが出来る。

今日はまだシャチが現れていないようだ。シャチは海岸で寝そべっているオタリアを食べにこの海岸に来る。俺がバルデス半島に来た目的はシャチがオタリア狩をするところを見るためだ。シャチの食事時間は朝か夕方が多いらしい。が、オタリア狩りを見るのはかなり難しいらしい。そう簡単にシャチは現れないという話だ。ツアーガイドの話ではシーズン中の今でもシャチのオタリア狩りが見れるのは1週間に一度ぐらいなのだそうだ。それでも、シャチが現れるまでひたすら待つ。いつの間にか、一緒の宿に泊まっていた日本人の男の子もシャチポイントに到着していた。彼のツアーガイドも今日はシャチを見るのは難しいと話しているそうだ。望みは薄そうだ。それでも、時間ギリギリまで期待を持ち続ける。

シャチが来るまで、オタリアのハーレムを観察する。オタリアだってなかなか見れるものではない。100頭近くのオタリアが海岸で寝転がっている。崖の上から見ている限りではオタリアも大きな身体をしている。それを食べてしまうシャチはかなりの大きいのだろう。

崖の上の喫茶店の近くの地面にはたくさんの穴がある。どうやら、この辺一帯にはアルマジロが生息しているらしいのだ。しばらく観察していると、アルマジロが巣穴から出てきた。ヒョコヒョコ歩く姿はなかなか愛らしい。

オタリアやアルマジロの生態を観察しながら、2時間ぐらいシャチが現れるのを待っていたが、とうとう出発の時間が来てしまった。残念ながらシャチは現れなかった。時間が来ては仕方がない。シャチのオタリアを狩りを見るために、いつか必ずここに戻ってこよう。

次はマゼランペンギンのコロニーに向かう。ここは時期が外れているようで、マゼランペンギンはほんの数匹しかいない。殆どのペンギンは別の場所に移動してしまっていた。俺は南極で数万羽のペンギンに囲まれていたので、ペンギンはおなかいっぱいである。数匹のペンギンで満足できた。それでもマゼランペンギンは初めてだ。模様のつき方がちょっと変わっていて面白い。

マゼランペンギンと戯れた後にゾウアザラシのハーレムに向かった。30分ほどワゴン車に揺られる。ワゴンを降りて、遊歩道を10分ほど歩くとゾウアザラシのハーレムが見える。それにしてもゾウアザラシはデカイ。しかも、数が半端じゃない。軽く100頭以上のゾウアザラシがゴロゴロと海岸に寝そべっている。2頭のオスが頭を持ち上げて威嚇しあっている。体長の大きい方が勝ったようで、負けたゾウアザラシはすごすごと逃げていった。我々観光客は崖の上からそんなゾウアザラシ達を眺めている。天気は快晴だが風は強い。

1日ツアーの最後にクジラの見れるヌエボ湾に向かった。しかし、今はクジラが見れない時期なので船に乗る人は誰もいない。それ以前に船を出港させる気がないようである。それでもかなりの自由時間があるので、遠浅になっている海岸を歩いて時間を潰した。

ヌエボ湾を出発して最初に寄った博物館兼管理事務所でトイレ休憩。それから、プエルトマドリンに戻る。帰りのワゴン車の車内はみんなぐったりと疲れていて、お昼寝タイムになっている。夕日が傾いてきた頃プエルトマドリンの街に戻ってきた。俺はそのまま夜行バスに乗ってアルゼンチンの首都、ブエノスアイレスに向かう。

実はブエノスアイレスは過去に2回ほど訪れた事がある。1度めは2000年の2月にアフリカからブラジルのリオデジャネイロに行く飛行機の乗り換えのため、2度めは今回の旅でパナマからウシュアイアに行く飛行機の乗り換えのため。なので、飛行場以外のブエノスアイレスは初めての訪問だ。初めての街はドキドキするがその前に1300キロ、24時間以上のバスの旅が待ち構えている。走っても走っても同じ風景が続いている。パンパの大きさには感動すら覚える。

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